おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

瑞巌寺へ

 五大堂から瑞巌寺へと向かいます。

 わー、修学旅行生と入れ違いだー、ラッキー!

 あれ?

 

 門から本堂までの参道、明るくない?普通、お寺の参道って鬱蒼と木々が繁って、昼なお暗くって感じじゃない?

 

 調べて分かりました。

 3.11の津波瑞巌寺境内に至り、塩害によりおよそ300本の杉が伐採され、その後も枯死が続いているのだそうです。

 また、その日は、地元の住民や観光客などが津波を逃れるために瑞巌寺へと走り、総勢300名程を修行道場に受け入れたそうです。

 

 本堂の見学はこちらの庫裏から入って行きます。内部の写真撮影は禁止です。

 使われている部材のあまりの立派さに、いつものクセがでて、「梁がすごいですね、素晴らしいですね」と職員の方に声をかけてしまいました。

 「そうなんです。木材も技術も素晴らしく、あの震災の揺れにも耐えて、屋根の瓦は1枚も落ちなかったのです。さすがに漆喰の壁には亀裂が入って修理しましたが」

というお返事でした。

 避難民300人を守った瑞巌寺なのです。

 

 中門から撮影した本堂。左右の梅の大木も素晴らしく、

 色々な角度で撮影していたのですが、そうこうするうちに、なんだか場違いなエンジンの音が聞こえてきたのでした。

 

 わー、恐い!

 中門(重要文化財)のある塀に向かって、重機がバックして来るのです。しかも、誘導係りの「オーライ、オーライ」がギリギリを攻める感じで。運転の方もさすがにドアを開けて、直接目視でバックしてました。

 また私のクセが出て、

「恐ろしいね〜」と運転手さんに声がけ。

「恐ろしいさ〜」と笑って答えてくれました。

 津波だったり、重機だったり、色々なものが寄せて来て、瑞巌寺も大変です。が、さすが伊達政宗公復興の瑞巌寺。民謡『斎太郎節』で「瑞巌寺ほどの寺はない」と称えられたのも伊達ではないのです。

 さあ、そろそろ帰りの列車の時間です。

 今回は出発が遅くなったのもあり、時間を気にしての見学となってしまいました。次回は是非ゆったりと、名物の牡蠣を頂いたり、遊覧船に乗ったりと、美しい松島海岸満喫の旅をしたいと思います。

 なぜなら、仙石線の車内から初めての松島海岸が見えた時、あまりの美しさに驚いてしまって。名高い松島海岸の美しさにかいがん(開眼)したというわけなのです。では。