おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

夜の京都

 私、弟、弟の友人と三人で京都の街を歩いた日の夜、夫も合流して四人で夕食をとり、その後ぶらぶら歩きをしていると、三条大橋に至りました。

 鴨川べりには若い人達が楽しげに集まっていて、その光景も「京都らしさ」に溢れていて、四人でしばらく眺めつつ、取り留めもないお喋りをしていました。

 

 「三条大橋って、東海道の終点なんだね。」

 「始点がお江戸日本橋っていうのは知ってるけど、終点は考えたこと無かったなぁ」

 そんな事を話しているうちに、私の記憶の扉がギシギシと開き始めたのです。

 「プレバトで京都の観光ポスターに合わせる俳句っていうお題があったんだよね。その時に千原ジュニアが、「擬宝珠に刀傷がある」って言ってたの、三条大橋じゃなかったかな?」

 スマホって便利ですよね。すぐに分かりました。

  なんでも、三条大橋の西側から二つ目の擬宝珠には、幕末の池田屋事件の際についたと言われている刀傷があるのだとか。

 西側?西ってどっち?こっち?二つ目?一つ、二つ、えっ、ここ?この擬宝珠?

 

 あった〜!刀傷!

 本物の刀傷なのか?

 刀傷だとして、池田屋事件の時の、というのは本当か。

 真偽の程は定かではありませんが、観光客としては大満足の出会いです。

 ちなみに、その時スマホで同時に明らかになった千原ジュニアの俳句というのは、

 初蝶の止まる擬宝珠の刀傷

 

 上手いなあ。

 初蝶の軽やかさと擬宝珠の対比、初蝶という春の季語と刀傷という殺伐としたものとの取り合わせ。それでいて破綻なくまとまっていて。何より「詩心」というものがありますよね。凄いなぁ。さすが、京都が生んだ「ジャックナイフ」と呼ばれた男、切れ味鋭い一句です。刀傷だけに。

 

 三条大橋を満喫し、見事な俳句をかみしめつつ、夜の京都をホテルへと向かって歩きながら考えます。明日はどこへ行こう、何を見よう。ワクワクは止まらないのでした。続く。