急に寒くなって空模様もどんよりしているので、家に籠もって編み物をしています。編み物をする時はド近眼用の眼鏡を外し、裸眼(老眼です)で手許を見ているので、テレビを視ながらと言うわけにはいかないのです。眼鏡を掛けたり外したりの、てんてこ舞いになってしまいますから。
音楽を聴きながらもなんとなく飽きて、ふと思いついて、Youtubeで「朗読」を聴いてみることにしました。これがなかなかよろしくて、特にショ-ト・ショートなどは編み物のお供にピッタリです。編み物は心の中で目数(めかず)を数えたりもするので、集中して聴く必要があるものは向かないのです。めかずとおかずは足りなくなると困りますからね。
そうして手を動かしながら耳を傾けていますと、ほんの時々、本当に、たま~の事なのですが、「漢字の読み間違い」に気付くことがあるのです。一度ならいいのですが、たまたまそれが複数回登場する語だったりすると、そのたびに、お尻のあたりがムズムズする、なんだか居心地の悪い思いがするのです。何でしょうね、この漢字の読み間違いのバツの悪さ。自分が間違えたときも勿論ですが、人の間違いも妙にソワソワした気分になります。そんなかんじがするのは私だけ?
もう一つ。なんとなくムズムズした話です。
こちらは弘前大学構内にある「旧制弘高在校生名簿」でして、旧制弘前高校の在学生5,325名のお名前が刻まれています。その中に太宰治(津島修治)の名前もあることから、太宰ファンの聖地の一つとして人気があるらしいです。しばらく前に太宰治好きの友人に誘われて訪れたのです。
ー 入学者ベースで、卒業者ベースではありません。戦死、病没、思想関係等、がいせんされた方もおりますので ー
このような但し書きがありました。その中の「がいせんされた」の意味が分からず、同行の友人にも尋ねたのですが、やはり「分からない」という返事。
帰宅し調べたところ、キリスト教で(宗派によるのかもしれませんが)、人が亡くなることを「天国に凱旋する」と表現する、ということが分かりました。その「がいせん」なのでしょうね。意味は分かりました。
が、意味は分かりましたが、逆にムズムズするのです。キリスト教の言葉なんだ・・・。まあ、旧制弘高生ではない私が口出しすることではないんですけれどね。
で、これはきっかけで、「がいせん」で思い出した、私自身のムズムズする失敗談です。
随分昔ですが、職場から業者に急ぎの注文の電話を入れた時のことです。外線はゼロ発信だったのですが、ゼロを押し忘れて、相手が電話口に出るや、勢いよく言ったのです。
「こちら○○ですが、スミマセンが急ぎでラーメン一つ」
「笑。ここ、ラーメン屋じゃ有りませんよ。△△室ですよ」
「失礼しました」
若い時分の事だったので、もの凄く恥ずかしかったのを覚えています。天気の悪い日に家に籠もっていると、思い出すのはお尻がムズムズするような失敗談ばかりなのです。では。