おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

今夜の『ブラタモリ』は「下北半島」。先々週は「恐山」。

 今夜、NHK総合7時30分放送の『ブラタモリ』は、青森県下北半島が舞台です。先週は野球で放送が無かった『ブラタモリ』ですが、先々週は同じく下北半島にある「恐山」が紹介されました。

 「恐山一ヶ所だけで45分の番組がもつのだろうか?」

下北半島出身の私は心配しましたよ。視聴者から、

 「今回のブラタモリはつまらなかった」

なんて声が出たら悲しいですもの。

 確かに、「恐山」は独特の雰囲気が漂う見応えのある観光地(?)だとは思いますが、どうも皆さん「霊場」というものに過度な期待を持ちすぎているように思えるのです、地元民としては。

  昔から、「恐山は日本三大霊場の一つに数えられ・・・」という売り文句は聞いているのですが、後の二つが「高野山」「比叡山」と知ったときは、大変恐れ多い気分になったものです。いやあ、それ程ではないような・・・。

 私にとっては子供の頃から何回も訪れたことのある場所で、新鮮さも驚きも無い所になっていたからでしょうか?

 タモリさんは勿論、視聴者の皆さんにも喜んで頂ける回になるといいなあと、ドキドキしながら視聴していました。

 

 恐山へはお天気のいい日に行くので、いつもスコーンと抜けた青空のイメージ。

 

 番組では、とても話し上手なお坊さんの案内・説明があり、なぜ「恐山」がこれ程深く人々の信仰を集めることとなったかが解き明かされて行きました。

 勿論、専門家による地質学的な解説も有り、地質好きなタモリさんは楽しそうでしたね。

 さて、「地獄」と呼ばれる、上の写真の様な荒涼とした風景を抜けると、突然目の前に別世界が広がります。

 

 

 極楽浜と呼ばれる白砂の浜から宇曽利湖(うそりこ)を眺める景色です。前述のお坊さんが言いました。

 「ここに至りますと、皆さんなぜか大きな声で呼びかけるんですね、お父さ~んとか、お母さ~んとか、亡くなった人に向かって」

 その説明を神妙に聞くタモリさんの表情が(サングラスをしていても)、なんだか印象的でした。誰かを思っていたのでしょうかね・・・。番組の最後に、

 「個人的にまた来たいですね」と(確か)おっしゃっていたのも、珍しいなあと思いました。さすが「日本三大霊場」、「なるほど三大霊場の一つ」と、自信を持っても良いのかもしれません。

 

 番組終了後、視聴者の反応が気になった私は、ネットをのぞいてみました。結果は思った以上に好評のようで、地元出身者としては嬉しかったです。

 そして、そのネットの声の中で、凄く面白くて感心させられ、ちょっぴりしんみりともさせられたものがあったので、紹介したいと思います。

 宇曽利湖の水はとても透き通っていて美しいのですが、その透明度は生き物がいないためなのです。というのは、宇曽利湖の水は強酸性で生物の生育には適さないからです。

 その解説を踏まえてでしょう、ネットに次のような書き込みがありました。

 

 「さんせいの反対なのだ!」

 ?

 すぐには分かりませんでした。酸性と賛成をかけた、ただのダジャレかと思いました。でも少しの間のあと了解しました。

 「ああ、赤塚不二夫、ああ、極楽浜のタモリさん」

 タモリさんには、個人的にひっそりと恐山を訪れて頂きたいものだと、強く思いました。

 皆様も機会がありましたら、来て下さってもよろしくてよ。(令嬢風に書いてみました)

 

 さあ、今夜も楽しみ。二回連続、『ブラタモリ』は『ブラアオモリ』なのです。皆さんも是非是非ご覧下さいね。では。

『敬老会』にて

 あー、疲れたー。午前中、珍しく働いたー。

 今日は敬老の日ですが、我が家が所属する町内会では三年ぶりに、75歳以上を対象とする「敬老会」が実施されました。内容は大幅に縮小され、参加者も30名程度という小規模な催しとなったのですが、私にもお声がかかったのでした。勿論、出席者としてではなく、お手伝いを頼まれたと言うことですよ。狭いご町内のことです、私が暇人であるというのは皆さんご存じのようで・・・。

