おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

ウォーキング、始めました

 最近、ウォーキングを始めました。近くにちょっとした公園がありまして、その中をグルグル回っています。この頃は弘前も随分暑くなりまして、日中はちょっと、歩くにはきついのと日に焼けるのが嫌なので、日没の6時半から7時半の1時間をめどに不連続で続けています。

 今日も歩いてきました。以前から公園の中に、二、三人、スマホを持ってたたずんでいるおじさん達がいるな~とは思っていました。今日は金曜の夜とあってか、なんとその人数が10人ほどに増えていました。おばさんの姿も見えました。

 東京辺りの方でしたら、公園に10人程度?それって多いの?と思われるかも知れませんが、多い多い。何してるんだろう?気になって気になって。側を通り過ぎるときはソワソワしてしまいました。

 ほとんどの方がスマホ画面に目を落としてじっと立っている中で、お一人、歩いている方が。その方が私を追い越す際にちょっと目が合ったので、すかさず尋ねました。

 「何をされているんですか」

 「ポケモンです(笑)」

 ああ~、噂の。まだやってるんだ、しかもおじさん・おばさん達が。

 私を追い越していったおじさんは、三人で立っている「仲間」に向かって、嬉しそうに、

 「出ましたよ。向こうの電灯のあたり」と報告していました。報告を受けた三人はたちまち歩き出しました。

 便宜上「仲間」と書きましたが、本当に連れ立ってきている人はいないようで、皆さん言葉少なに、微妙な距離感を保って立ったり歩いたりしています。この公園で知り合った、ポケモン繋がりの他人といった関係のようです。それでも、趣味を同じくする人同士、ぽつりぽつりと会話は続くようです。

 私は一人黙々と歩きながら、「狩猟採集民族のDNA」について思わずにはいられませんでした。ポケモンゴーに夢中になるのは、このDNAのなせる業だろうと思ったのです。狩猟採集とまとめて書きますが、正確には狩猟と採集ですよね。そして、ポケモンゴーには、その両方の要素があるのですから(そうですよね、そういう理解でいいですよね?)人が夢中になるのも、もっともなことです。

 そして、さらに思いました。ただ歩くだけの私と、スマホをかざしてポケモンをゲットする人達、どちらが現代人か?

 答えは当然、私ですね。彼らは狩猟採集という目的がある行動をしている。対して、私のしていることはなんの生産性も無い、「痩せる」「ボケ予防」という現代的な問題に対処するための行動。まさに現代人なわけです。

 「だからどうした」、まあそうなんですけどね。ほら、この年代になるとポケモンより、呆けモンの方が気になるかと思ってさ、ピカチュウより脳卒中とか。では。

人間の大きさ(文字通り)

 家の裏に何本か木が立っています。いかにも新緑の季節!って感じで、若葉が眩しく生い茂っています。

 その若葉の間を小鳥が飛び交います。こんな時、目が良くて小鳥の姿をハッキリ捉えられたらどんなに楽しいだろう。そして、その姿や鳴き声で小鳥の名前を特定できたら、どんなに嬉しいだろうと思います。

 私は電子辞書を愛用しています。字の大きさを自由に変えられるところがなんと言っても便利です。で、今時の電子辞書は驚きの充実メニューで、『新ヤマケイポケットガイド野鳥』も入っています。しかも、音声機能で鳴き声まで聞けるんですよ。

 よく見えない目に必死に小鳥の姿を焼き付けて、その『ガイド野鳥』に当たってみることにします。ところが、しっかり見て覚えたつもりの小鳥の姿も、いざとなると、てんであやふや。これでもないし、これでもない。こっちの様な気もするし、こっちが近いような気もするし。なかなか特定には至りません。

 驚いたのは、「大きさから探す」という検索項目があって、その中に「スズメより小さい」という群があったことです。へー、スズメでも凄く小さいと思っていたのに、スズメより小さい鳥も結構いるんだ。ちなみに、メジロ、ヒガラなど、6羽が収録されていました。

 そして、ふと思ったのが、人間って、動物の中で結構大きいよねって事です。日本限定で考えてみますと、人間より大きい陸上の野生動物って、熊、イノシシ、鹿、カモシカ、そんなもんじゃないでしょうか。人間って、大きいね。

 

