おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

必要火急の用事で外出

 もともとド近眼な上に老眼も加わった私は、眼鏡又はコンタクトレンズ無しには、日々の生活が成り立たないのです。

 働いていた頃は日中はコンタクトレンズ、夜は眼鏡というパターンだったのですが、今はほとんど家にいるので、断然、眼鏡派です。眼に負担が少ないのは勿論、「ものを見る」という点においても眼鏡の方がいいのです。

 私は、コンタクトレンズも眼鏡も遠近両用タイプを使っているのですが、眼鏡に比べて、コンタクトレンズの老眼矯正はちょっと弱く、小さな文字を見るときは物足りないのです。

 対して、遠近両用眼鏡は、遠くを見るにはちょっと弱いのですが、家の中であれば不便は無く、手元の文字も見えます。さらに便利なのは、ものすごく小さい物、例えば針に糸を通すとか、そういう時にはド近眼で老眼の私は、眼鏡を外せばハッキリと見ることが出来るのです。素晴らしきかな、老化!

 ところが、つい先日、その大事な眼鏡のレンズが片方、ポロッと落っこちたのです。幸い割れたり傷がついたりはしなかったので、眼鏡屋さんに行って修理してもらうことに。これは立派な、必要にして火急の用事でしょう?ということで、行ってきました。

 修理を待つ間、店内を眺めて過ごしました。お客さんは私一人。地方都市では、眼鏡店にお客さんが一人というのはそれほど珍しいことでもないと思うのですが、お店の方も一人しか見えませんでした。もしかしたら、奥の方にいらしたのかもしれませんが、いつもなら、もう一人か二人姿が見えるのですが・・・。

 

 眼鏡フレームの棚を見ていたら、『鼻パッドのない眼鏡フレーム』というものがあり、ちょっとそそられました。一番の売りらしい、「鼻パッドの跡がつかない」というのはどうでもいいのですが、「鼻の低い日本人でもずり落ちない」というところと、「軽い」というところに惹かれました。次回(何年先かはわかりませんが)、あつらえる際には、選択肢に入るかもしれません。

 そして、軽い驚きがあったのですが、今は眼鏡店で補聴器も扱っているんですね。確かに、眼鏡と補聴器は老人に需要の多いアイテムですものね。眼鏡を買いに来た方に補聴器も売れる可能性、あると思います。

 

 先日、息子その1とテレビを視ていたところ、「歳をとると聞こえなくなる音がある」という内容の番組があり、実際にその音が流されました。

 息子 「聞こえる?」

   「全然聞こえない、ホントに音鳴ってるの?」

 息子 「マジで?鳴ってるじゃん、ハッキリ」

 

 目が悪くなるのは、はっきり分かるのですが、聴覚の衰えは、自分では気づかないのが厄介です。そのため、話しかけられても無視したり、「相手の声が小さい」などと責任転嫁して怒りをぶつけたり。他人にも不愉快な思いをさせてしまうのが困ります。

 知人から、「眼は自分のため、耳は人のためにある」という言葉を聞いたことがあります。名言だなあと思いました。

 

 今日、午前中につけたテレビで、ファーブル昆虫記をテーマにした番組をやっていて、チラ見したのです。番組では、フランス文学者・奥本大三郎氏と昆虫カメラマン・海野和男氏という大の虫好きが、夜の林で鳴く虫を探すというシーンがありました。

 二人は、「カンタン」という虫を探していて、奥本氏が「見つかりますかね?」と尋ねます。私は、海野氏は絶対「カンタンには見つからないですよ」と答えるに違いないと画面を凝視したのですが、その返事は聞かれませんでした。  

 そして、その時音声は様々な虫の鳴き声をにぎやかに伝えていたのですが、お二人は虫の名前を二つあげて(一つは馬追だったかな?忘れました)、「この二つの声は歳をとると聞こえなくなるんですよ。○○の声はもう、ほんのかすかにしか聞こえない」と、そうおっしゃっていました。

 悲しくも、ちょっと美しいエピソードだなあと思いました。悲しいのは、こんなにも虫を愛するお二人が、その声を愛でることが出来なくなるということ。美しいと思うのは、お二人の知性と言いますか合理的態度といいますか、そういった類いの事です。

 人は音が聞こえなければ、その存在は無きものと判断します。自分の聴覚を疑う事無しに。でも、お二人は長年の虫との付き合いで、この環境下で○○や○○が居ないはずがない。鳴いていないはずがない。その声が聞こえないのは自分の耳のせいだと理解しています。いいなあ、こういう態度。こうありたいなあ、そう思いました。

 

 「ひょっとして、聞こえないのは私の耳のせい?」そう感じたら、早めに補聴器を考えるのもいいかもしれません。何事にも慣れは必要ですから、歳を取り過ぎてからトライするより、楽に使いこなせるような気もします。

 私の中の、「補聴器なんて年寄りくさいもの、使いたくない。かっこ悪い」そんな偏見から脱して、眼鏡並に気軽に使えるようになりたいと思います。

 だらだらと書き連ねましたが、今日は、ファーブルの昆虫記から補器に思いを飛ばしてみたのでした。お付き合い頂き、難うございました。では。