おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

昨夜のテレビは『プレバト』

 時はお盆だというのに、コロナのせいで家族は誰も帰省できず、一人毎日ゴロゴロ、テレビをみて過ごしています。

 昨夜は、毎週楽しみにしている『プレバト』でした。本当なら帰省した家族と一緒にああだこうだ言いながらみて、楽しさも倍増だったはずなのに。特に昨夜の回は水彩画といい俳句といい、傑作名作が目白押しでしたからなおさら残念感が募りました。

 絵に関しては私は全然ダメなので、ただただ出演者の力量に感心させられ、心から羨ましく思うばかりです。絵が描けるって、楽しいだろうなあ・・・。

 では俳句はどうかと言いますと、こちらは少々たしなむのですが、まあ、下手の横好きといった程度です。いえいえ決して謙遜なんかではありません。その証拠はこれから書き連ねる「俳句評」です。まあ、「ただの感想」とも言いますが。私は俳句は「詠む」よりも「読む」方が得意なのです。

 もしも昨日家族と一緒にテレビを見ていたらきっと、

 「お母さん、今の俳句どう、どう思う?どこがいいの?」

と聞かれたと思うので、それにこたえるつもりで書きたいと思います。とり上げるのは梅沢富美男氏の句です。見事、夏井先生から称賛された作品です。

 

 読み終へて痣の醒めゆくごと朝焼け    梅沢富美男

 

 梅沢氏自身の解説は、「一晩かかって本を読み終えて、ふと気が付くと朝。朝焼けが、痣、ほらあのぶつけたときに出来る。最初黒くてだんだん青く黄色くって色が変わるでしょ。あれみたいだなあと。」だいたいこんな感じのことをおっしゃたと思います。

 まず第一にですね、このご本人のおっしゃりたいこと、それが十全に書けていると思うんです。夏井先生もおっしゃっていましたが、「読み終へて」で、一晩中読書をしていたという時間経過と、そして今まさに読み終えたということが分かるわけです。

 目も体も疲れています。でも心には漲るものがあるのです。素晴らしい本を読んだ後特有の。そういう目で眺める朝焼けの美しさはひとしお。窓辺に立った作者は、本の内容を反芻しながら、刻々と移り行く空の色を眺めているのです。

 さて、ここでちょっと想像してみてください。徹夜で読んだその本、いったいどういう内容のものだったと思われますか。

 私はその手掛かりは「痣」という一語にあると思うのです。「痣の醒めゆくごと」は朝焼けの比喩として置かれていますが、作者の心象を表す表現としても機能しています。そういう気持ちだからそう見えたのです。

 面白くて面白くて、途中でやめることができなかった本。でもその内容は必ずしも楽しいものではなっかたのではないでしょうか。重く苦しい、もしかしたら人間の醜さや残酷さを浮き彫りにするような、そんな内容のものだったのかもしれません。後味は決して爽やかなものではなかったけれど、むしろ心に「痣」のように残る読後感だったけれど、それでもこの本に出会えたことに喜びを覚えている作者なのです。そういう満足感で迎えた朝、みる朝焼けなのです。以上。

 

 いかがでしょうか。「面白いです」と仰ってくださる方には、この場を借りてお礼を申し上げたいと思います。あざっす。

 

 とまあ、こんな感じで私の俳句の評はなかなかなんですよ(自慢)。ということで、その私が「下手」と評する私自身の俳句、間違いなくイマイチなんです。残念です。では。