タイトルは正岡子規の句です。この句には子規による前書きがあります。
「母の詞自ずから句となりて」
毎年よ彼岸の入りに寒いのは 正岡子規
何気ない母の言葉が自然に五七五になっていて、面白いと思ってそのまま俳句にしたという由。
「彼岸だというのに、随分寒いな」
「毎年よ彼岸の入りに寒いのは」
こんなやり取りがあったのでしょうね。
この俳句はそんな成立自体に面白さがありますが、なんと言っても「実感」があるという点が見事だと思います。
俳句を読んで、自分の中にうっすら、あるいはモヤモヤとあったものが、くっきりとした形をなしていると、「ああ、わかる」「そうそう、そうだよね」と言う風に、嬉しくなってしまいます。作者と「実感」を共有した気持ちになります。
日常の「あるある」を細やかな視点ですくい上げて、「ああ、わかる」というところまで持って行くのが俳人の腕というものなのでしょう。
私なぞは、「あるある」が「あるあるレベル」で終わってしまうことが、よくあるあるなのです。
それにしても、寒い。春分の日の弘前は大風が吹き、翌日からは雪がちらつくほどの寒さです。春分の日の前後に、あれた空模様になるというのは本当に「あるある」ですね。
『彼岸じゃらく』という言葉があります。ネットで調べましたら、八戸地方の方言とありました。意味は、「彼岸の頃に降る、みぞれ混じりの雪」のことだそうで、八戸地方では、これが過ぎてやっと春を迎える事が出来るといわれるのだそうです。
『彼岸じゃらく』は、亡き母が良く口にしていました。彼岸の頃に天候が荒れるのは青森県では本当に良くあることです。彼岸の荒天を経験する度、窓辺に立って荒れ模様の外を見ながら、「彼岸じゃらくだものなあ」と呟いていた母の姿を思い出します。
『彼岸じゃらく』が本当に八戸地方独自の方言だとしたら、青森県下北半島で生まれ育った母は、なぜその言葉を知っていたのでしょうか。答えは実に単純で、母の母、つまり私の祖母が八戸出身だったからだと思います。祖母から聞いて覚えた言葉が、自然と母の口をついて出たのだと思われます。
『彼岸じゃらく』と母が呟くとき、母もまたその言葉を呟いていた自身の「母」の姿を懐かしく思い出していたのかもしれません。
母と祖母はとても仲の良い親子でした。きっと向こうでも、二人仲良く蓮の葉の上に座っていることでしょう。
『彼岸じゃらく』に邪魔されること無く・・・。
3月23日! 朝七時撮影。起きてビックリの雪景色です。
※最後のオチに、昔の懐かしいCMのダジャレで「じゃらくよ~ん」って入れようと思ったのですが、せっかくいい感じでまとまったので止めました。でも言わずにはいられないので、ここに書きました。私のこの業の深さ・・・。