 

 お手伝いとは言っても、私が頼まれたのは受付と記念品のお渡しという、どうということもない役割でした。働いていた頃も、似たような役割は何度もしたことがあって、ちょっと懐かしい気分になりました。

 でも、面白いものですね。「敬老会」という参加者が高齢者ばかりという集まりになりますと、今まで経験したことの無い、思いがけない出来事に出会うのでした。

 

 先ずは、出足の早さです。「敬老会」は町内の集会所で行われ、皆さんご近所からおいでになるのに、30分も前から続々と集まり始めました。

 《早いなあ。すぐ近くから来るのに30分も前に来るなんて。以前どこかで、年寄りがせっかちなのは先が短くて持ち時間に余裕が無いからだ、と聞いたことがあるけれど、そういうことなのかねぇ》、声には出さない私の心の声です。

 開始10分前で、まだ見えておられない方が数名ありました。そうしますと、主催者側の一人(75歳以上)が「○○さんに電話してみる」と、まだ来ていない○○さんに電話をかけていました。

 《10分前なのに・・・。待てないのは先が、以下略》、私の心の声です。

 その後、一人、二人とおいでになったのですが、ある方が私に次の様におっしゃいました。

 「私は自転車で来たんだけれど、角の手前で△△さんが腰を下ろしていたんだよね。ここに来る途中で休んでるんだと思うんだけれど」

 「分かりました。行ってみます」

 そうお答えして、私は角の向こうに様子を見に行きました。

 △△さんは縁石に腰を下ろしていました。

 「敬老会に行かれるんですよね」

 そう訪ねますと、△△さんはゆっくりと頷かれました。そして、

 「大丈夫だから、先に行って下さい」

そうおっしゃいますが、そうは行かないのです。「ゆっくり休んで、一緒に行きましょう」と、そうとしか言いようがない。相手にプレッシャーになるだろう事は分かるのですが、一人残すなんて出来ないし。

 結局、立ち上がった△△さんと並んで集会所まで歩いたのですが、△△さん、速い、速い。「もっとゆっくりでいいですよ」とお声がけしても、ぐんぐん歩いて行かれるのです。一人だったら、もっとゆっくりご自分のペースで歩かれただろうか。一緒に歩いたために無理をさせたのでは。でも一人には出来ないし。と、色々考えてしまいました。難しいですね。

 それにしても、徒歩圏内の集会所(駐車場無し)まで来るにも、徒歩、杖をついて徒歩、途中に休憩を取って徒歩、自転車、家族の車での送迎と手段は様々で、年をとることもまた多様性を生むのだなあと思いました。

 そして、私の心の声が言いました。

 《なるほど、敬老会に参加できる方でもこうなのだから、人間、最後の最後は『お迎え』が必要になるはずよね》

 さて、参加予定者が全員無事にそろい、会はスムーズに進行されていきました。

 その間、私は会場の外で一緒に受付をした方(Aさん)と少しおしゃべりをしていました。

 私  「欠席の方が無くて良かったですね」

 Aさん「そうだよね。本当はあと二人出席の予定だったんだけど、入院しちゃって出られなくなったんだって。あと、うちの近所で、敬老会の出欠をとった後で亡くなった方があって。欠席で出してたらしいんだけど、もしその方が出席だったら、それも一減だよね」

 私  「敬老会って、無事に出席するまで大仕事ですね」

 

 「遠足は家に帰るまでが遠足です」とは良く聞きますが、「敬老会は、出席して家に帰るまでが敬老会です」そう認識しました。

 そして私がひそひそ話をしたり、くだらないことを考えているうちに、会は無事お開きとなりました。

 何はともあれ、無事に終わった敬老会。コロナ禍をおして出席された皆さんが、久々の再会を互いに喜び合う姿はとても微笑ましいものでした。改めて一日も早く以前の生活を取り戻せる日が来ることを、強く強く願ったのでした。

 

 最後にちょっと訂正です。冒頭に「あー、疲れたー」なんて書きましたが、実はたいして疲れてもいないのです。重労働をしたわけでも無いので。軽労働でしたよ、敬老会だけにね。では。

書かないでいたら、書けなくなった!

