おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

『ルックバック』のシスターフッド

今週のお題「アニメ」

 シスターフッドという言葉、皆さんご存じでした?直訳すると「姉妹関係」。そこから転じて「姉妹愛」を意味するとか。さらに、フェミニズムにおいては「女性同士の連帯・絆」を示す概念として使われるそうです。

 また、文化・エンターテインメントの分野においては、フェミニズム的な要素は含まなくても、女性同士の絆・葛藤・共感などを描いた映画や小説は「シスターフッド映画(作品)」などと称されるそうです。

 私はアニメはめったに見ないのですが、2年ほど前かな?長男が「一緒にみない?」と誘ってくれたので、二人でテレビの前に並んで標記の『ルックバック』というアニメ映画を見たのですが、凄く良かった。

 ストーリーは明快で、小学生時代に知り合った二人の女の子が「漫画家になる」という夢に向かって一心に突き進んで行くという、ジャンプ漫画のような物語です。そう、ジャンプ漫画のようなんですよ。

 「シスターフッド」という言葉はアニメを見終わった後に、スマホで口コミを読んでいて知ったのでした。「そうそう、女の子同士の絆の物語なのよ」と思うと同時に、こんな女同士の関係は初めて見た!と思ったのでした。

 今でこそ、漫画も読まないアニメも見ない私ですが、20代までは漫画大好き、少女漫画も少年漫画も、青年漫画だって、むさぼるように読んでいました。その経験から言うのですが、どんなに厚い友情の物語も、女の子同士の場合は必ず男性が絡んでいました。恋の相手、失恋の相手、あるいは憎き敵として。

 「シスターフッド作品」の例として、WikipediaにNHKの朝ドラ『虎に翼』がありましたが、大きくうなずきましたよ。あれは確かに女同士の友情・絆・連帯の物語だった、恋愛要素少なめの。でも、少なめとは言っても恋愛・結婚は女の人生から外すことは出来ないのでした。皆さんも、女同士の友情を描いた映画、漫画、ドラマ、小説etc.思い出して見て下さい。必ず男性も登場するでしょう?

 『ルックバック』の面白い、あるいは斬新な点は、主役の女の子二人が全く男の子に興味が無いという所だと思います。とにかく二人は「漫画を描く」ことしか眼中にない。そして、その漫画を描くための相棒としてのお互いが世界の全てなのでした。男の子が入り込む余地もなく。

 先に『ルックバック』はジャンプ漫画のようだと書きましたが、少年漫画においては男同士の友情は恋愛よりも尊く、戦いに身を投じることは何よりも優先されるべきことであったりと、恋愛(女性)の優先度は非常に低い場合があります。対して、少女漫画は恋愛至上主義と言ってもいいほど、恋愛要素満載、それがメインテーマと言っても過言では無いほどだと思います。

 でも、『ルックバック』の二人は違いました。彼女たちにとって何より大事なこと、全身全霊で打ち込めること、それは絵を描くことであり、漫画を描くこと。彼女たちは小学生にして「創作の喜び」に目覚めその魅力に捉えられてしまったのです。

 私は『ルックバック』の視聴後の感想を「凄く良かった」と書きましたが、ネットで得た知識によりますと、若い人はそういう時、「刺さった」と表現するようです。

 ネットの口コミに、「ルックバックは創作に打ち込んだ経験のある人に、刺さる」とありましたが、私はさらに付け加えたい。「おばさんにも刺さる」と。

 なぜなら、全てのおばさんはかつては少女であり、良き思い出の「シスターフッド」、後悔の「シスターフッド」等々、それぞれの胸に去来するものがあると思うから。そして、恋愛至上主義という価値観を他人事として眺められるようになったとき、つくづくと「女の友情って、有り難い」と思うようになるのではないかしらね。『ルックバック』は、おばさんがそんな風に自分自身を振り返るきっかけになるアニメだと思いました。ルックバック(振り返る)だけにね。

 作中、二人が漫画を買うために手をつないでダッシュするシーンがあるのですが、刺さりましたね~。なんでグッとくるのか分からないのですが。「もう、あんな風には走れないなぁ」なんて思いながら、涙ぐんだことを思い出します。いい作品って、細かいところが印象に残ったりするんですよね。

 最後に、もしこの記事を読んで「見ようかな」と思われる方がいらしたら、一言。ハッピーエンドではないですよ。余計なお世話かとも思いましたが、私達世代になると、心が打たれ弱くなると言いますか、「悲しい話は見たくない」という方もいらっしゃるかなと思いまして。これも私なりのシスターフッドということで。では。

