おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

「キラキラ」ではなく、「ギラギラネーム」のこと

 「キラキラネーム」を本人の意志で改名したというニュースがありました。それで思い出したのが、30年以上も前の改名のニュースです。

 

 「田中角栄」君と名付けられた小学生の男の子が、「ロッキード」などとからかわれ、精神的苦痛が大きいために中学入学前になんとか改名したい、という願いが認められたというニュースでした。

 その子が生まれた頃の「田中角栄」はカリスマ的人気の内閣総理大臣だったわけです。それが一転して刑事事件の被告人となり、その子の名前は、からかいの種になってしまったという、急転直下ともいうべき出来事があったわけです。

 

 親というものは、「子どもの幸せ」を願って名前をつけるものですが、その「幸せ」の内容が千差万別なわけですね。

 歴史上の人物や偉人、スポーツ選手や芸能界の大スターなどにあやかるのは、一言で言えば人生の「成功」や「出世」を願って、ということかと思います。

 そういう名前は「キラキラネーム」というわけではなく、野心的なネーミングと言うことで、「ギラギラネーム」と言ったところではないでしょうか。

 個性的であること、唯一無二であること、最上級の意味を持つこと。そういった事に「幸せ」を感じる価値観で名付けられるのが、今風の「キラキラネーム」かと思います。

 

 昭和ヒトケタ世代の親に名付けられた私たち世代は、だいたい似たり寄ったりの、ありきたりな名前が多いですね。その頃は、あまり立派な名前をつけるのは恥ずかしいという意識があったようで、それが証拠に、「名前負け」という陰口がありました。落語の『寿限無』にも、奇をてらった名前は慎むべきであるという教えがありますね。

 こういった、平凡を良しとする価値観は、年をとるとしみじみと納得されるのですが、若い時はやっぱり他とは違う「珍奇」なものを好みますね。

 私も32歳で息子その1を生んだので、決して若いお母さんというわけではなかったのですが、息子の名付けはやっぱりこだわりましたね。珍しい名前ではありませんが、ありきたりでは無い名前をつけたと思っています。幸い、親子共に気に入った名前なので満足していますが、舞い上がりすぎて「キラキラネーム」をつけていたら、今頃はどうだったでしょうか。

 可愛い赤ちゃんの我が子も、いずれは30歳にも40歳にもなると言うことを考えて、名前はつけたいものです。

 

 名付けに限らず、子育て全般、「若さゆえ」の後悔がいっぱいあって、今の、少しは分別のついた自分でやり直すことが出来たらと思ったりもします。が、分別がついた分、たとえ子育てをやり直しても、結果は大して変わらないであろう事も予想がつくので、やっぱりいいやと思い直したり。あきらめも大事と、うなづける私です。