6年ほど前、知人に誘われて俳句の会に入りました。
昔からなんとなく俳句は好きで、本を買って読んだりはしていました。歳時記もコンパクトなものから立派なもの、そして電子辞書に入っているものと、何種類か持っています。なので、それまでろくに句作もしていなかったくせに、なんとかなるだろう、いや、案外才能があるかもしれないと、生来の楽観主義といいますか根拠のない自信と言いますか、とにかく誘われるままに始めて見たのです。
結果は、うーん、残念。才能なしのようです。
私の所属する会では、月に一度の句会に向けて、作品を五つ提出するのですが、その五つが苦しい。締め切りギリギリになんとか形にして、諦めの境地で提出といったことを毎月繰り返しているのです。
俳句は、自然に生まれるということはほとんどないと思います。作ろうと思って真剣に意識して取り組み、考えて練って、そうやって生み出している、それは私ばかりではないと思います。ただ、その頻度と言いますか、俳句に向ける情熱と言いますか、そういったものが、会の先輩諸氏に比べて自分にはかなり不足していると思うのです。特に句会に出席した後は、先輩方の俳句にかける思いの強さに打たれ、「こんなことではいけない。私ももっと頑張らなければ」と大いに反省するのです。
ところが、やはり生来の性質である「怠け者」の故か、だらだらと日を過ごし、締め切り間際になってあせって取り組むという繰り返しなのです。以前、ブログで「俳句をがんばります」と宣言したこともありますが、恥ずかしながら、口だけ女状態なのです。
さて、今週のお題は「私の勉強法」。こんな私でも、唯一「俳句を勉強している」といえるのが、テレビ番組の『プレバト』をみることなんです。俳人・夏井いつき先生の見事な解説と添削ぶりに、毎週「なるほどなー」と、少しは理解が深まったような気になっているのです。とにかく、夏井先生の理路整然とした説明には納得を通り越して驚きさえ感じている次第です。
問題は、兎にも角にも、私の実作が少なすぎるということです。畳水練という言葉がありますが、いくら理屈がわかっても、実際に俳句が作れなければ何の意味もありません。一ヶ月に五句なんて、とても「俳句やってます」なんて言えたもんじゃない。しっかりしろ、自分!なのです。
今回、この「私の勉強法」というお題で何を書こうか考えているとき、はっと思い出したものがあります。こちらです。
何年も前に買って、本棚のどこかに眠らせているはず。
探したらありました。最初の2、3ページをなぞり書きしただけで、いつの間にか忘れ去っていました。
そうだ、これこれ。これをやれば、芭蕉の『奥の細道』を読むという「俳句の勉強」になり、かつ、字の練習にもなるという一石二鳥。鉛筆を持ったついでに句作にも取り組めば、さらに三鳥。進捗状況や、いいなあと思った芭蕉の句について書けばブログネタにもなり、四鳥目ゲット。いいね、いいね。捕らぬ狸の・・・とならないよう、頑張りたいと思います。
最後に、昨年の私の句で一番評判の良かったものを披露したいと思います。
秋うららヨガ教室で猫になる takako
ヨガ教室が俳句の材料になるなんて、世が世であれば考えられないことですよね。では。