おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

私の中の「アマラとカマラ」

 今日の記事はタイトルが全てといった感じですね。魅力的なタイトルじゃないですか?

 このタイトルで何を書きたかったかと言いますと、人には一生を通じて、幼い頃の記憶が染みついているものだという事です。今更という感じもしますが、こうしてブログを始めてみて、過去の記憶にまつわる出来事などを掘り起こしたりしていると、つくづくと、その影の濃さを思ってしまうのです。

 

 アマラとカマラはオオカミに育てられた二人の少女ということで有名です。

 生肉を好み、四足歩行をし、夜になると遠吠えのような声を出し、そして、言葉はとうとう習得することが出来なかったと、昔、学校で習った記憶があります。

 アマラとカマラの養育に携わった側からすれば、二人に関して、「オオカミのような行動は治らなかった」「〇〇が出来るようにはならなかった」という叙述になります。

 でも、私はブログに自分の幼い頃の思い出を書いていて、ふと思ったんです。彼女たちの側からはどうだったのだろう。

 彼女たちに言わせれば、「オオカミのような振る舞いは捨てなかった」「オオカミに育てられて身につけたもので、十分だった」。そんなことになるのかもしれない。それほど、幼い頃に植え付けられたものは、深く深く根を張るのではないかと。この、人は幼少期に与えられたものに、良くも悪くも左右されるという思いでつけたのが、今回のタイトルです。

 

 ここで急転直下。いつものように、ブログを書く前に「アマラとカマラ」についてネットで調べてみたわけです。そうしましたら、二人はオオカミに育てられたというのは嘘で、知的障害のある捨て子だったのだろう、という説が有力なのだそうです。

 ・オオカミの授乳の仕方と人間の哺乳の仕方では、養育は成立しない

 ・オオカミの移動距離とスピードに、人間がついていくことは不可能

 ・夜に目が青く光ったと記録されているが、人間の目の構造上ありえない

上にあげたほかにも、嘘とする根拠はいろいろあるようです。興味のある方は、ググってみて下さい。

 

 ということで、とても気に入ったタイトルだったのですが、ちょっと意図するところが違ってしまいました。でもいいんです。素晴らしいオチを与えてくれたのですから。察しのつく方もいらっしゃるでしょう。そう、「オオカミ少女」は、実は「オオカミ少年」だったというオチです。

 それにしても、書こうと思ったことが思い込んでいた内容と違っても、むりやりまとめてしまうあたり、年の功と褒めて下さい。「赤ずきんちゃん」あたりのオオカミに言わせれば、「食えないババアだぜ」ということになるのでしょうが。では。