 そして、時々目にするネットの記事に思いが至るワケです。「孤独死。死後一ヶ月。異臭とハエで通報」

 ああ、人間って、大きいものねえ・・・。

 一人暮らしが当たり前の今日、孤独死なんて覚悟の上、誰も死に方なんか選べやしない。そう思っています。

 でも、なんとか、ハエが飛ぶよりもハエー段階で「早期発見」されるような手立ては講じておきたいと思うのです。周りがとんでもなくお気の毒ですからね。では。

おばさんのメールときたら・・・

 先日、お友達に注意しました。「推理小説のようなメールを送らないで」と。

 そのお友達から来たメールに、「今は現地です」とあったのです。「どこにいるの?」と返信したら、「家で洗濯中」との返事でした。???そう、彼女は「今は元気です」と打ったつもりだったんです。

 また、会う約束をしたメールには「楽しみにしてあます」とあり、楽しみを持て余してしまうほど、楽しみなの?遠足の前日の小学生かい!と突っ込みをいれてしまいました。

 おばさんになると、なんでこうなんですかね。そういう自分だって、メールは勿論、拙ブログでも打ち間違いや変換ミスはしょっちゅうで、お恥ずかしい。読み直してはいるんですよ。読み直してなお間違うのですから、おばさんの面目躍如といったところです。

 

 30数年前、職場にコンピュータやファックスといった、文明の利器が進出してきました。見たことも触ったこともない機器に、緊張しながらトライしたものです。

 友人が笑いながら自分の体験談を話してくれたことがあります。

 「最初にファックスを使った時、『あら~、紙が戻って来ちゃいました』って言って、周りに爆笑されたの」

 私自身の体験談としては、コンピュータ・ウイルスというものについて、

 「それは誰かがウイルスの入ったフロッピーディスクをこっそり紛れ込ませて、知らないで使ってとか?」と、質問して爆笑されたことがあります。

 

 こうしてみると、私や私の友人達は、おばさんになったからスマホやコンピュータに悪戦苦闘しているのではなく、若いときからどうもそれらとは相性が良くなかったみたいです。

 私たち昭和生まれは、明治や大正の人間を、自分たちとは異なった次元、つまり『昔』の人と捉えていますが、平成や令和生まれにとっては、昭和はじゅうぶん『昔』なのでしょうね。文明について行けていない自覚を持ち、謙虚に学ぶ姿勢を持ちたいものであります。せっかく新しい文明の利器を買ったのに、「楽しみにして、余す」ことがないよう。では。

 

テフロン加工を巡る勘違い

 暇に飽かせて、シフォンケーキを焼きました。(お花を添えて、ちょっと目くらまし効果を狙っています)

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 シフォンケーキは「シフォンケーキ型」という専用の型を使って焼きます。

パール金属 EEスイーツ テフロンセレクト 加工 シフォン ケーキ 焼型 21cm 【日本製】 D-4623

 この型がちょっとお高いんですね。なので、何年も前の事ですが、買おうかどうしようか、随分逡巡していました。買ってはみたものの、うまく出来なかったり、すぐに飽きて使わなくなったりしたらもったいない。そんな時、リサイクルショップで新品が格安で売られているのを発見。すぐに飛びつきました。テフロン加工の立派な型でした。

 ウチに帰って、嬉しさいっぱいのままにネットでシフォンケーキのレシピを調べました。そして、そのレシピにはご丁寧に、型を選ぶ際のアドバイスとして「テフロン加工はだめ」とあったのです。理由は、焼き上がったシフォンケーキは逆さまにして冷ますが、その際、テフロン加工はケーキが型にくっつかず、落下してしまうとのこと。そんな~。買っちゃったもの~。

 こうなったら仕方ない。とにかく焼いてみることにしました。最初の頃はちょっと膨らみが足りなかったり、切ってみたら大きな穴があいていたりという失敗もありました。でも、冷ましている間に落下すると言うことは最初から現在まで一度もありません。そのレシピを提供していた「お菓子研究家」の方は、きっと御自分でテフロン加工の型を試すこと無く、思い込みか又は受け売りで書いていたのだろうと思います。メーカーさんにはお気の毒な事でした。

 

