おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

人間もネオテニー(幼形成熟)だったなんて!

 今日の記事は、カテゴリーこそ「自然科学」としましたが、中身は全くの「思いつくままエッセー」です。ですので、中身を鵜呑みになさらず、軽い気持ちでお読み下さい。(ハッキリ言うと、文責は取らないよという最初からの予防線というか、逃げ宣言です)

 

 昨日(土曜日)の朝、NHKの『チコちゃんに叱られる』と言う番組を再放送で視ました。

 猫は、なぜニャーと鳴くのか?という疑問に対して、次の様な説明がありました。

 猫は子猫の時しか「ニャー」とは鳴かない。親に甘える、つまり要求したり注意を引くために出す鳴き声が「ニャー」である。大人になった飼い猫にとっては、人間だけが甘える対象であるため、人間に対してのみ「ニャー」と鳴くのである。

 このことは、猫という動物は「子ども」の性質を残したまま成熟しているということを示しており、これをネオテニー幼形成熟)という。また、猫がネオテニーであることは、その顔の形や行動にも表れている。子犬が成長するにつれて鼻先が伸びて「大人の犬」の顔に変化していくのに比べ、猫の丸い顔は、子猫から大人の猫になってもほとんど変化が無い。そして、大人になっても一人遊びをする動物は猫だけなのである。

 

 私はネオテニーという言葉だけは前から知っていて、その代表的な動物も、『ウーパールーパー』、と名前を挙げることが出来ます。また、私はきわどい冗談が好きなので「安達祐実ちゃん、ネオテニー」とか言って笑ったりしていました(ゴメンね、ファンの方)

 そしてそんな私も、ここまででも大変驚いたのですが、番組は更に追い打ちを掛けてきました。

 

 チンパンジーとの比較で明らかになったのだが、私たち人間もネオテニーなのである。人間も大人になっても遊んでいる。

 

 えー、私もネオテニーなの?こんなにおばさんなのに?安達祐実ちゃん、あながち間違いでは無かったとは言え、改めてなんだかゴメンナサイね~。

 生物の進化を考えるとき、生存に有利なものが生き残るというのは間違いないようです。ということは、ネオテニーには、ネオテニーである理由があるはずです。先の『ウーパールーパー』については次の様に考えられるようです。

 「ウーパールーパーは両生類なので、本来であればエラを失って陸に上がるはずであった。ところが彼らの生息地はあまりにも過酷な自然環境下にあるため、ヘタに陸にあがるより、水の中で成熟して子孫を残すことにしたのであろう」

 では、私たち人間がネオテニーであるのは?これについて、ざっとネットにあたってみました。そして、次の様に無責任に書くわけです。

 人間の子どもが好奇心旺盛で、「なんで?どうして?」となんでも聞きたがるのは「学習」するためですよね。そして未知のものを探求する「冒険」は、最高の「遊び」です。人間以外の動物は、持って生まれた「本能的行動」だけで、生きるための多くの部分をカバーしています。ところが、人間はそうではありませんね。人間は「一生勉強だ!」と言われるほど沢山の事を学んで、始めて人として一人前になれるわけです。この「学ぶ」意欲を保ち続けるには、子どものような好奇心に満ちあふれ、新しい知識にワクワクするような遊び心が必要です。つまり、人間は生涯を通じて学び続けるために「ネオテニー」の道を選んだのです。

 人類、その中でも黄色人種、分けても日本人は、最もネオテニーの特徴を備えているらしいです。丸く平べったい顔。大きな頭と低めの身長。グループが好き。「カワイー」ものが好き、等々。

 よく言えば「若く見られる」日本人ですが、つまりは「子どもっぽい」ということ、と自嘲するのは過去のものになるかもしれません。なぜなら、「子どもっぽい」とは学習意欲、そして多分能力的にも優れていることの証左となるのかもしれないからです。

 さらに、これからの世の中は「遊ぶ」ということが産業として、ますます重要になっていきます。その時、子ども=遊び、という図式が応用できるなら、日本人にとって得意分野であることは確実と思われます。実際、世界中で日本のマンガ・アニメ・ゲームといった「遊び」が持て囃されたり、オタク・コスプレ・カワイイなどの「若者文化」が大人気なのも、ネオテニー先進国日本に世界が追いついてきたということなのかもしれません。

 昭和世代の「老化」した頭では、あまり明るい将来像は見えない気がする今日です。が、もしかしたら、好奇心と遊び心に満ちた若い人々の手によって、おばさんには思いもつかないような、何か新しい未来が開けるかも知れないという気がしてきました。

 私なぞはもはや幼形では無く、お肉がようけい着いたおばさん体形ではありますが、なんとか人としては成熟して、若い人達の作り出す世の中を見つめていきたいと思いました。では。