前略、空の上より そういや~

 いきなりタイトルがダジャレな訳でして、昭和世代ならピンとくる、一世風靡セピア『前略、道の上より』のタイトルと、出だしの「そいや、そいや」にかけてみました。

 少し前まで奈良旅行記を書き続けて、やっと完結したのでしたが、「そういや~帰りの飛行機からの眺めも面白かったなぁ」と思い出したので、今日はその事を書きます。

 奈良旅行中は、単身赴任中の夫の京都のアパートに泊めてもらったのですが、ある朝、テレビのニュースをチラチラ見ながら身支度をしていたのです。その時、不思議と耳に残ったアナウンサーの言葉がありました。

 「なんと、この池には日本列島の形をした島があるのです」

 「へぇ、そんなところが」とうっすら思いましたが、出かける準備で慌ただしく、詳しいことは聞き漏らして、そのまますっかり忘れていたのです。ですが、伊丹空港を離陸した飛行機の窓から外を眺めていると(座席指定は絶対に窓側。景色を見るのが大好き)、あ、あれ、あれは日本列島だ!

 写真もバッチリ、凄くな~い?これも「日本列島形の島」という存在を知っていたからこそですよね。知らなかったら気がつかなかったと思います。

 調べたところ、この池は兵庫県伊丹市にある昆陽池(こやいけ)公園の池で、日本列島を模した人工島は通称、野鳥の島と呼ばれるそうです。そして、地上からは木々に覆われて全体像が見えにくく、伊丹空港を離陸する飛行機の窓から綺麗に見ることが出来ると言うことです。皆さんも機会があれば、是非ご覧になってみて下さい。「日本列島形の島」を知った皆さんなら、見つけられると思います。注意するのは座席の位置です。

 ・進行方向の左側

 ・主翼やエンジンの上は避ける

 そして、タイミングは離陸後45秒から1分。「空の上」から見るつもりが「上の空」になって、しまったとならないよう、くれぐれも気をつけて下さいね。では。

二人の高田さん

 女優の高田聖子(しょうこ)さんは劇団☆新感線所属の女優さんです。1967年生まれだそうです。私は舞台は勿論、テレビドラマもあまりみないので、舞台女優さんに詳しい方ではないのですが、高田聖子さんの事は随分昔から知っていました。それも、出演作品を通してとかではなく、恐らく新聞か週刊誌の記事で読んだ、「実家は奈良の凄いお寺」と言う知識のみだったのです。

 「確か、薬師寺だったような・・・」

 奈良旅行記を書いているときに、にわかに気になりだして確認してみたんです。ひょっとして何かしらブログネタになるかも知れないし、という下心もありましたし。その結果は、『法隆寺の元住職(第128世管主)高田良信(りょしん)さんの娘さん』であり、実家は法隆寺の境内にあるということでした。

 そして、もう一つと言いますか、もう一人と言うべきか、エッセイスト・高田都耶子(つやこ)さんの事を知ったのでした。

 高田都耶子さんは1956年、薬師寺を復興させたと言われる住職・高田好胤(こういん)さんの長女として生まれました。薬師寺で。

 そうなんですよ、都耶子さんは1300年の歴史を誇る薬師寺において、「初めて境内で生まれた子供」として知られているそうなんです。

 奈良の伝統的な仏教においては「僧侶は妻帯せず」という伝統が強く残っていました。それを、好胤師の師父であった橋本凝胤管主が、「これからは僧侶も家庭を持って人の親の苦労を知るべきだ」と、好胤師の結婚を容認し、1956年(昭和31年)都耶子さんが初めて、「薬師寺境内」で生まれることになったのだそうです。その後も薬師寺の僧侶の家族の出産はあったようですが、1960年(昭和35年)頃からは自宅ではなく病院等での出産が一般的となったこともあり、「薬師寺で生まれた子供」はごく少数ということのようです。(昭和36年、青森県のド田舎生まれの私でさえ病院で生まれました)

 ちょっと想像して見て下さい、薬師寺の東塔や法隆寺の五重塔の周りを、幼い女の子がキャッキャッと走り回る。夏には蝉を捕まえ、冬に雪が降ることがあれば、塔の上の空を眺めて大きく口を開けて雪を待つ。その様子を眺める僧侶達。ほんの60年前にはそんなのどかな「国宝」の姿であったかと思うと、まさに「古き良き時代」という感じがします。

 「実家が法隆寺」「薬師寺で初めて生まれた子供」、どちらも凄いパワーワードですが、奈良というバックボーンあってのワードです。やっぱり奈良は凄いなぁ。テラ凄い!では。

