おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

貧しさが生む「人を思う」一例

 今日のタイトルはなんだか大げさですね。内容はどうと言うことも無い、自慢と思い出話です。

 自慢はこちら ↓

 

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 編み込み模様のミトンを編みました。二年前から編み物を趣味としていて、いろいろ編んでいるのですが、「編み込み模様」は初めてです。何回もほどいて編み直して、小さな物なのに時間がかかりました。

 そもそも、手袋などの二つでセットになっている物は、左右が同じになるように編むのが中々難しいのですが、特に編み込みは難しかった。ちょっとした力加減で大きさが変わってしまうのです。コツを掴むまでしばらくかかり、また、編み図を何回も読み間違えたり、更には糸が太すぎて指定の段数では大きくなりすぎたり。ウンザリさせられたこともしばしば。ちょっと不満もあるのですが、完成まで漕ぎ着けたことで、良しとします。以前の私なら途中で投げ出していたかも。ちょっと成長です。

 この後、紐をつくって左右をつなぐ予定です。子供の頃のように。紐がついていると、はずした時にいちいちバッグやポケットにしまわなくても、拍子木のように首からかけれて便利かと思って。やってみます。

 ※「拍子木のように」って、我ながら喩えに年齢を感じます(笑)。比喩用心、カンカン。

 

 手袋と言えば、大昔、まだ小学生だった私に母や祖母がよく言った言葉があります。それは、「手袋は使わないときは、必ず二つ重ねて折ってポケットにしまいなさい」というものでした。更に続きがあります。

 「そうしておけば、万一落とした時も、拾った人が使えるから」

 若い人やあるいは年配でも、裕福に育った方には信じられないでしょうね、拾った手袋を使うなんて!私でも、今なら気持ち悪いと思いますもの。

 私が育った青森県下北半島にある町は本当に田舎で、田舎だと言うことはつまりは貧しいということです。私が子供だった頃でも相当貧しい地域だったのですから、祖母や母のような戦前・戦中の世代には貧しさが骨の随まで染みついていたのでしょう。

 道で拾った手袋、おそらくは雪の上にあって綺麗な状態で、落とし主が見つかる可能性が無いものは貰って自分で使う、それはそのあたりの住民にとっては共通認識だったのでしょう。

 「拾った人が使える」は、私の祖母や母だけではなく、皆の当たり前の生活の知恵の一つだったのだろう、そんな風に想像するのです。思いやりとか親切とかそんな立派なものでは無くて、生活に根ざした自然な振る舞いに過ぎないちょっとした心遣い。でもその根底には、貧しいからこそ「人を思う」ということがあるのだと、そんな風に思うのです。では。