おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

「純」と「真」 1

 今日のタイトルはなんだかNHKの朝ドラみたいですが、最近、Eテレの番組で、この二つの字の使い方で面白いと思うものがあったので、2回に分けてご紹介したいと思います。今日は「純」の巻です。

 

 スイッチインタビューという番組で、糸井重里氏が芦田愛菜氏と対談していました。

 糸井氏は外食するとき、相手が奥さんの場合は、食事中会話をしないのだそうです。黙って食べることに集中するのだそうで、これを純食事と呼んでいるとの事でした。

 

 「人と食事すると、しゃべることに気をとられてしまって、何を食べたか覚えていないことがあるんだよね。あれっ、俺、昆布締め食べたっけ?みたいな。でも、奥さんとだと、あの昆布締め美味しかったねって、ちゃんと料理が記憶にあるんだよね。これを純食事って言ってるんだけれども」

 この「」内は私の記憶で再生しているので、不正確な部分もありますが、糸井氏のおっしゃりたいことは伝えられていると思います。

 

 糸井重里氏と言えば、改めて言うまでもなく『言葉の天才』ですが、上の何気ない発言も凄いです。「食べる時は食べることに集中して、しっかりと味わう」ことを純食事と名付けたわけですが、凄いですよね。日常の言葉が糸井氏にかかると、たちまち特別な言葉に変身してしまうんですよね。

 純食事は、こんなところでさらっと披露してしまっていいの?と思うような傑作だと思うのです。『食育』とかのポスターのコピーとして使えそうじゃないですか。

 それから、もう一点。

 美味しいものの具体例として選んだのが『昆布締め』!

 会話の中で瞬間的に選び取ったのが『昆布締め』というこのセンス!美味しくて、それでいて気をつけないと印象に残らなくて、野暮ったくもないが気取りすぎでもなく、ありきたりではないが高級すぎもせず、なおかつ年齢的にピッタリ。このチョイス、センスあり過ぎ。

 

 コピ-ライターとしてあまりにも有名な糸井重里氏ですが、作詞家としての顔もお持ちなのはご存知ですか?たくさんのヒット曲がありますが、私はなんと言っても、沢田研二歌唱『TOKIO』の歌詞をイチオシします。あれはアラカン世代には泣ける歌詞ですね。

 久しぶりに聞きたくなった方はyoutubeなどでどうぞ。〇〇しながらではなく、聴くことに専念して歌詞を味わって欲しいです。純食事のように。

 では、『TOKIO』で素敵なひとときを