 8月をダラダラと過ごしていたら、ブログの更新が全然出来ず、「書かなきゃ」という気持ちはあるものの、腰が上がらないというか、手が動かないというか・・・。

 本当に久しぶりのブログなのです。

 時々は書きたい事が思い浮かんだりもするのですが、そこから「書く」という行動までがなんとも遠くて。とにかく、リハビリのつもりで、何かしら書いていこうと思います。

 

 毎日、ただ漫然と寝っ転がってはテレビを見たりネットを見たり、そういう生活です。寝っ転がってつくものは、「寝癖」と「怠け癖」ですね。

 時々起き上がって、編み物をしたりもするのですが、いずれにしろインドア生活。脚力も落ちた自覚があります。(筋肉が落ちるのって、あっという間ですね)

 テレビでは、NHKの『鎌倉殿の13人』が面白くて、毎週楽しみにみています。毎週毎週、誰かが殺されるという陰惨なストーリーながら、惹きつけられます。今、NHKの朝ドラは『ちむどんどん』というのをやっていますが、それをもじって(つまりダジャレですね)、『鎌倉殿の13人』はネット上で『死ぬどんどん』と呼ばれているのを目にしました。笑いました。

 

 先日、「手伝ってもらえるかな?」と、知人から要請がありました。リンゴ農家を営む知人で、以前から私に出来る作業があるときには、気分転換にお手伝いに伺っていました。

 リンゴの樹の下には頃合いをみて、銀色のシート(通称、シルバー)を敷きます。これは太陽の光を反射させて、リンゴにまんべんなく赤い色を着けるために敷くのです。今回お願いされたのは、そのシルバーを敷く作業の手伝いでした。

 「オッケーです」

 張り切って、午後からリンゴ畑に向かったものの、一ヶ月以上もダラダラと過ごした身、体力が持つだろうかという心配はありました。立ったりしゃがんだりの作業は思ったよりきつく、いつもより早めに休憩にしてもらったりして、どうにか、半日分の作業を終えました。

 「助かったわ~、ありがとう」

 情けない私の作業ぶりにもかかわらず、知人はとても有り難がってくれて、「こんな私でも役に立った、これがホントのシルバー人材だ!」と嬉しく思ったのでした。

 

 リンゴ畑では、そろそろ「葉取り」という作業が始まります。リンゴ畑で日の光を受けながら作業したり、時々はウオーキングをしたりと、外に出て体を動かす時間を作らなければと思っています。

 衰えた脚力も書けなくなった筆力も、とにかく脚を手を、動かさないことには始まりません。脚力は、走るは無理でも、せめて歩くことには自信が持てるよう頑張りたいと思います。ブログも、文章がスイスイ書ける状態を「筆が走る」などと表現しますが、せめて「筆が歩く」ぐらいになるよう、書いていきたいと思います。宜しくお付き合い下さい。では。

補聴器は大型化を目指すべき

 最近立て続けに、補聴器というものについて考える機会がありました。何があったのか、何を考えたのか、箇条書きで並べてみます。

 ・80代の参加者が多い集まりに行ったところ、耳の遠い方ってこんなに多いのね。耳の老化って辛いなあ、改めて実感する。

 ・耳が遠い方も大変だけど、そういうかたに向かって大声で話す方も疲れるなあ。

 ・会話に不自由なレベルなのに、どなたも補聴器は使っていないねえ。

 ・結果、せっかく「集まり」に来たのに、ただニコニコお茶を飲んでいるだけ。それでも(会話が出来なくても)、「集まり」に顔を出したいものなのね。そうかあ、そうよね。

 ・補聴器に対する抵抗感って確かにあるよね。価格の問題もあるだろうけど、「まだそこまで年寄りじゃない」とか「恥ずかしい」とか。

 ・その抵抗感を減らすためなのか、補聴器メーカーって、「目立たない」ことを長所に数えて、小型化を追求してない?それって正解?

