おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

目は見たいものだけを見る

 四国旅行記でも書いたのですが、旅先では「わー、日本史だー!」という遺物に出会ってワクワクすることがありますね。どういう事かと言いますと、その土地にゆかりの、歴史上の有名な「私でも知っている」、あるいは「良くは知らないが聞いたことはあるぞ」と言った人物や出来事に出会うと言うことです。

 特に京都では一足ごとにと言っても過言ではないほど、「日本史の世界」に行き当たってしまうのです。

 晩御飯を食べた後、木屋町通をぶらぶら歩いていた時です。小さなお寺がありました。

 わわ、豊臣秀次公之墓だって!

 秀次と言えば謀反の疑いで秀吉に切腹を命じられ、さらに三条河原で一族皆殺しにされてしまうという悲劇の人。大河ドラマ『豊臣兄弟』をみていて、「この子が後の秀次かー」と思い入れがあったので、偶然の出会いにかなり興奮しました。

 そして、大河ドラマと言えば、

 上の『武市瑞山先生寓居之跡』の石碑は、「武市瑞山って『龍馬伝』で大森南朋が演じてたなぁ」と思いながら写真を撮りました。

 そして、そんな事を隣に立つ息子その2に言ったところ、

 「それより、隣の『ちりめん洋服発祥の地』の方が面白くない?」と言われ、言われて初めて気がついて、その事に驚いたものです。全く目に入って無かった、すぐ隣なのに・・・。

 しかも、さらに驚くべきことに、家に帰ってから写真を見返してみると、なんと右奥には『吉村寅太郎寓居之跡』という石碑も写っていたのでした。と言っても吉村寅太郎については良く知らなくて、ネット検索したところ、維新に貢献した土佐四天王の一人という有名な方で、27歳で落命しています。(あとの三人は、武市・龍馬・中岡慎太郎)

 私の目の節穴ぶりも凄いけれど、この吉村寅太郎の石碑の隅に追いやられ感も凄いなーとか思いながら、Google Mapsで吉村寅太郎寓居之跡の場所を確認してみたんですよね。そうしたらさ、

 「寓居」じゃなくて、「萬居」って書いてあるー、武市瑞山はちゃんと「寓居」なのにー。吉村寅太郎、なんて不運な人なんだ。

 それにしても、人間の目ってつくづく不思議ですね。すぐ隣の石碑が目に入らないかと思えば、Google Mapsの小さな文字はちゃんと読めたり。

 ひょっとして、「ちりめん洋服発祥の地」の石碑のように、自分では目を逸らし続けている私の目尻や口元のちりめんも、他人の目にはしっかり見えているのかしら。不安になりました。続く。

若冲のさ、「筋目描き」ってすごいわー

 福田美術館は、展示品が凄いのはもちろんですが、キャッチコピーのセンスもいい。前の記事でご紹介したポスターの『若冲にトリハダ!野菜もウリ!』のダジャレセンスもいいし、各作品の説明文のキャッチコピーもいいのよ。

 例えば、

 こちらに添えられた説明文ですが、

 「牡丹が描きたかったんですわ」のキャッチコピー、いいわー。「そうでっしゃろな」とエセ関西弁で返したくなります。

 伊藤若冲には、一枚一枚描き込んだ重なり合う鳥の羽とか、ぽったりと水分の多い雪とか、ため息ものの表現が多々ありますが、今回は上の説明書きにも出てくる「筋目描き」というテクニックに呆然としてしまいました。

 「筋目描き」というのは、水分の多い墨を二箇所に(少し離して)置くと、それぞれが滲んでいって出会う事になりますが、その際に、墨は混じり合うのではなく境界線を作るので、その線を上手く利用してものの形を描く手法の事だそうです。上の牡丹の花びらをご覧下さい。もっと分かり易い例としては、下の、