※蛇足の解説 テラ凄いについて。テラはメガ・ギガ・テラのテラで、テラ凄いは超凄いというような意味になります。寺にかけてます(笑)。

奈良7日目(空が広い)

 奈良について色々調べているうちに出会った言葉、「奈良は空が広い」。

 これだ!これだったんだ、「なんか、よそと眺めが違うんだよね〜」と漠然と感じ続けていた感覚の正体は。

 上は法隆寺南大門から中門へ向かう通りです。

 境内に高い建物が無く電柱や電線もないのは普通だと思いますが、奈良の場合、法隆寺や興福寺、東大寺など、境内の敷地の広さがとんでもない。また、お寺ばかりではなく、歴史的な景観の地域では、景観条例によって建物の高さ、デザインに制約があり、電線の地中化なども行われているのです。また、そういった地域では住民の方々の景観に対する意識も高く、住民の自主的な取り組みもなされているのだそうです。例えば、エアコンの室外機などは外から見えない位置に設置するか木の覆いをかける。アルミサッシは使わず木製の窓枠にするとか。

 そういった官民一体の取り組みの結果、奈良には広い空と趣のある景観が保たれているのだと、「奈良は空が広い」という言葉の重みをつくづく思います。

 では、奈良県で一番高い建物は何だと思いますか?答えは興福寺の五重塔だそうです。奈良県の条例では、民間ビルの高さの上限は最高40mまでと定めらています。そして、興福寺五重塔の高さは50.1m。よって奈良県では五重塔より高い建物が建つ事は実質的に不可能なのだとか。ちなみに、二位は東大寺大仏殿(49.1m)、三位は奈良県庁(48.4m)だそうです。

 こうして確保された奈良の「広い空」、資本主義の現代にあって、これは本当に凄い事だと思いました。私が宿泊した『和空法隆寺』も二階建てでしたが、あの立地に団体客の泊まれるホテルを建てたらどれほど儲かるか、地域も潤うことか。また、ホテルだけではなく、マンション、商業ビル、オフィスビルなど、大きな駅周辺にいくらでも候補地はあるはずです。そう言う「儲かる」チャンスよりも、「国のまほろば」の誇りを守っている、素晴らしいな、奈良。あの広い空を思い出しては繰り返し賛嘆の思いでいるのです。いまだに。

 JR奈良駅前で撮ったバスの写真。ああそうだ、奈良公園に行った、鹿もみた。このブログを書いている今現在は勿論、この写真を撮ったときでさえ、奈良公園に行ったことが夢の中のように感じられました。それは、毎日が中身が詰まった充実の旅だったからなのだと思います。本当に楽しくワクワクした七日間でした。そして、こうして長い長い旅のブログを書くことも楽しかった。読んで下さった皆さんに感謝です。最後の最後はシンプルなダジャレで締めたいと思います。

 ありがとう、奈良。また絶対に行くよ!その日まで、さようなら、奈良。では。

奈良七日目(法隆寺ガイドツアー)

 法隆寺門前宿『和空 法隆寺』の独特なサービス、ホテルスタッフによるガイドツアーに参加しました。

 ツアーガイドを務めるスタッフさん達は「語り部」と呼ばれるようです。法隆寺の歴史や仏教史に精通しているのは勿論、語り口が楽しく面白く、それで「語り部」なのかな?と思いました。

 「普通のコースでご案内しても何ですので、ちょっと珍しいコースで行きたいと思います。途中で抜けられる方は、どうぞご自由になさって下さって構いませんので」

 ということで、

 こちら、「浴室」です。お坊さん達が身を清める場所です。東大寺の二月堂の近くにも大湯屋と呼ばれるお風呂(蒸し風呂)がありましたが、こちらはお湯につかる、またはかけ湯するタイプのお風呂だったろうとされています。ただ、僧侶たちには入浴するにも厳しいルールがあり、規律に従って静かに身を清める場だったということです。せっかくお湯につかれても、ぼーさんなのに「ぼー」っと出来ないなんて、お気の毒と思ってしまいます。

 「ぼーっと」つながりで、こちらの柱を紹介します。

 木造の法隆寺が今日まで持ちこたえているのは、上の柱にみられるような丁寧な修繕の積み重ねがあってこそという説明を受けました。言われてみれば、あちらこちらにこんな修繕の跡があるのに、ぼーっと歩いていたらきっと目に入ることは無かったと思います。説明ってありがたい。

