おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

家にあれば笥(け)に盛る飯を

 タイトルは万葉集にある有間皇子の歌からです。

 

 家にあれば笥(け)に盛る飯(いひ)を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る

 (家では器に盛るご飯を、旅をしているので椎の葉に盛っている)

 

 今日はお盆のお墓参りをしたのですが、家族がコロナ禍で帰省できないので一人で行ってきました。

 一人ということでいろいろ簡略化し、朝のまだ涼しいうちにテキパキ済ませました。上出来、上出来。帰宅し、お墓から持って帰ったお供えを、遅い朝食としていただきました。レンチンしたパックのお赤飯や、キュウリなます代わりのサラダ、レトルトの里芋の煮物、彩のミニトマトなど、仏様は(あきれて)笑っているかなと思いつつ、「無駄がなくてよろしい」と自分で納得しているのです。

 

 実家は分家だったので仏壇はなくて、子供の頃のお盆の思い出は大好きな母方の祖母を手伝ったり、一緒にお墓参りに行ったりしたことです。私は唯一の女の孫だったので、台所仕事を手伝いました。一方、年長の男の孫たる私の弟達にも、お盆が近づくと祖母から頼まれる大事な仕事がありました。裏山に行って、きれいな山ブドウの葉をとってくることです。

 今でこそ、タッパーや使い捨ての容器など便利で軽い「器」がたくさんありますが、昭和40年代にはまだまだ普及途上だったのだと思います。加えて、祖母は昔(明治生まれ)の人でしたから、昔からのなじんだやり方がしっくり来ていたのでしょう。弟たちがとってきた山ブドウの葉は、「お盆のご馳走」を盛り付ける「器」として使われるのでした。

 赤飯、かぼちゃの煮つけ、キュウリなます、ささげの油いため、ところてん、等々・・・。今思い出しても全然食欲をそそられないものばかりです(笑)。それらが祖母の手によって山ブドウの葉に盛られ、仏壇の前にしつらえられた「お盆の棚」に供えられ、また、お墓にも供えられるのです。

 

 そして、ここからがタイトルに関係する本題なのですが、その山ブドウの葉のことを方言で「けば」と呼んだのです。おそらく漢字では「笥葉」と書くのではないか。根拠はありませんでしたが、学校で有間皇子の歌を習った時から何となくそう思っていました。今回、ネット情報で秋田にも同じ方言があり、「笥葉」と書くという文章をみつけ、意を強くしました。

 

 「盆まででいいから、山さ行って「けば」とってきてけさい(ください)」

 祖母の声が懐かしく思い出されます。

 さて、お墓や盆棚からおろされた祖母の手料理。祖母は、「何でも好きなものを食べて、食べて。遠慮しなくていいから」と孫たちに勧めるのですが、誰も積極的に手を伸ばそうとはしなかったように思います。もともと好みではない「年寄りの食べ物」なうえに、お盆のごちそうはもれなく、暑さで生ぬるいという特典付きなものですから。申し訳なかったなあ、そんな子供の頃のお盆の思い出です。

 

 ちなみに、読書の皆さんに分かりやすいよう、祖母のセリフを「食べて、食べて」のように標準語で書きましたが、実際にはもちろん下北弁です。「食べて」は、「け」と言います。「何でもすぎだもの、。遠慮しねんで」こんな感じです。 

 

 家にあれば「け」と盛る飯を標準語にブログにしあれば盛大に盛る

(家では「け」と言って盛るご飯を標準語にしました。ブログなので盛ってます)

では。