おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

二回目の蔦沼

 先週の土曜日は、蔦沼というブナの若葉が美しい森を歩きました。あんまり気に入ったので、昨日、友達を誘ってまた行って来ました。二回目でも同じぐらいの嬉しさがありました。

 途中で、ジジジジ・・・という、先週は聞こえることが無かった鳴き声が聞こえました。「蝦夷春ゼミじゃない?」と言っても、友達は「知らない」というし、私も自信はないのです。でも「蝦夷春ゼミ」だと思うことにしました。

 もし、本当に「蝦夷春ゼミ」だったとしたら、もしかしたらそれは「初鳴き」だったかもしれません。そうしたら、それはとても嬉しく幸せな気持ちになる体験なのですから。

 

 目には青葉山ほととぎす初がつお

 江戸時代の俳人 山口素堂の有名な俳句です。「青葉」「ほととぎす」「初がつお」と、季語が三つも入っており、しかも三段切れという、俳句の定石からはほど遠い句なのですが、広く人口に膾炙し愛されている句ですね。

 意味が分かりやすいこと、初夏の爽やかさ・生命力にあふれる感じに満ち満ちていることなどが理由でしょうか。

 一般には「目に青葉山ほととぎす初がつお」という、きれいに五・七・五におさまった形の方が良く聞かれるようですが、前掲の「目には」が正しい形です。

 私の感覚ですが、一般の「目に」では、青葉・ほととぎす・初がつおの三つが等価で並べられ、三つの事物をただポンポンポンと並べただけの、印象がボケた句になると思うんです。それに対して、もともとの「目には」では、まず真っ先に目に飛び込んでくる青葉の鮮やかな緑が、力強く際立つと思うのですが。いかが。

 

 素堂の句を持ち出すまでも無く、日本人の「初物」「新しいもの」好きはDNAレベルですね。私が今年最初の「蝦夷春ゼミ」の鳴き声を、しかも初鳴きで聞いたかもとウキウキするのも、お分かり頂けるかと思います。

 

 蔦沼散策コースの中間地点を少し過ぎた辺りに、丁度いい東屋がありまして、そこで昼食にする予定でした。ところが、残念なことに団体の先客があり、私たちは軽く休憩だけすることにしました。私が東屋の近くで写真を撮っておりますと、団体さん(全員70代以上と思われます)の中から「どこから来たの?」と声がかかりました。「弘前です」と答えますと、「津軽衆だ」「津軽衆か」と何人かの声が聞こえたので、「津軽美人なんですよ」と答えました。ちょっと受けました。でも、全くの冗談としてでは無く、せめて今年の「初津軽美人」ということで、許容して頂きたいものだと思います。

 面白かったのは、私が「どちらから」とその方達に聞きましたら、「青森(市)だ」という返事だった事です。一応、青森県の中では青森市は「津軽」に含まれるということになっていると思うのですが、先のやりとりでは青森市民は自分たちを「津軽衆」だとは思っていないようです。不思議~。どんだんず~(津軽弁で、どうなってるの?というような意味です。青森市民も使うはずです)

 でも、この「どこから津軽か問題」はあまり突き詰めると、深い「沼」にはまり、蔦のように複雑に事情が絡まってくるかもしれないので、この辺にしておきたいと思います。では。

 

↓ 蔦沼には関係ないのですが。蔦の絡まる建物のガラスに映った津軽富士こと「岩木山」です。弘前市五代にて撮影。

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