 さて。テフロン加工と言えば、思いつくのはフライパンですね。実は、私もつい最近まで思い込みで、テフロンのフライパンの間違った使い方をしていました。鉄のフライパン同様、まず火にかけて十分熱してから油を入れ、それから材料を入れていたわけです。この、「十分熱する」、つまり空焼きをしてしまうと、テフロンのフライパンの寿命はとんでもなく短くなってしまうのだそうです。中火で少し暖めたら、油、材料をいれる、それが正しい使い方のようです。今度は長持ちさせたいと思います。

 「お菓子研究家」のテフロンに対する思い込みを批判しておきながら、そういう自分も間違った思い込みをしていたわけで、形無しとはこのことです。型を買ったにもかかわらず・・・。

 

 冷ましたシフォンケーキを型から外すときは、いつでもワクワクします。そして包丁でカットして断面を見るときのドキドキ。このワクワクとドキドキが、飽きっぽい私がシフォンケーキ作りは飽きずに続けている理由だと思います。

 さらにもう一つ、シフォンケーキの魅力を。それは材料費がかからないという点です。つまり、けーき・ふけーきに左右されないということなんですね。では。

人間もネオテニー(幼形成熟)だったなんて!

 今日の記事は、カテゴリーこそ「自然科学」としましたが、中身は全くの「思いつくままエッセー」です。ですので、中身を鵜呑みになさらず、軽い気持ちでお読み下さい。(ハッキリ言うと、文責は取らないよという最初からの予防線というか、逃げ宣言です)

 

 昨日(土曜日)の朝、NHKの『チコちゃんに叱られる』と言う番組を再放送で視ました。

 猫は、なぜニャーと鳴くのか?という疑問に対して、次の様な説明がありました。

 猫は子猫の時しか「ニャー」とは鳴かない。親に甘える、つまり要求したり注意を引くために出す鳴き声が「ニャー」である。大人になった飼い猫にとっては、人間だけが甘える対象であるため、人間に対してのみ「ニャー」と鳴くのである。

 このことは、猫という動物は「子ども」の性質を残したまま成熟しているということを示しており、これをネオテニー幼形成熟)という。また、猫がネオテニーであることは、その顔の形や行動にも表れている。子犬が成長するにつれて鼻先が伸びて「大人の犬」の顔に変化していくのに比べ、猫の丸い顔は、子猫から大人の猫になってもほとんど変化が無い。そして、大人になっても一人遊びをする動物は猫だけなのである。

 

 私はネオテニーという言葉だけは前から知っていて、その代表的な動物も、『ウーパールーパー』、と名前を挙げることが出来ます。また、私はきわどい冗談が好きなので「安達祐実ちゃん、ネオテニー」とか言って笑ったりしていました(ゴメンね、ファンの方)

 そしてそんな私も、ここまででも大変驚いたのですが、番組は更に追い打ちを掛けてきました。

 

 チンパンジーとの比較で明らかになったのだが、私たち人間もネオテニーなのである。人間も大人になっても遊んでいる。

 

 えー、私もネオテニーなの?こんなにおばさんなのに?安達祐実ちゃん、あながち間違いでは無かったとは言え、改めてなんだかゴメンナサイね~。

 生物の進化を考えるとき、生存に有利なものが生き残るというのは間違いないようです。ということは、ネオテニーには、ネオテニーである理由があるはずです。先の『ウーパールーパー』については次の様に考えられるようです。

 「ウーパールーパーは両生類なので、本来であればエラを失って陸に上がるはずであった。ところが彼らの生息地はあまりにも過酷な自然環境下にあるため、ヘタに陸にあがるより、水の中で成熟して子孫を残すことにしたのであろう」

 では、私たち人間がネオテニーであるのは?これについて、ざっとネットにあたってみました。そして、次の様に無責任に書くわけです。

 人間の子どもが好奇心旺盛で、「なんで?どうして?」となんでも聞きたがるのは「学習」するためですよね。そして未知のものを探求する「冒険」は、最高の「遊び」です。人間以外の動物は、持って生まれた「本能的行動」だけで、生きるための多くの部分をカバーしています。ところが、人間はそうではありませんね。人間は「一生勉強だ!」と言われるほど沢山の事を学んで、始めて人として一人前になれるわけです。この「学ぶ」意欲を保ち続けるには、子どものような好奇心に満ちあふれ、新しい知識にワクワクするような遊び心が必要です。つまり、人間は生涯を通じて学び続けるために「ネオテニー」の道を選んだのです。

