ヨーロッパを舞台にした童話には、しばしば「森」が登場します。
白雪姫は森で七人のこびとと暮らし、ヘンゼルとグレーテルは森に捨てられ、赤ずきんは森で暮らすおばあさんを訪ねる、といった風に。
私たち日本人にとっては、森イコール山です。森に行くのは猟師や山を越える旅人であって、か弱いお姫様や子どもが行くような場所ではありません。ましてや、おばあさんが一人で暮らすなんて考えられないことで、そのようなおばあさんは、「山姥」と呼ばれる、人ではない存在ですね、日本では。
ヨーロッパの森は違います。ヨーロッパでは森は平地に存在し、村と村とを隔てる境界、つまり、異世界の入り口と言った意味合いを持つ場所なのだそうです。そこには、子どもであっても、容易に足を踏み入れることができます。ただし、「森へ行く」あるいは「森で暮らす」とは、慣れ親しんだ場所から切り離され、不思議の世界に入るという意味を持つことになるようです。
私たちが森を舞台にしたヨーロッパの童話を読むとき、その森のイメージはどうなっていたのでしょうか。例えば、赤ずきん。小さな女の子が一人でお使いに行ける森。おばあさんが一人で暮らす森。にもかかわらず、怖いオオカミが生息する森。考えてみれば実に不思議な場所なのですが、そこはそれ、「外国」だからということで、すんなりと受け入れられたのではないでしょうか。
これに対して、私は子どもの頃、ずっと疑問に思っていたことがありました。それは「アンネの日記」のアンネ達の隠れ家のことです。日本の「家」の間取りしか知らない私にとって、数家族が、しかも近所に知られること無く、長い間隠れ住むことが出来るなんて、一体どうして可能だったのか。本当に不思議でした。ネット時代になって、「アンネの家」の間取り図というものを見ました。それは「家」というより「ビル」と言った方がピッタリくるような建物でした。
長年の疑問が解けた瞬間です。なるほど、これならば何人もの人間が隠れるのも可能なわけです。私の読んだ「アンネの日記」に間取り図が載っていれば、無駄に悩まなくて済んだのに。今はどうなのでしょう。載っているでしょうか。
世界は狭くなったと言いますが、分かっているようで、実は思い込みに過ぎないことはたくさんあります。ちょっとした勘違いが大きな誤解や危険を生むこともあるかも知れません。
「赤ずきん」の物語は、若い女の子がフラフラ出歩いていると、怖い目に遭いますよという寓意を含むらしいのですが、若くない女も、フラフラしていては、怖い目に遭うかも知れません。
「アポ電」なんて怖いニュースもあります。「還暦の赤頭巾」ちゃん、気をつけて、ですよ。お互い用心しましょうね。では。
(高校生の頃、庄司薫氏の作品を夢中で読みました。懐かしい)