おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

汚い言葉に慣れたり、慣れなかったり 1

 アメリカの映画やテレビドラマを見ていて、常々不思議に感じていたことがある。作中で、登場人物である子どもが「汚い言葉」を使うことに関して、両親や回りの大人が非常に厳しく注意する場面だ。ここで言う「汚い言葉」とは、「f〇〇〇」とか「s〇〇」等と言った放送禁止用語のことである。

 いわゆる上流階級でのことなら簡単に納得するのだが、どうもそういうことではないらしく、普通、あるいは普通以下の層で、自分はそういう4文字言葉を連発するような父親であっても、子どもに対しては、

 「そんな言葉は二度と使うな!」

といった感じで、厳しく注意するのである。

 

 オードリー・ヘップバーン主演の映画『マイ・フェア・レディ』はみたことはないが、内容は大体知っている。その「大体」で要約すると、当時、イギリスでは人間の階級は「話し言葉」で分かるとされ、貧しい花売り娘が徹底した「美しい話し言葉」教育によって、立派なレディとして認められるというのが大筋だ。

 最近、『フロリダ・プロジェクト』という映画をDVDでみた。主役の若い母親は社会の底辺を生きており、娘を愛しながらも、その生活ぶりは一言で言って、「だらしない」。そして、言葉遣いが最悪。常に放送禁止用語を吐きまくる。

 そんな彼女に呆れたホテルフロントの女性が投げつけた言葉が、

 「なんなの、その言葉遣い!そんな言葉遣いだから、まともな生活も送れないのよ!」

 『マイ・フェア・レディ』のような階級社会ではなくとも、英語圏においては「言葉遣い」は、社会的レベルをはかる一つの指標になっているようで、もちろん日本だって汚い言葉遣いが敬遠されることはあるが、ちょっと比較にならないレベルで顕著なのかも知れない。

 そして大人は、自分自身を棚に上げて、自分が子どもだった時に親や回りの大人に厳しく言われたことをそのまま踏襲して、子どもに接するようなのだ。

 

 最近ネットで目にしたのだが、日本人の英語がネイティブに眉をひそめられることがしばしばあるのだとか。それは、英語の拙さと言ったことではなく、ネイティブのまともな大人なら決して使わないような4文字言葉を連発したり、よほど親しい仲間内でしか使わないようなスラングを得意げに使ったりするかららしい。

 私の読んだ記事ではその理由として、そういった言葉を使うことが、いかにも英語に精通している感を出せるから、という勘違いによるのではないかと述べていた。もちろんそういった理由もあるだろうが、私が思ったのは、大人になってから身につけた言語においては、子どもの頃から骨身に染みている、「汚い言葉」に対する嫌悪感を実感できないからではないかと言うことである。

 

 そう思った理由が書きたくて今日の記事を書き始めたのだが、随分長くなってしまったので、続きは明日に。

 ちなみに、『フロリダ・プロジェクト』、面白いです。お薦めです。子役の演技が凄いの。きっど、驚きますよ、子役だけに。では。