 達磨さんの衣!筆で墨を置くことで何で思い通りの筋目を描けるんだろう。

 大・大・大人気の若冲に今更言うことでも無いけれど、すみにおけないぜ、若冲!と思ったのでした。続く。

若冲の扇子を買いました

 旅行に行ってもほとんど買い物をしなくなりました。年のせいか、欲しい物も特に無くなったし、お土産のやり取りもしないことにしてるし。

 でも、今回の京都旅行では、珍しく自分用に扇子を買いました。

 買った所は嵐山の『福田美術館』で、

 特別展は伊藤若冲で、

 鶏で有名な若冲にトリハダ、そして今展示の目玉『果蔬図巻(かそずかん、果蔬とは果物と野菜のこと)』にかけて『野菜もウリ』と来たか!やるな〜、福田美術館。

 私が買った扇子は上の『過疎図巻』の一部が両面に印刷されているのですが、人に見せると必ず、「これは何?」と野菜や果物の名を尋ねられるのです。いくつかは即答出来るのですが、「分からない」と答えるものもあり。上の対応図をみて、ちゃんと答えられるようになりたい。「さすが!」と人から仰がれたいのです。扇子だけに。

 福田美術館は展示の素晴らしさにも関わらず嵐山の穴場、意外とすいている、と聞いてはいましたが、本当にすいてた!嵐山駅前、渡月橋周辺の人混みが嘘のような静けさ。展示の『かそずかん』にかけて、過疎ってるの?静かにゆっくり鑑賞できるのはいいのですが、せっかくの素晴らしい美術館がすいているのは残念な気もしたりして。「もったいない」と思ってしまうのは日本人だから?続く。

そうだ息子と京都行こう

 東京で暮らす息子その2がGWが終わってから友人の結婚式のために帰省するという。そして、その後はちょっと長く休めると言う。

 「じゃあ、お母さんと旅行行こう!京都はどう?今ならチケットも安い」で、決定。

 「老いては子に従え」とか「負うた子に教えられ」とか言いますが、息子が東京で大人になったからなのか、自分が老いて世の中についていけてないだけなのか。旅行中、色々教えられました。

 渡月橋のあたり。ほとんど外国の方。京都がインバウンドで大変な事になっているとは聞いてはいましたが、想像以上。そして皆さん個人旅行で、自分の力で日本を満喫しておられる。海外旅行ならツアー一択の私からしたら、本当にすごいと思ってしまうのです。

「外人さん、バスも乗りこなして凄いよね。お母さんは普段は車だから、一人だったらバスは乗り方分からないかも。皆さん、ガイドブックとかで情報を仕入れて来るんでしょうね」と言いますと、息子その2は笑いをこらえながら、「いや〜、今はGoogleマップが教えてくれますから」と言うのでした。

 そ、そうよね。今はスマホさえあれば何でも出来るのよね。

 また、コンビニでのことです。二つあるレジのうち、店員さんがいるのは一つだけ。私は会計中の人も含めて三人目に並んでいました。少し離れて息子。品出しからレジに戻って来た店員さんが私に「どうぞ」と声をかけてくれ、そちらに行こうとすると、息子に止められました。「前の人がいるから」と言うのです。

 そ、そうだよね。並んでいる順にお会計だよね。自分のうっかり加減にあきれるばかり。スーパーでも良くある事なのに、何ですぐにピンと来ないのかなぁ。頭の働きが鈍くなっているのでしょうね。

 上の写真は渡月橋北詰にある『琴きき橋跡』という石碑です。この碑にちなみ、私も世の中を渡るのに子供に物を教えてもらうという心構え、『子にきき橋』を心にかけようと思いましたよ。続く。

「すごい」とは凄さに無自覚なこと

今週のお題「私のまわりのすごい人」

 「すごい人」あるいは「すごいところのある人」、見回すと沢山います。そして、そんな人々に「すごいねー」と言ったなら、ご本人は、「全然すごくなんかない」と真顔で返されるんじゃないかな?

 少し前にヨガ教室で、最後のまとめ(?)として、黙想して「自分で自分を褒める、私頑張ってる、という点を見つけて、二人一組で発表し合って下さい」という先生からの課題があった時の事です。

 私は、よが口火を切るぞとばかりに(ヨガ教室だけに)、「毎日、息子のためにお料理を頑張ってます。自分でも偉いなーと思ってて」と元気に相手に言いました。

 私のお相手は70代と思われる素敵なマダム。個人的な事を伺ったことはないけれど、見るからにきちんとした方。

 いつでも美容院に行きたてのような、明るい茶色のセットされた髪。長年のお手入れの賜物なのか天からの贈り物なのか、白くて艶のあるお肌。体型もキリッと引き締まって姿勢もいい。そして、お洋服はセンスがいいのは勿論、常にパリッと、古びたところが皆無。特に冬のコートは、私の「雪掻きからそのまま来ました」感にたいして、彼女の「この後、デパートに回ります」感。冬のコートの差が出る感じ、女性ならよーくお分かりになるかと思います。

