私たち青森県人のように、日常的に方言を話していると、ある言葉が「方言」なのか「標準語」なのか、分からなくなることがあります。
例えば、大分前に書いたことがあるのですが、息子その1の場合、漢字のテストで「熟れる」に「じゅくれる」とフリガナをふって、×をもらってきたことがあります。彼は、
「お祖母ちゃんやお母さんが、じゅくれるって言うからそう書いた。お母さん達のせいだ」と激オコでした。ちなみに、私の故郷では言いません。私には姑からうつったのだと思います。
また、下の記事は2月16日に書いたものですが、この中に「雪がかぶさって」という表現があり、知人から、
「かぶさるって、津軽弁だと思ってた。標準語なんだね。そう言えば、覆い被さるって言うもんね」と、言われました。
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私自身も、先日の「トレビの泉の凄腕スリの話」の中で、
「絶対にすられるって、私たちの前世は生姜か大根か」と書きました。
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そして、今になって気づいたのです。「生姜や大根をする」って、方言だ!と。標準語では「摺り下ろす」ですよね。そのために使うのは「おろし金」だし、完成したものは「おろし生姜・大根おろし」。すり鉢で「摺る」のはゴマやとろろ芋ですよね。
以前、息子その1に言われたことがあります。
「お母さんの言葉って、津軽弁でもないし、下北弁でもないし、標準語でもないよね。だからどこにいても、訛って聞こえるね」
自分では、話すときはともかく、書き言葉はそれなりに標準語だと思っていたのですが、我知らず、方言混じりで書いていたりするんですね。
これが若いときなら、
「ギャー、恥ずかしい」となったのでしょうが、
「まあ、それも味わい」なんて開き直れるのが年の功と言いますか、おばさんならではなのでしょう。
年をとってなまるのは、体だけではないようで。では。