 ・当たり前だけど、補聴器って高齢者が使う場合、「物覚えが悪くなっている」「目も悪くなっている」「手先も不器用になっている」、そういう人が使う精密機器なんだよね。

 ・デイサービスとかの入浴介助の際には補聴器を外すでしょ。どこに置いたか分からなくなったり、ちょっと外して無くしたり、そういうトラブルが多いんだって。

        

 以上の様な事を考えていて思いついたことが以下です。

・補聴器は大型化こそ正しい方向ではないか!

・若い人で、町を歩くときもヘッドフォンを着けている人がいるじゃない?あれあれ。あのぐらい大きいヘッドフォン型の補聴器、是非開発して欲しい。

・ヘッドフォン型になれば、紛失の心配は大分無くなるでしょう?大きければ充電式に出来るから、小さなボタン電池を頻繁に入れ替えるという煩わしさもない。

・補聴器が必要な頃には眼鏡も必要になっているでしょう?眼鏡と併用するにも今の耳かけ式よりヘッドフォン型の方が良くない?

・さすがに現在の80代とかはヘッドフォンには抵抗があるだろうけれど、70代であれば、子供や孫から「いいじゃん」とか言われたりして手を出しやすいのでは。

 

 どうでしょう、「耳遠い予備軍」の皆さん、ヘッドフォン型補聴器。

 操作性、利便性、ファッション性、どれをとっても現在の耳かけ式より優れていると思うのです。第一、「目立たない」を目指すなんて、後ろ向きの発想じゃ無いですか。トシをとって耳が遠くなるなんて、全く当たり前の事なのですから。目的は違っても、若者と遜色ない格好いいヘッドフォンをつける生活、良くないですか?

 かつて(昭和40年代頃まで?)は、「女が眼鏡をかけるのは恥ずかしい」という風潮がありましたよね。「男は眼鏡をかけると三分上がり、女は眼鏡をかけると三分下がる」なんて言葉を覚えています。それが現在ではどうですか。似合う・似合わないこそあれ、眼鏡を恥ずかしいと思う人なんてどこにもいないでしょう?

 一日も早く、補聴器というものにもそういう地位を獲得して欲しい。

 「年寄り臭い」とか「かっこ悪い」とか「恥ずかしい」とか、そんな理由で補聴器を忌避して、

 ・人との交わりの機会が減ったり

 ・テレビの音が大きいと家族に嫌な顔をされたり

 ・相手の声が小さいと不機嫌になったり

そういう高齢者になるのは悲しいと思います。一日も早く「格好いい」補聴器が登場して、眼鏡と同じぐらい当たり前に高齢者が使用するようになる、そういう世の中になって欲しい。補聴器メーカーさんには頑張って頂きたいです。

 ヘッドフォン型に限らず、「こういう補聴器がいいな」というアイディアがありましたら、皆さんもどんどん発信していきましょうよ。耳が遠くなる未来は決して他人事では無いのですから。それこそ声を大にして、ね。では。 

追記 書き終わってから検索したところ、ヘッドフォン型の補聴器ってすでにあるんですね。物知らずでお恥ずかしい。でも、さらなる改良と普及を期待する意味で、このままアップしておくことにします。

「手指消毒」について、「へー!」ってなるよ

 昨日の拙ブログにて、母国語も外国語も、聞いたことの無い言葉は聞き取れない、理解できないものだ、というような事を書きました。そして、書いてから気づいたのですが、何も外国語を持ち出すまでも無く、「方言」ってそうですよね。