 人類、その中でも黄色人種、分けても日本人は、最もネオテニーの特徴を備えているらしいです。丸く平べったい顔。大きな頭と低めの身長。グループが好き。「カワイー」ものが好き、等々。

 よく言えば「若く見られる」日本人ですが、つまりは「子どもっぽい」ということ、と自嘲するのは過去のものになるかもしれません。なぜなら、「子どもっぽい」とは学習意欲、そして多分能力的にも優れていることの証左となるのかもしれないからです。

 さらに、これからの世の中は「遊ぶ」ということが産業として、ますます重要になっていきます。その時、子ども=遊び、という図式が応用できるなら、日本人にとって得意分野であることは確実と思われます。実際、世界中で日本のマンガ・アニメ・ゲームといった「遊び」が持て囃されたり、オタク・コスプレ・カワイイなどの「若者文化」が大人気なのも、ネオテニー先進国日本に世界が追いついてきたということなのかもしれません。

 昭和世代の「老化」した頭では、あまり明るい将来像は見えない気がする今日です。が、もしかしたら、好奇心と遊び心に満ちた若い人々の手によって、おばさんには思いもつかないような、何か新しい未来が開けるかも知れないという気がしてきました。

 私なぞはもはや幼形では無く、お肉がようけい着いたおばさん体形ではありますが、なんとか人としては成熟して、若い人達の作り出す世の中を見つめていきたいと思いました。では。

二回目の蔦沼

 先週の土曜日は、蔦沼というブナの若葉が美しい森を歩きました。あんまり気に入ったので、昨日、友達を誘ってまた行って来ました。二回目でも同じぐらいの嬉しさがありました。

 途中で、ジジジジ・・・という、先週は聞こえることが無かった鳴き声が聞こえました。「蝦夷春ゼミじゃない?」と言っても、友達は「知らない」というし、私も自信はないのです。でも「蝦夷春ゼミ」だと思うことにしました。

 もし、本当に「蝦夷春ゼミ」だったとしたら、もしかしたらそれは「初鳴き」だったかもしれません。そうしたら、それはとても嬉しく幸せな気持ちになる体験なのですから。

 

 目には青葉山ほととぎす初がつお

 江戸時代の俳人 山口素堂の有名な俳句です。「青葉」「ほととぎす」「初がつお」と、季語が三つも入っており、しかも三段切れという、俳句の定石からはほど遠い句なのですが、広く人口に膾炙し愛されている句ですね。

 意味が分かりやすいこと、初夏の爽やかさ・生命力にあふれる感じに満ち満ちていることなどが理由でしょうか。

 一般には「目に青葉山ほととぎす初がつお」という、きれいに五・七・五におさまった形の方が良く聞かれるようですが、前掲の「目には」が正しい形です。

 私の感覚ですが、一般の「目に」では、青葉・ほととぎす・初がつおの三つが等価で並べられ、三つの事物をただポンポンポンと並べただけの、印象がボケた句になると思うんです。それに対して、もともとの「目には」では、まず真っ先に目に飛び込んでくる青葉の鮮やかな緑が、力強く際立つと思うのですが。いかが。

 

 素堂の句を持ち出すまでも無く、日本人の「初物」「新しいもの」好きはDNAレベルですね。私が今年最初の「蝦夷春ゼミ」の鳴き声を、しかも初鳴きで聞いたかもとウキウキするのも、お分かり頂けるかと思います。

 

 蔦沼散策コースの中間地点を少し過ぎた辺りに、丁度いい東屋がありまして、そこで昼食にする予定でした。ところが、残念なことに団体の先客があり、私たちは軽く休憩だけすることにしました。私が東屋の近くで写真を撮っておりますと、団体さん(全員70代以上と思われます)の中から「どこから来たの?」と声がかかりました。「弘前です」と答えますと、「津軽衆だ」「津軽衆か」と何人かの声が聞こえたので、「津軽美人なんですよ」と答えました。ちょっと受けました。でも、全くの冗談としてでは無く、せめて今年の「初津軽美人」ということで、許容して頂きたいものだと思います。

