おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

国宝・犬山城

 犬山市には『犬山城』がある!

 子供の頃から知っていました。国宝である、ということも知っていました。そして、「国宝である」と知っていると言うことはすなわち、「にもかかわらず、個人の所有である」ということも知っていたと言うことです。夫も、

 「犬山城は個人の持ち物で国宝なんだよな」

と言っていました。私の中では世界の常識と言うことになっていたのですが、違うんですね。友人・知人、皆、知らなかったのです。逆にビックリ。

 

 1537年、犬山城織田信長の叔父によって築かれ、江戸時代初期にかけては城主は目まぐるしく入れ替わる。

 1617年、尾張藩付家老・成瀬正成、将軍徳川秀忠より犬山城を拝領。以降、幕末まで成瀬家が城主を務める。

 明治維新により、廃城。天守を除く大部分は取り壊され、公園となる。

 1891年(明治24年)、濃尾地震により天守は破損。愛知県から修復を条件に旧城主・成瀬家に譲渡され、市民からの義援金により修復なる。

 1935年(昭和10年)、国宝に指定される。昭和27年、規則改正に伴い再指定。

 2004年(平成16年)、公益財団法人犬山城白帝文庫が設立され、犬山城を所有することとなった。

 なお、犬山城は現存12天守の中では最も古いと言われている。

 

 そうだったのか〜、現在では個人の所有ではないのね。そして、平成生まれは「個人所有のお城だった」という事を知らない可能性の方が大きく、犬山城=個人所有という知識は、昭和の一部の人間にしか通じない思い出話なのね〜。認識を新たにしましたよ。

 

 そしてもう一点。認識を新たにと言いますか、「そういうことか!」と、大いに合点がいったことがあるのです。

 私の住む弘前市には重要文化財弘前城があるのです。現存12天守の一つです。桜で有名な弘前城は敷地が広く、膨大な本数の樹木が生い茂っています。人の想像力というものは慣れ親しんだ情報をもとに広がるものだと思うのです。弘前市民が「お城」と聞いて思い浮かべるのは、お堀に囲まれた広大な敷地の中央に建つ天守。これでしょう。そのイメージで、個人がお城を所有すると聞いて思うのは、

 「どうやって?どうやって維持するの?」

 

 かなり失礼な表現とは思いますが、上の写真の門をくぐって、見えている限りが犬山城天守なんです。いや、勿論、立派です。天守という点では弘前城のそれよりずっと立派です。(弘前城は雷で焼け落ちた天守の再建が許されず、櫓(やぐら)という名目で作った天守なのです)

 「そうか、この規模だったのか!」

 勿論、勿論、「お城」の維持管理が経済的にもその他的にもいかに大変なものであるか、誰だって分かります。分かりますが、私の長い間の疑問、

 「お城を個人が? どうやって?」

は、なんだか解決した気がしたのです。全くのしろーと考えであるとは分かってはいるので、お許しを。

 天守からの眺めです。昨日紹介した犬山橋が見えますね。犬山橋には大変面白い発見がありましたが、犬山城でも、とっても面白い発見があったんですよ。でも長くなりましたので、続きは明日にしろということで、お楽しみにね。では。