 そんな彼女の口から出た言葉。

「私ね、何にも褒めるところが無いのよ」

 以下、彼女との会話です。

私 「だって、ご主人のご飯支度、されてるんですよね?」

彼女「うん、毎日三食。でも主婦だもの。それが仕事だもの」

私 「三食って凄いですよ!私は昼は作りません。お家も、キレイにされてるんでしょ?」

彼女「掃除は毎日するね。だって主婦だもの。仕事だもの。ずっとそうやってきただけで、何にも自慢になるような事はないのよ」

 その後も、私が何を言っても「主婦だもの」「当たり前の事だもの」と答えるばかりで、褒められるようなことでは無いと言うのです。

 そうかー、本当に『すごい』というのは、その当人にとってはごく当たり前の『日常』になってしまっているということなのね。私が「毎日ご飯作ってる」ことを「凄いなー、私」と思うのは、まだまだ気合を入れないと怠けたくなるレベルだからなのでしょう。毎日するのが当然の家事レベルにまで、体に染みついていないからですね。

 例えとしてあげるのもおこがましいのですが、多分、きっと、おそらく、大谷翔平選手にとって160キロのストレートを投げつつホームランを打つのは、彼にとっては日常の中のある出来事って言う感じなのでしょう。回りが「凄い、凄い」と騒いでも、当人にとっては毎日のトレーニングの延長上の事に過ぎないのかもしれません。凄さに無自覚というか。

 皆さんも、試しに身近の誰かの凄いところを褒めてみてください。きっと相手は「そう?普通じゃない?」と言うと思います。『凄い』ってそう言うことなんです。間違いない。では。

先送りせずに書こうっと。

 私と友人Kには共通した悪い癖があって、それが「先送り癖」だ。

 「さっさと終わらせれば、サッパリするのにね」とか、「何ですぐに取り掛かれないんだろうね」などと、しばしば嘆いたり慰め合ったりする。先日も同じような事を話していたら、Kが思い出したように言った。

 「この前テレビで、先送り癖と脳の関係みたいなのやってて。とりあえず、録画したんだよね。後で見ようと思ってたんだけど、まだ見てなかったー」

 「それ、先送りじゃん」

 二人で大笑い。そして、

 「この話、ブログネタに貰うね」と言ってから十日。やっと今日、書いている。私にしては、早い。先送りして忘れてしまわないうちに書けて良かった。

 綾小路きみまろ氏のネタに

 「忘れないようにとメモをとり、そのメモを忘れ〜」と言うのがあるが、それが笑い話で済まなくなってきた今日この頃。やる事を忘れないためにも、先送り癖は治したい。が。

 「着る物が無くて洋服を買いに行きたいのだが、来ていく服が無い」という笑い話のように、

 「先送り癖を治したいと思いつつ、ついついそれを先送りしてしまう」、そんな私。恥ずかしい。ブログを書きながら、こうして恥もかいているのである。では。

「右」の音読みは「ゆう」

 道後温泉本館には皇室専用浴場がありまして、そこには

 という木札が立っていました。又新殿、ゆうしんでんと読みます。

「これは何という偶然、奇遇であることか!」そう思いました。

 と申しますのは、又という漢字の音読みが「ゆう」であると言うことはほんの少し前に知ったばかりだったからです。

 中国のとっても偉い軍人・張又俠(ちょうゆうきょう)上将が失脚したというニュースを3月頃かな?Youtubeでみまして、その時に「へー、又っていう漢字はゆうって読むんだー」と知って驚いたのでした。

 65年生きていて、初めて出会った読み方に、一ヶ月もしないうちに又出会うなんてね、又だけに。

 で、気になって調べてみたんですよ、『又』と言う漢字について。

 なんでも、『又』は象形文字で、指を出して物を取ろうとしている「右の手」の形を表しているのだそうで、『右』という字の元となっているということでした。そして、『右』と言う字が出来たことにより、『又』は「また」「ふたたび」という意味を持つようになったそうです。

 そうかー、又(ゆう)から生まれた字だから右(ゆう)と読むのかー。そうゆうことかー、スッキリしたー。小学校一年生で習うような漢字でも、結構奥が深いものですね。

 旅先で出会った事でもあり、なかなか感慨深いものがあるのでした。では、又ね。