おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

汚い言葉に慣れたり、慣れなかったり 2

 昨日の続きです。

 

 日本人が英語を話すとき、ネイティブのまともな大人なら決して使わないような4文字言葉やスラングを平気で使い、回りを面食らわせることがしばしばあるとネットで読んだ。

 その理由の一つに、大人になって知った言葉には、子どもの頃から植え付けられたような嫌悪感や拒否感を感じにくいからではないか、と私は考えたのである。

 自分の経験を語りたい。

 

 30年ほど前、親しい同僚と集まった飲み会の席で、津軽出身の年下の女性にクイズを出した。

 「津軽弁クイズです。ふみこさん、くみこさん、かおるさん。この三人に共通した名字はなんでしょうか?」

 相手は降参。私は得意げに言った。

 「正解は馬場です」

 ※津軽弁で「ばば」とは、う〇ち、「猫ばば」の「ばば」ですな。

 相手の女性は吹き出してくれて、そして、笑いながらも困惑の表情で言った。

 「なんでTakakoさんは平気で「ばば」って言えるの?津軽では若い女の子は恥ずかしくて人前で言えない言葉です」

 ああ、そうなんだ。私は津軽弁ネイティブではないので、単に面白い津軽弁としての認識しか持ち合わせていなかった。私にこのクイズを教えてくれたのは八戸市(非津軽弁エリア)出身の男性で、その方もなんと言うことなく「ばば」と言う言葉を口にしていたし。

 ただ思ったのは、「若い女の子は」という限定条件から、津軽弁の「ばば」は標準語の「く〇」に該当するのだろうと言うこと。それなら納得。いくら私でも、人前で「う〇ち」とは言えても、「く〇」は家族の前だって使わないもの。

 言葉にはそれが持つ「意味」だけではなく、微妙なニュアンスもまとわりついている。ニュアンスと言えば、「微妙な」が枕詞か?と言うくらい微妙なものがある。その点で、赤ん坊の頃からその言葉に触れ、様々な場面を経験している土地の人間と、大人になって、ただ意味だけを知った人間とでは、おのずとその言葉に対する感受性は異なるもになるだろう。

 外国語だけでなく、同じ日本でも、ちょっとした言葉の使い方が、意図せぬ印象を相手に与えることがあるのだろう。面白くもちょっと恐いね。

 

 ちょっと一例を挙げたい。日本語には「男言葉・女言葉」があるが、これが以外と根が深いと思うのだ。私は決して言葉遣いのいい方ではなく、「ウチで一番言葉遣いが悪いの、お母さんじゃね?」と、かつて息子に言われたことがあるほどだ。が、そんな私でも、若い女の子が男言葉で話しているのを耳にするとゲンナリする。特に嫌いなのが、女の子が使う「うめえ」。テレビで、女性芸人が何かを食べて「うめえ」というのを聞くと、いやーな気持ちになる。

 テレビの前で、女性芸人の「うめえ」という言葉を聞く度、私はきっと、うめえ干しでも食べたかのような酸っぱい顔をしているに違いない。男性だと気にならないのに。教育とはつくづくと凄いものだ。では。