 私は、難解な方言の部の相当上位に入るであろう「津軽弁」地域に住んでいますが、確かに、他の地域の方は聞き取れないだろうと思うような独特の発音はありますね。テレビのインタビューで津軽弁には標準語の字幕がつくのも、「そうだろうな」と納得です。

 

 さて、話を今日のテーマである「手指消毒」にすすめたいと思います。

 昨日、ブログを書くに当たって「手指消毒」についてネットで調べてみたのですが、驚きの知識をゲットできたのです。皆さんにも是非知って頂きたいと思います。私が読んだ文章はそこそこ長文で、内容も多岐に渡るモノだったのですが、推測で書かれている部分も多かったので、ここでは事実のみをお知らせすることにします。

 そもそも、「手指消毒」という言葉はコロナ以前はあまり一般的ではありませんでした。これは皆さんに賛同して頂けると思います。「手」を消毒する、が最も一般的だったでしょうかね。そして、改めて「手指」の意味を私の電子辞書の広辞苑明鏡国語辞典で調べますと、

 広辞苑  しゅし(手指) 手のゆび

 明鏡国語辞典  しゅし(手指) 《名》手のゆび 「ーを切断する」

 

 そうなんです、もともとの「手指」は、手の指だけを指す言葉だったのです。それが、コロナによって「手指」=「手全体」を表す言葉となったのです。「手指消毒お願いします」と言われて、指だけ消毒する人はいないでしょう?

 そして、この社会状況を鑑みたのか、2020年11月に発行された新明解8版では「手の指。手や指」と説明文が変更されているそうです。

 

 新型コロナウィルスの流行によって、社会にはいろいろな変化が生まれましたが、言葉の意味まで変えるなんて。

 

chokoreitodaisuki.hatenablog.com

 こちらの過去記事では、コロナ禍で「無観客試合」という言葉が使われるようになって、それまではただの「試合」だったのが「有観客試合」と言われるようになったという例を挙げています。

 私たちが気づいていないだけで、私たちの生活でコロナが変えたもの、まだまだあるかも知れません。その変化は今は「手指」の意味の様な小さな「種子」でも、この先思いがけない大きさに育っていくものかも知れません。ちょっと怖い感じがしますね。では。

手指消毒と渡船

 皆さんは、英語は聞く事と話す事と、どちらが得意ですか?「どっちもダメ」、分かります(笑、ゴメン)

 ね〜、中学高校の6年間、私達は何をしていたんでしょうかね。

 と思う私ですが、「聞く・話す」どちらか無理にでも選べと言われたら、「話す」を選びます。理由は、「話す」事は自分の力量の範囲で無理矢理どうにか出来る(かも)だから。

 私が(何回かの挫折を経て)思うに、英語の力って結局「語彙(単語と熟語)」と「発音」だと思うんですよね。言いたい事があっても、「それを英語で何というか」知らなければ、どうしようもない。とにかく知ってる単語を並べるのみ。

 聞くことに至っては、知らない単語は意味どころか、満足に聞き取ることさえ出来ない。手も足も出ない状態です。

 でも、この事は何も外国語に限った事ではないと思うのです。例え日本語であっても、聞いたことのない言葉、知らない言葉は、まともに聞き取れないことがあるのです。

 

 今でこそ一般的になりましたが、一番最初に「しゅししょうどく」と言われた時、皆さんは直ぐにピンときましたか?私は一瞬の間があって、言われている意味自体は理解したものの、「この人は、て、ゆびの消毒と言うべきところを間違って、しゅし消毒と言っているのではないか?」そんな風に思いました。「手指消毒」って、60年生きてきて、その時始めて聞いた言葉だったのですから。

 もう一つ。先日の城崎旅行の折の事です。

 

 

