おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

お盆とタバコ

 しばらく前の拙ブログで『刑事コロンボ』をみていることを書きました。そして、ドラマの登場人物達がいつでもどこでもタバコ(葉巻)をすっていて、昭和まではタバコが完全に市民権を得ていた、そのことに改めて驚いたと書きました。

 

 ちょっと前テレビで、映画『猿の惑星』をみました。一番最初のやつです。映画の始まりは、いよいよ地球への帰還、これから自動操縦に切り替えるというところでした。船長以外の乗員は既に睡眠状態にはいり、最後の操作を終えた船長もいよいよ睡眠カプセルに入ろうとする場面です。(ここも不思議といえば不思議、帰還という最も緊張を要する瞬間に寝ているなんて!だからあんなことに)

 その最後のセッティングを行う船長ですが、ずっとタバコをくわえたままなのです。宇宙船の中でタバコって・・・。驚きのシーンでした。

 『猿の惑星』と言えば、その奇想天外なストーリーもさることながら、なんと言っても有名なのはあのラストシーンですよね。映画史に残ると言ってもいい、印象的なシーンです。そんな素晴らしいストーリーやシーンを思いつく映画制作者達、つまり素晴らしい想像力の持ち主達でさえも想像も出来なかったのが、今日のタバコを巡る状況なわけです。

 彼らにはタバコが悪者の未来なんて想像の外、猿が支配する世界以上にあり得ないことだったのでしょう。逆に、私が『猿の惑星』の喫煙シーンに驚いたのは、自分が2020年に生きていて、昭和とは大きく扱いが違ってしまった今の状況を知っているからに他ならないわけです。

 

 先日、やはり拙ブログにて今週のお題の「夏うた」というテーマで、井上陽水の『なぜか上海』を紹介しました。Youtubeを貼ったのですが、その動画の陽水氏がタバコをくわえているわけです。

 もの凄く昭和を感じました。タバコの持ち方、タバコの短さ(とても億万長者とは思えない)、タバコをすうことに対する当たり前感。昭和の中年男ってこうだったよなあ、なんだろう、私の感じたものは。郷愁って奴?

 

 昭和5年生まれの父は、10年以上も前に亡くなりました。晩年はタバコは止めましたが、その昔はヘビースモーカーで、一日二箱ぐらいすっていたと思います。

 私の記憶では、ずっとずっと前は何か別な銘柄をすっていて、それが生産終了になって「ハイライト」にかえました。「ハイライト」時代は長かったのですが、いつの間にか「セブンスター」にかえていて、気付いたときはちょっとビックリしました。「セブンスター」はもっと若い人向けというか、なんとなく都会風な感じもして、父には似合わないように思いました。一生すい続けるのだろうと思っていたら、病気をしたこともあって、意外にあっさり止めました。

 思い出してみれば、「ハイライト」をスパスパふかしていた頃が、自営業をしていた父の人生のハイライトだったような気がします。

 「今日も元気だタバコがうまい」という、今だったら考えられないようなタバコのキャッチコピーがありましたが、一面真理ではあったのかもしれません。

 

 最近、お笑い芸人の千鳥・大悟氏が「タバコはかっこいいからすうのだ」と発言し、賛否のうちの否の方が圧倒的に多い状況になっているようです。「タバコをすう姿」がかっこいいかどうかは「人による」部分も大きいと思うので、私はふれません。

 時々よそのお墓や、それからお仏壇にタバコがお供えしてあるのをみる事があるのですが、これはちょっと風情があると思うのです。亡き人の面影がふっと現れそうな気にさせられるというか。

 タバコを供えて貰っている故人は、きっと死ぬまでタバコが止められなかった方なのでしょうから、

 「同じ煙なら、線香の煙よりタバコの方が有り難い」なんてあの世で喜んでいるかもしれませんものね。どうせなら、仏前でならすものも、「チーン」より「ポクポク」の方が喜ばれるかもしれませんよ。モク魚ですからね。では。