友人の息子さんの結婚が決まりそうだという、おめでたいお話を聞きました。具体的な事はまだ決まっていないということで、息子さんの事はそっちのけで、「昔の結婚式ってさ」と、おばさん達の思い出話に花を咲かせましたよ。
昔は盛大にやったよね、とか。お仲人さんをたてて、決め酒とかから始めてさ、とか。お仲人さんが居ないのが普通の現在と比べますと、隔世の感がありますね。
帰宅して、ふと思ったんですよね。「お仲人さんの事を、月下氷人(げっかひょうじん)って言うのはどういう故事なんだっけ?」と。すぐにスマホで調べました。そして芋づる式に「運命の赤い糸」に辿り着いたのでした。
月下氷人とは月下の老人と氷上の人を合わせた言葉で、婚姻の媒酌人のこと。
唐の韋固(いご)という独身者が旅行中、月下に赤い紐(ひも)の出た袋にもたれかかり読書する1人の老人に出会った。韋固がその赤紐の由来を問うと、老人は「縁結びの紐で、これで夫妻の足を結べばどんな二人でも、必ず夫婦になるのだ」と答え、韋固の妻を予言した。14年後、韋固は郡主の娘と結婚したが、それは老人の予言どおりの娘であった。
一方、晋代のこと。狐策(こさく)と言う人が「氷の上に立って氷の下の人と話をする」という夢をみた。名高い占い師に尋ねると、「それは縁結びを務めるという夢だ」という事であった。
月下の老人と氷の人の合成語である月下氷人、美しい言葉ですね。涼しげで夏にピッタリな雰囲気もあります。そして、誰もが知っている「運命の赤い糸」の伝説が、こんなところに起因していたなんてね。しかも、驚くべき追加情報があるのですよ。
月下の老人から予言された妻を14年後に娶った韋固でしたが、最初に予言を聞いた時は相手が気にいりませんでした。相手が貧しく醜い三歳の幼女だったからです。では、韋固はどういう行動に出たか。なんと、人を使って幼女殺害を計ったのでした。幼女は一命を取り留めたものの、額に傷が残りました。17歳になったその女の子と結婚した韋固は、額の傷をみて運命の不思議を思い、彼女に過去を打ち明け、二人は仲睦まじく暮らしたそうです、めでたしめでたし。
って、そんなことあるか〜い!
ある意味夏にふさわしい、怪談のような「赤い糸」の起源なのでした・・・。
話はおばさん達のお喋りに戻るのですが、子供の結婚式ともなれば、やはり女親は留袖を着るのだろうという話になりました。その時、私の脳裏にはある鋭い思いつきが閃きました。まあ、ダジャレとも言いますが。
子供が結婚すれば女親は姑(しゅうとめ)になる、だから留(とめ)袖を着るんだね!では。