おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

①6月10日の『プレバト』 紫陽花は「はぜる」のか

今週のお題「575」

  毎週木曜日の夜はテレビ番組『プレバト』を楽しみにしています。先週の梅沢富美男永世名人の俳句がこちらです。

 紫陽花の蒼きはぜるや雨しとど 梅沢富美男

 夏井先生の評は、「はぜる、という語を見つけたところを褒めましょう。でも、「しとど」と「はぜる」が語感の上で喧嘩している。しとどが重い」と言うことでした。

 そして、先生による添削後がこちらです。

 紫陽花の蒼さよ雨にはぜる蒼

  いやあ、凄い!と、先生の添削の業には感嘆しつつ、一点、梅沢句について反対意見を述べたいと思います。それはですね、夏井先生がお褒めになった、「はぜる」という語の是非です。「はぜる」という言葉の語感をどう捉えるかと言うことを書きたいので、結論を言ってしまえば、人それぞれの受け取り方と言うことになってはしまうのですが。

 まず、私が紫陽花という花に対して持っているイメージは、ぼってりとした重量感とあの独特の「青」い色ですね。色については②で書くつもりなので、ここでは「重量感」に絞って書きたいと思います。

 雨に濡れる紫陽花は、涼しげにあるいは寒そうにユラユラと重たげに揺れる、それが紫陽花らしさだと思うのです。ですので、どうも「はぜる」は受け入れがたいのです。しかも、「はぜる」は漢字では「爆ぜる」と書きます。火偏の漢字なのです。栗とか、ポップコーンとかは火の上で爆ぜますね。私の脳内にはそのイメージが強くあるためか、「爆ぜる」という言葉からはオレンジや赤と言った暖色をイメージしてしまうのです。

 勿論、紫陽花の中にはピンクの花色のものもありますし、雨に揺れる様を「はぜるようだ」と思う方もいらっしゃるでしょう。ただ、私の個人的な語感として、「はぜる」は紫陽花を詠むのには宜しくないように思うのです。

 以上、私の「俳句の読み方」を語感ということに触れて書いたわけですが、このように、俳句には「詠む」と「読む」の二通りの楽しみ方があるわけです。今週のはてなブログのお題は「575」で「一句、詠んじゃって下さい」だったのです。が、私はあえて「読んで」みました。なぜなら、詠もうと思っても出来ないから・・・。

 

 ブログネタにも困っていますが、(趣味でもある)俳句にも悪戦苦闘中の私なのです。俳句には、575の型にはまらない「句またがり」(夏井先生がプレバトでしばしば解説されます)という技法がありますが、今の私は、ブログと俳句の二つで苦しんでいる「苦またがり」状態なのでした・・・。続く。