おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

漱石と四迷にシンパシー

 昨日は標準語の歌を津軽弁の替え歌にすることの難しさについて書きました。中でも、津軽の生活圏には存在しない物を、どのように表現すればいいのか、これは本当に難しい。結論としては、作者の意味したいところをくみ取って、意訳するしかないのではないか、そう思いました。例えば、『木綿のハンカチーフ』の三番に

 

 木枯らしのビル街~ 

 

 というフレーズがあるのですが、木枯らしは太平洋側に吹く風なので、津軽ではあまり認識されることは無く、ましてやビル街に至っては、「何それ?」。

 じゃあ、そのまま「木枯らし」「ビル街」でいいんじゃないの、そう思われるかも知れませんね、都会の方は。お言葉返すようですが、それじゃあダメなんですよ。

 自分達が決して口にしないような標準語が、「津軽弁の文脈」の中に登場すると、津軽人は、なんとも言えない居心地の悪さのようなもの、お尻がムズムズするような、そんな感じがして落ち着かないのです。そして、その居心地の悪さから逃れるため、ついつい

 「おろ~、東京の人だけんたな」(まあ、東京の人のようね)

 などと言った、からかいの言葉を発してしまったりするのです。そこで、私は頭をひねり、次の様に意訳してみました。

 木枯らしのビル街~ 

    ↓

 風、たんげ 寒びべさ (風は相当寒いでしょう)

 ここは地域限定の読者にお尋ねしたいと思います。津軽の皆様、如何でしょうか。

 

 さて、これから書く事は非常に僭越で有るとの自覚はあります。でもどうしても書かずにはいられないので、読者の皆様はどうぞ苦笑しつつお読み下さい。

 私は上に書いたような、「日常に無いものを、どの様に自分達の言葉にするか」という問題に取り組んだわけですが、その時思い浮かんだのが夏目漱石二葉亭四迷でした。

 「I love you」と夏目漱石

 学生が「I love you」を「我、君を愛す」と訳したところ、漱石は「日本人はそんな事は言わない。月が綺麗ですね、とでもしておきなさい」と言ったとか。

 「Yours」と二葉亭四迷

 ロシア語の小説を翻訳していた四迷。女性が男性に向かって、英語で言うところの「Yours(あなたのものよ)」と囁いたわけです。四迷の訳は「死んでもいいわ」。

 

 分かる~、分かるよ~、漱石~、四迷~。「君を愛す」とか「あなたのものよ」とか、言わないわよね~。

 百歩譲って、言う方はまだしも(舞い上がってるからね)、聞かされる方はたまらない。もぅ背中が痒くなるというか、お尻ムズムズというか。

 読む人、聞く人に違和感の無い訳を心がけるのは、外国語から日本語への翻訳も、標準語から津軽弁への訳も同じなのだなと、そう思いましたね。

 漱石も四迷も私と同じ苦労をしたんだなあと、たんげ、なこなこしい気持ぢさなったネハ。(大変親しい気持ちになったのです)

 ね、最初にお断りしたように、僭越な話だったでしょう。でもどうか、四迷が自らを罵った「くたばってしめぇ」(筆名の由来)のようなお気持ちにはなりませんよう、そうお願いして、おしめえにしたいと思います。では。