 面白かったのは、私が「どちらから」とその方達に聞きましたら、「青森(市)だ」という返事だった事です。一応、青森県の中では青森市は「津軽」に含まれるということになっていると思うのですが、先のやりとりでは青森市民は自分たちを「津軽衆」だとは思っていないようです。不思議~。どんだんず~(津軽弁で、どうなってるの?というような意味です。青森市民も使うはずです)

 でも、この「どこから津軽か問題」はあまり突き詰めると、深い「沼」にはまり、蔦のように複雑に事情が絡まってくるかもしれないので、この辺にしておきたいと思います。では。

 

↓ 蔦沼には関係ないのですが。蔦の絡まる建物のガラスに映った津軽富士こと「岩木山」です。弘前市五代にて撮影。

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人類はご飯をもりもりと食ってはならなかったのだ!(NHKスペシャルがそう言ったもん)

 ちょっと目についた、よそ様のエントリーのタイトルを、ちょっと拝借。

 ちょっと関係ない話を一回するのですが、私は自分のブログのことを「拙ブログ」と表現しています。それでいいだろうと、思いこんでいました。でも、私以外にこの言葉を使っている人は知らないし、逆に、「弊ブログ」という方はお二人見ました。どちらがいいのかしら?どっちでも?それともどっちもバツ?とりあえず、私としては「拙ブログ」でいきたいと思っています。

 

 閑話休題

 ご飯をお腹いっぱい食べる。幸せですよね。わかります。じゃあ、食わせろよと。それがですね、12日に放送された「NHKスペシャル シリーズ人体(Ⅱ)遺伝子(2)」によりますと、少なくとも子作りを考えている男性にとって、メタボは大変な敵だということが明らかになったのです。

 

 デンマークコペンハーゲン大学では、「精子レーニング」なるものが研究されています。これは子作りを考えている男性のメタボを改善し、それによって、『精子の中のメタボにかかわるDNAスイッチ』を健康な状態に切り替えるためなのです。

 DNAの2%の部分には生命の設計図がありますが、その設計図をオンにしたりオフにしたりするスイッチが98%の部分に存在するのだそうです。

 例えば、一卵性双生児は全く同じ遺伝情報=設計図を持っています。が、癌を抑制するDNAスイッチがオンになるかオフになるかで、一方は癌になりにくく、一方は癌を発症することになるのだそうです。 

 これまで、精子は受精卵になって変化するため、DNAスイッチの情報はすべて一旦、リセットされると考えられてきました。つまり、親のDNAスイッチは一代限りのもの、子の世代には引き継がれないとされてきたのだそうです。

 ところが、太った男性の精子のDNAスイッチの中には、リセットされないものが、少なくとも二つあることが発見されたのです。その二つとは、「食欲を増す」「脂肪をためる」スイッチでした。これはつまり、太った父親の子は「太りやすい」という性質を持つことになり、それはやがて孫の代に引き継がれ、しかも受け継がれたDNAのスイッチの状態は変化しにくくなり、代々に渡って一生の体質を決定づけることになるのだそうです。

 そこで、精子レーニングです。太った人も、運動などによってDNAスイッチを健康な状態にしうると考えられるためなのだそうです。もちろん、最初からメタボにならないに越したことは無いわけで、人類、特に子作りを考える男性は、ご飯をもりもり食っている場合ではないのです。

 

 親が経験によって獲得した性質や体質が次の世代に遺伝することがあると分かったとの研究成果の報告は、まさに衝撃的なのです。

 山中伸弥先生は、

 「もし、これが正しいなら今までの教科書を大分書き換えなければならないぐらいの驚き」とコメントされました。

 そして、卵子の場合はどうなのかという質問には次の様に答えられました。

  「卵子の場合は精子とは異なる部分があるのですが、例えば、妊娠中に過度なダイエットをすると、生まれた子どもは50年後ぐらいに、糖尿病や心筋梗塞のリスクが高まるということは分かっています。恐らくDNAスイッチが関与しているでしょう。」

 

 番組で、タモリ氏がいみじくも言いました。

 「遺産相続より遺伝相続。これから親になる人は大変だ。」

 そう、欲望のままに、もりもり食ってはいられないのです。んなにったらまえてはいられない!略してDNAなのです!では。