おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

ひょんな事から『だんだら』

 先日のセーターをほどくという記事に、ブックマークでコメントを寄せて頂きました。

 「昔、母がほどいていたのを覚えている。ほどいた毛糸で手袋を編んでくれたような気もするが、糸の太さが違うので記憶違いかも知れない」

 

 とてもほのぼのとした気持ちになりました。

 セーターをほどくお母さんのお姿が記憶にあると言うこと、それが手袋に生まれ変わった事をなんとなく覚えていると言うこと、わかるなーって思って、見ず知らずの方なのに、同時代を生きていると思い出って共有できるんだなーって、そんな嬉しい気持ちになったのです。

 そして、もう一点。ああ、この方は「男の子」だったんだなー、と言うのも面白い発見だったのです。

 この方の認識の通り、昔のセーターは中細(ちゅうぼそ)程度の細めの糸で編まれているのが一般的でした。対して、手袋は太めの糸で厚く編まれていたはずです。昔の女の子であれば、毛糸は1本で編まれることもあれば、2本どり、3本どりと、ちょうど良い太さになるよう組み合わせて使われると知っていたと思うのです。例外も認めます。

 特に、古毛糸の場合、糸が弱っていたり量的に足りなかったりして、他の毛糸や時には奮発した新しい毛糸と、取り合わせて使われることが多かったと思います。ウチの夫も子供の頃、母親の手編みのセーターを良く着たそうで、次のように言っていました。

 「母親の編むセーターはいろんな糸を交ぜて編むから、いつも似たような色合いのグレー系になるんだよね」

 そして、私も自分の経験に照らして付け加えました。

 「わかる。そして、複雑な模様は出来ないから、糸が足りないときは、だんだら縞にするんだよね」

 

 さて、ここから今日のタイトルの『だんだら』について書いていきます。

 皆さんは「だんだら」あるいは「だんだら縞」という言葉はどういう意味でお使いですか?私は等間隔で並んでいる横縞のことをその様に呼びます。そして、それは正しい使い方なのです。ところが、今の若い人達の使い方は違っているらしいのです。

 新撰組の例の浅黄色の隊服、あの袖口に並んだ三角の連なり、あれを「だんだら模様」と言い、若い人にとっては「だんだら」と言えばそちらの方が一般的らしいのです。

 この事は『だんだら』についてネットで調べて知り、とても驚いたのですが、同時に更なる驚きの『だんだら』の存在も知ることになったのです。

 

ja.wikipedia.org

 

 段駄羅とは石川県の輪島塗職人の間に伝わった、五七五の短詩型の言葉遊びだそうです。「中七」に言葉のもじりを入れて二重に意味を持たせるという、とても高度なお遊びで、職人仕事の片手間に楽しんでいたなんて!ビックリです。

 一例を私の説明付きで紹介しますね。

 「さあ戦 兜をかぶり 高騰し」

  戦を前に、兜をかぶり気持ちが昂ぶっている、という状況でしょう。高騰という語がちょっと不自然ですが、そのワケは、

 「さあ戦、株、十日ぶり 高騰し」

 と、かけるためなのです。良く思いつきますよね。本当に感心しました。

 Wikipediaにはこんな例句がたくさん紹介されていますので、皆さん是非お読みになってみて下さい。

 それにしても、漆塗職人の皆さんも、いい段駄羅が出来たときは、とっても「うるしー」気持ちになったことでしょうね。では。