『プレバト』というテレビ番組の俳句のコーナーを、毎週楽しみにみています。披露される俳句も楽しみですが、この番組の面白さの肝は、なんと言っても夏井いつき先生ですね。
俳句は作者がどういうつもりで作ったものにしろ、読む側は読む側で勝手に楽しめばいいわけです。そういう意味では「読み方」に正解は無く、各人各様の解釈・楽しみ方が可能です。でも、作品の質やレベルという「評価」が絡んできたとき、「評」に説得力があるかどうかは「評価する側」の大きなポイントだろうと思います。さらに、「添削」という、恐れ多くも他人の作品に手を入れるという行為を行う場合、作者を納得させるだけの理由をあげられるかどうか、そこは大変重要な事だろうと思うのです。
毎回毎回、夏井先生の評価や添削は凄いなあと思うのですが、今回は特に素晴らしいと思いました。強者ぞろいの作者達も、納得しただろうと思います。
では、二つの実例をあげて、僭越ながら私の感想を述べたいと思います。
鍵盤図弾く兄の背や秋の暮れ 千原ジュニア
夏井先生の評と添削の概要
「鍵盤図がリアルにして健気な感じ。季語「秋の暮れ」の健気さ・切なさ・寂しさが繋がっている。作者の思いは「や」という詠嘆でも、第三者的にはもう少し季語に比重をかけて欲しい。「に」にすると、切なさが「秋の暮れ」の映像に乗っかってくる」
鍵盤図弾く兄の背に秋の暮れ
私の感想
まず、「千原ジュニアは上手いなあ」と思いました。ご本人が最後に「もう少し引くべきやった」とおっしゃっていましたが、俳句に限らず、思い入れが強すぎるとかえって他人に伝わりにくくなったりします。「や」は詠嘆、つまりとても強い思いがこもる助詞です。千原ジュニアの兄を知っている人にとっては「あのせいじが!」となって「や」でも良いと思う(笑)のですが、一般的には小学生が鍵盤図を弾いている図に対して「や」の切字は強すぎるという指摘だろうと思い、なるほどーと納得です。
添削後の、「切なさが「秋の暮れ」の映像に乗っかってくる」という解説もさすがです。鍵盤図を弾いている兄の背を、今、「秋の夕暮れ」という時間・空間が、健気に切なく包み込む、ということですね、夏井先生。
それにしても、豈(あに)図(はか)らんや、せいじが鍵盤図を弾こうとは!
夏井先生の評と添削の概要
「「秋の夜」と「黒鍵のエチュード」の取り合わせが良い。語順を変えた上で、「に」を「を」に。そうすれば、「を」は時間と空間という意味で、秋の夜に、秋の夜長に一生懸命練習していることを表現できる」
「黒鍵のエチュード」秋の夜を挑む
私の感想
「秋の夜」と「黒鍵」の色の響き合いが、しっとりと美しくもロマンチックです。また、夏井先生が度々「経済効率のいい言葉」という表現をされるのですが、「挑む」もそういう動詞だろうと思います。これだけで、難曲であることや作者のピアノに対する熱意などが伝わります。
提出句では、「秋の夜」に難曲を練習しているという、季語が時間帯を表すだけの役割のように思えます。それが、添削後の見事なこと!
秋の夜がどんどん深まって、気温もだんだん下がっていく。もう何時間弾き続けているだろう。でも作者にはそんな事は気にもならない。深まりゆく夜の時間の中で今、自分とピアノだけがそこにある。
こんな感じですかね、夏井先生!
以上、勝手な感想を書き連ねました。私の「俳句のエチュード」の一環と思って頂ければ幸いです。「滑稽なエチュード」かも知れませんが・・・。では。