今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」
母方の祖母について書きます。祖母は明治43年(1910年)生まれなので、生きていれば110歳ということになります。
私は祖母にとって初孫で、祖母は51歳で本物の「おばあちゃん」になった事になります。ちょっとビックリです。何しろ、今年59歳の私はまだ「おばあさん見習い」と自称しているのですから。
私が物心ついた時には、祖母は見た目も中身も、立派に「おばあさん」でした。まるで生まれた時から「おばあさん」だったみたいに。具体例で近いのは、のび太君のおばあちゃん、あの感じです。
祖母は八戸市内で生まれ育ったのですが、遠縁であった祖父に「見そめられた」様な形で、辺境の地と言ってもいいような「青森県下北郡」に嫁いできました。祖父は大家族の長男だったので、祖母の苦労は並々ならぬものがあったようです。
祖母の最も優れた才能は「聞き上手」ということでした。それは生まれ持った才だったのか、それとも辛い状況を凌いでいくために、知らず知らず身についたものだったのか(きき管理能力ってやつ?)。いずれにしろ、家族・来客の多い家で、いつも穏やかに聞き役に回っていた姿が思い出されます。
お正月など、孫達が祖母の元に集まった時は、昔のアルバムを見せて貰うのが楽しみでした。特に祖父母の若い頃の白黒写真は、まるで時代物の映画の一場面のような古くささで、私たちは驚きと、半分あきれたようなポカンとした気持ちで、ゲラゲラ笑いながら写真を手に取ったものでした。
そんな中の一枚に、とりわけ古い一枚でしたが、4、5人の少女が写ったものがありました。全員着物を着て大きく髪を結い上げて、何かの記念に撮ったような、ちゃんとした一枚でした。
「この写真は誰の?」そう尋ねた私に、祖母は一人の少女を指して、自分だと告げました。
「へえ、若い頃のばばちゃんは、こういう顔だったんだ」そう思いながら、
「あとの女の子達は?誰?」と聞きますと、
「オラの友達さ」という返事でした。
私はビックリして、二の句が継げないといった感じでした。
祖母に少女時代があったという事さえなかなかピンとこないのですが、ましてや「友達」がいたなんて!それも、しょっちゅうお茶を飲みに来ているご近所の婆さん友達ではなく、私たちが使う「友達」と同じ意味の「友達」がいたなんて。
まだ10代だった祖母が親兄弟と離れ、誰一人知った人も居ない、言葉もろくに分からないような田舎に嫁いでくる心細さ。それは容易に想像がつきました。でも、仲の良い友達(それも幼なじみでしょうね)と別れるつらさ、そこまで考えたことはありませんでした。
「友達」という言葉は、なんとなく若い世代だけの概念という思い込みもあったと思います。当時若者であった、自分たちの世界にだけ存在するもの、そんな感覚がありました。なので、祖母に友達がいたという事実にも驚きましたが、それ以上に、祖母の口から「友達」という言葉が発せられたこと、その事が一番の驚きだったように思います。そのせいか、その時の祖母の言葉はいつまでたっても耳の奥にとどまったまま、消えずにいるのです。
「オラの友達さ」
今から100年も前の大正時代のこと。
着物で結髪というなりこそ違え、私と同じように友達とのお喋りに興じる一人の女の子がいた。その風景は、当たり前だけれどなんだか不思議で、そしてどこか哀しくもある、私が描き出す祖母の思い出の一コマなのでした。では。