 金堂と五重塔の写真は何枚も撮ったのですが、これは構図が面白い一枚です。ガイドさんのおすすめ、

「この位置がたった一カ所、回廊のひさしの三角の中に金堂と五重塔がスッポリ納まる撮影ポイントです。今日は人が少ないので特別に教えます。写真をお撮りになりたい方はどうぞ」

 そう言われたら撮るしかない。その時はワクワクで撮りましたが、改めてみると、写真としてはそんなに良いわけでもないですね(笑)。でも、思い出にはなりましたよ。

 およそ2時間のツアーでしたが、法隆寺にまつわる歴史ウンチクのあれこれも大変面白く西伽藍だけしか歩いていないのに、あっという間に終わった感じでした。

 ガイドツアー終了後は、広い西伽藍に点在する建物や大宝蔵院(有名な宝物を多数展示)、そして夢殿のある東伽藍を夫と見て回りました。見ても見ても限りが無いような法隆寺の素晴らしさ。でもやはりなんと言っても大宝蔵院の、しかも特別な一角「百済観音堂」にすっくりと立つ「百済観音像」の八頭身から漂うオーラです。法隆寺のパンフレットに、

法隆寺では、この百済観音の安住の殿堂をお造りすることが永年の悲願でありました。その夢がついに平成10年秋に実現いたしました。それがこの百済観音堂であります。  

このようにあります。観音堂完成の喜びが伝わってきます。

 実は私は、「百済観音は百済からの渡来仏だからそのお名前なのだろう」と思い込んでいました。ところが、今回の旅をきっかけに知ったところ、昭和中期からは「百済の様式(デザイン)の影響は強く受けているが、実際に造ったのは飛鳥の職人である」という見方が定着しているということでした。

 へー、国産なんだ!そう思って拝見するとますます素敵。今回の旅では数多くの素晴らしい仏像を拝見しましたが、百済観音像には百済観音像にしか無いオーラが漂っています。皆さんもご自分の目で確かめて見て下さい。

 西伽藍の鏡池のほとりに、正岡子規の「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」の石碑が建っています。

 「昔はこのあたりに茶店があって、実際に柿が食べられた」とガイドさんは言っていました。さすがにそこまでののどかさは無いものの、法隆寺は他の有名どころに比べて本当に観光客が少ないんですよ。百済観音の次に私の印象に残ったのはそのことかも知れません。人混みの嫌いな私なので、そう言う意味でも法隆寺はイチオシです。皆さん、是非、法隆寺へ。法隆寺、空いてますよ。「空き聞かば靴が鳴るなり法隆寺」続く。

奈良6日目(法隆寺へ)

 桜井駅から法隆寺駅へはあっという間。ちょうど法隆寺参道行きバスにも間に合って、予約のホテルに3時過ぎにチェックイン。

 『和空 法隆寺』というのがホテルの名前です。法隆寺まで徒歩30秒!

 突き当たりが法隆寺南大門!立地が決め手で選んだホテル(オフシーズン価格だし)でしたが、もう一つ。とても面白いサービスがあるのです。

 「ご希望の方は、翌朝9時からのホテルスタッフによる法隆寺ガイドツアーにご参加頂けます」というもの。勿論、申し込みました。旅行していて思うのですが、各見学場所を自由気ままにうろつくのも楽しいのですが、ガイドさんの解説を聞きながらもまた楽しい。そして耳より情報や意外なウンチクをゲット出来たり、さすがガイドさんはその道の達人と感心したり。先達はあらまほしきことなり、ですね。

 ということで、法隆寺は翌朝じっくり見学出来る、ではこの後は夕食までどうするか。

夫「お風呂に入ってゆっくりするよ」

私「私はやっぱり法隆寺に行く。でも無料区域だけにして、夕食までに戻るから」

 さて、私の法隆寺一人旅の始まりです。

 中門と五重塔。あら、中門に仁王様。近くに寄って拝見と軽い気持ちで行きましたら、なんと言うこと。凄い、素晴らしい。

 奈良時代に造られた塑像の金剛力士像。塑像、つまり土で出来ているということです。しかも、日本最古(711年造)の塑像とされているそうです。新薬師寺で十二神将を拝見したときも「よく今までご無事で」と思いましたが、こちらの二体はさらに古く、しかも1300年の間、屋外に立っておられる。奇跡を見る思いです。勿論、修理に修理を重ねて今日に至っているのですが。特に左側の吽形は、頭部は塑像ですが、体の大半は木造に置き換わっている(室町時代)のだそうです。ネットで読んだ解説に「頭部と体部で全く異なる技法であるにもかかわらず、違和感のない素晴らしい技術」というのがありましたが、なるほどと思いました。