 渡し舟の事でした。玄武洞駅の駅員さんはとても親切で、改札を出る私に声をかけてくれました。

 「とせんの予約はしてありますか?」

 「?」

 私は意味が分からなくて返事ができませんでした。直ぐに後ろから夫が、

 「はい。してあります」と答えてくれました。

 ああ、とせん=渡船、(わたしぶね)ね。飲み込めました。言われてみれば、「とせん」という言葉もありますね。けれども自分の中では、「渡し舟」とばかり思っていたので、本当にポカンとしてしまいました。

 このように外国語に限らず、人間は聞いた事のない言葉には反応のしようがないですよね。結局、人間が言葉を話したり聞き取ったりするためには、「言葉に接する」事が不可欠です。聞く、読むで語彙(発音)を蓄え、その上で話す、書くが可能になると思います。

 日本語を覚えるのも外国語を覚えるのも、結局はどれだけ沢山の言葉に触れるか(学ぶか)なんでしょうね。つまるところ、私が英語が話せず聞き取れないのは、勉強が足りないという一事に集約されるわけですね。

 

 手指消毒と渡船の例をあげた今日のブログですが、「学んでいない言葉は理解出来ない」という趣旨、ご理解頂けたでしょうか。

 「我、この一文を怠惰の反省文とせん」という思いで書きました。以上。では。

お行儀のいいアザラシ

 読者の皆さん、私のブログを読んで下さってありがとうございます。(突然の礼儀正しい挨拶にビックリされました?)

 実は、昨日の記事がなんと!拙ブログ900個目の記事だったのです。2018年の5月から始めたこのブログ、「900個も記事を書いたのかぁ、飽きっぽい自分なのに良く続いている」と、自分でもちょっと感心しています。さらに、自分でも驚いているのが、「私は世界に向けて、900個以上のダジャレを発信したのだ」と言うことです。

 「900のダジャレを持つ女」、それが私です。切りよく「1000のダジャレを持つ女」を目指し、続けて行きたいと思っています。読者の皆さん、どうぞお付き合い下さいね。

 

 さて、今日は私が撮ったアザラシの写真を見て頂きたいと思います。何の意図も無く撮った写真なのですが、見返してみると「アザラシって行儀がいいなあ」と言うことに気づきました。見習いたいものです。

 まずは、男鹿水族館GAOのアザラシです。

 水面に顔を出し、思いっきり空気を吸うと、

 水に潜るために鼻の穴をピタリと閉じる。ずっと直立不動の姿勢。お行儀、良くないですか?

 

 寝そべるアザラシ。気を付けの姿勢で寝ています。注目すべきは、↓

 なんで?なんでそんなに上手いこと脚と尻尾をからめられるの?お行儀良すぎない?

 

 続いて、城崎マリンワールドのアザラシです。

 水面に顔をだしている時、やはり水中では直立。両手をきちんと体の横につけて、お行儀良く直立。

 別なアザラシも、

 まず、このアザラシの顔をご覧下さい。こう言ってはなんですが、悪そうな顔をしていると思いません?それなのに、この「気を付け」姿勢の美しさ。素晴らしいお行儀です。

 なので、こんなことをされている時も、↓

 2頭とも、背筋は真っ直ぐ。

 

 「バケツを持ちなさい」と言われれば、きちんとバケツを持って、その際も脚はきちんと揃えたまま。

 本当に本当にお行儀のいいアザラシ達でありました。

 

 さてさて、最初に書きました通り、拙ブログも1000回の更新を目標に続けていきたい所存なのですが、このアザラシ達を見習いたいものだと思っている所なのです。

 それはですね、私はいい年をしていながら、時々下品な書き方や口ぎたない表現をしてしまう悪い癖があるのです。良くないですよね~。「文は人なり」とか言いますしね。匿名で書いているブログではありますが、節度ある態度でお行儀良くを心がけて続けて行きたいと思っております。これからもどうぞ宜しくお願いいたします。

 (へへ、こういう謙虚な書きぶりで読者の心を掴むって、うまい懐柔策よね。アザラシ=海獣ネタだけにね)では。