 左側に立つ吽形が西からの風雨をもろに受けるのに対して、右側の阿形は比較的雨風の被害が少なかったものの、決して無傷だったわけではありません。阿形も崩壊の危機に何度も直面し、その都度「上から新しい粘土を塗り重ねる」という方法で補修されてきたそうです。その結果、阿形像は当初の体型よりも、かなり「たくましく太い」体型になったのだとか。大口開けて笑いたい面白さです。阿形像だけにね。

 全く知らなかったこちらの仁王像にお会いでき、しかも遅い時間だったせいか、ほとんど独り占めでじっくり拝見出来たこと、忘れがたい旅の一コマです。後日、俳句も出来ました。嬉しい。

  炎天や土の仁王の法隆寺  takakotakakosun

  この後は東伽藍の方までゆっくり散歩して、充実の法隆寺無料見学を堪能しましたが、驚いたのは人の少なさ。

 日本人も外国人も、観光客は奈良公園で満足しちゃうのかな。それとも今日という日、そして時間帯によるのかな。静かな境内をちょっと不思議な、そしてなんだか得したような気分で浮かれ歩き、ホテルへと戻りました。

 上の写真はホテルの販売コーナーです。有名な仏像がずらりと並んで、見応え十分。楽しい。そして、嬉しい出会い。

 この日のお昼に参拝した聖林寺の十一面観音立像です。何が嬉しいかと言いますと、本物は撮影出来ないけれど、こちらは撮影出来たので、こうして皆さんにそのしなやかなお姿をお見せ出来ること。優美でしょう。

 そして、注目はそのお値段。さすが国宝ですな(?)。びっくりです。続く。

奈良六日目(聖林寺)

 奈良旅行記、まだまだ続くよ。飽きた?ダメダメ、頑張ってついてきて。

 色々と面白い経験をした安倍文殊院を後に、聖林寺へ。桜井市には神社やらお寺やら山の辺の道やら、見所がたくさんあるのですが、バスの便があまり良くなくて。行きたかった談山神社は諦めて、タクシーで効率よく聖林寺を拝観して、早めに法隆寺に向かうことにしたのでした。

 聖林寺に向かう車中、「あれ、確かこの辺にテレビで有名な『大和尼寺精進日記』のあのお寺があったような」、そう思って運転手さんに、尋ねたところ、

 「はい。このあたりですよ。車を降りてから結構な山道で、以前は救急車が呼ばれたりしましたね。今でもお客さん、あるようですよ」と、あっさりとしたお返事でした。

 観光客にとっては「あの有名な」と心躍るような事物でも、地元の方にとっては日常と言うことなのでしょう。古墳の例を出すまでも無く。

 さて、聖林寺です。

 こちらには国宝の十一面観音菩薩立像という非常に有名な仏像がいらっしゃる。フェノロサ、土門拳、白洲正子といったお歴々を魅了し、「東洋のミロのビーナス」と称されているのです。いつか拝見したいと長年憧れてきました。

 本物は撮影禁止で、代わりに写真のお姿を撮影できるようになっていました。ちょっと面白い。そして、本物の十一面観音菩薩像ですが、2022年に完成した『大悲殿観音堂』という、ものすごくお金のかかっていそうなお堂にたったお一人で静かにたっておられます。

 こちらの登廊をあがって、吉野杉のふんだんに使われた立派なお堂に入ります。観音像は反射を押さえたガラスケースに安置され、拝観者に360度どこからでも、そのお姿を見せて下さるのです。オフシーズンの平日だからでしょうか、私と夫と二人きりで観音様を拝見するという贅沢な時間を堪能したのですが、私の胸中は複雑でした。

 こんな立派な、でもしっかりと閉ざされた空間に、ガラスケースに入ってたった一人。仏像でも美術品でも無い、なんだか不思議な像がそこに立っている、そんな感じなのです。長年の憧れがシュウっとしぼんでいくようでした。

 聖林寺のご本尊は子安延命地蔵菩薩という、江戸中期に造られた大きな石の仏様です。像全体も大きいのですが、なんと言ってもそのお顔の大きいこと。しかも真っ白で、失礼ながら、大変愛嬌のある仏様なのです。そして周りには何体かの小型の仏像が安置されていて。十一面観音菩薩の後に本堂でこちらの菩薩像を拝見したときには、なんだかほっとした気持ちになったのでした。

 長い年月思い続けた(心のほんの片隅でですが)、聖林寺の十一面観音菩薩像。思いもかけない渋い感想になりましたが、これも実際に拝見出来たからこその感想。旅の一面です。十一面観音ならぬ、旅の渋一面感想ということです。では。