おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

岩木山登山 小雨決行 1

 26日、日曜日。

 所属する山のグループの岩木山(1625M、青森県最高峰)登山予定日でした。参加しようかどうしようか随分迷いました。でも、「自信が無くて・・・」と人に話している内に、「じゃあ、いつになったら自信がつくんだ?」という自分突っ込みが入り、「そうだ、今が一番若い自分だ。今頑張らなくてどうする」。決心しました。それからは毎日天気予報をチェックし、不安と期待でドキドキしながら当日を待ちました。

 前日リーダーさんから連絡があり、天気予報があまり良くないので、出発時刻を1時間早めて7時出発とする、雨具を忘れずにということでした。日曜日の弘前市の予報は午前中曇り、午後からは雨というものでした。昼まではもって欲しい、強く強く願ったのですが。

 どんよりと霧が立つ中、嶽温泉を出発して10分ほどもたったでしょうか。ポツンポツンと雨粒が落ちてきました。あ~降ってきたか~、辺りには雨粒の音が賑やかに響き始めました。ところが、私たちの体には雨はあまり当たらないのです。それは私たちの頭上に枝を伸ばすブナ林のお陰なのでした。

 雨中の登山なんて嫌だけれど、こんな風にブナ林に守られる感じとか、大の大人(しかもおじさんおばさん)が、雨でズルズルで岩がゴロゴロの道を好き好んで行く酔狂さとか、こういうのも家に居ては経験できない面白さだよな~と、まだまだ余裕の私です。

 「もう少し雨が降ってくると、ブナの幹を水が流れるのが見えますから」先導役の方の言葉です。

 ?、?、?。何を言っているのか意味が分かりませんでした。まあ、その内に分かるだろうと思いながら歩を進めました。雨脚も次第に強くなってきて、「ブナの傘」も心細くなってきました。

 「じゃあ皆さん、上だけでいいのでカッパを着て下さい」

 そうですね、いくらブナ林でもその方がぶなんですね。

 先導役の方は分かりやすく「カッパ」と言いますが、皆さんちゃんと山用のレインウエアです。私も昨秋買って、今日がデビューです。レインウエアは、雨は通さず中の蒸気は逃がすという高機能がうたい文句ですが、やっぱり暑い。いわゆる蒸し風呂状態ってやつです。

 「結局、雨で外から濡れるか汗で中から濡れるか、なんですよね」

 リーダーさんの仰るとおり、顔も体も自分の中にこんなに水分があったかと驚くほどの汗です。もともと暑さに弱い質で、レインウエアを着て、暑さと格闘しての登りはきつかった。やはり止めておくべきであったか、いつも通りちょっと後悔の念が芽を出し始めました。

 

 「ほらみて下さい。ブナの木の、水の流れがハッキリ見えるでしょう」

 

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 写真が下手なのですが、写真真ん中あたりの幹と空の境目を、水が勢いよく流れているのがお分り頂けますでしょうか。先導役の方が仰る「水の流れ」です。

 家に帰ってからネットで調べますと、これは「樹幹流(じゅかんりゅう)」と呼ばれるもので、ブナ特有のものらしいです。

 ブナは、葉も枝も幹に向かって雨を集めるように茂っていて、その集められた雨水はブナの滑らかな幹を、樋を伝わるように流れ落ち、自分の根元へと水を集中的に落とし込むのだそうです。「緑のダム」ともいわれるブナ林の、豊かな保水力の秘密の一端がここにあります。

 

 実際にブナの幹を流れ落ちる水をみると(詳しいことは調べるまで分かりませんが)、ブナはこうして水を集めているのだろうという想像はつきます。その清浄な美しさと神秘的な感じにハッとすると同時に、自然の仕組みに感心させられるのです。

 そして、ここでいつもの「来て良かった」という思い直しが始まるのですが、今回はさらに「雨の日も悪くない。雨で無ければ見られないものが見られた」も加わりました。

 取りあえず8合目まで、8合目まで頑張って、その先は8合目で考えよう。頑張れ自分。続く。

 

↓ 熊の噛み痕のある道標。熊に遭遇したら、くまっちゃうなあ~♪

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2月の自分が7月の自分にエール

今週のお題「2020年上半期」

 

 2020上半期はコロナに始まり、そして下半期もコロナにくれていくのでしょう。

 

 2月の中旬頃だったと思うのですが、猛烈に手仕事がしたくなりました。新型コロナウイルスのせいで気分が落ち込み、でもこんなことで精神的に参ってはいけないと何かやりたいと思ったのです。

 実は、やろうやろうと思いつつ頭の中であれこれ思い描くばかりで、実際には見て見ぬ振りをしていたワンピースが3枚もあるのです。どれも気に入っているものばかり。でも丈に問題があるのです。なぜ今まで直しをしていないかというと、我慢すれば着られるから。でも、そんな気持ちで袖を通しても楽しさはないし、実際にその3枚は出番が少なくなっていました。

 一昨年の夏までは通勤やお出かけに着ていたワンピース。でも洗濯機で洗えるものばかりだから、着丈を直して今年の夏は普段着でガンガン着るぞ!そう決心して取りかかりました。

 一着目は簡単なのです。長すぎる着丈だったので、余分な長さを切って裾をまつれば完成。終わってしまえばどうと言うことも無い作業なのです。なんで取りかかるのはあれほど面倒なのか。いつも思うことです。

 

 二着目、三着目は難しい。なぜなら着丈が短いから。別布を足して長くしなければならないのです。

 別布は買わずに済ませたい。お金をかけたくない。手持ちの布でどうにか、どうにかならないか。今までは頭の中だけだった作戦を、あれこれと手持ちの布や古着(いつかリメイクしようと捨てられないでいるのです)を持ち出して行動に移しました。

 やっぱり、実際に手を動かすって大事ですね。「よし!」と思う組み合わせが決まり、いろいろ工夫もして、最後は「どうせ普段着なんだから自分が良ければそれで良し」と自分を鼓舞し(開き直りとも)、完成に漕ぎ着けたのです。

 

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左は紺色の無地に茶系の柄物をプラス。右は別布を裾に足すのではなく、もとの生地で挟みました。


 ちょうどこの一連の作業に励んでいた頃、他県に単身赴任中の夫から電話がありました。お互いの近況報告で、私はワンピースのリフォームをしていることを言い、続けて次のことを言ったのです。

 「でも、最近の中国のコロナのニュースをみていると、今年の夏まで私は生きて、このワンピースを着られるのかなって思う」

 夫は驚いたようで、「そういうことは言わないように」とたしなめられました。

 

 あれから半年がたち、とりあえず私は元気です。先日はリフォームした1枚を嬉しく着て友達に会い、さんざん自慢をしたところです。

 それにしても、本当なら今頃はオリンピック一色の日本だったはずなのに、なんという現実でしょう。私の生活はもともとがスティホームだったのですが、それでもやはりコロナの影響は大きく受けています。

 例えば。

 上に夫は単身赴任中と書きましたが、結構な遠方なのです。なので、この半年帰省することができず、これからもいつ帰ってこられるか分からない状況なのです。

 おっと気がつけば、この半年私は夫と会っていないし、この先もいつ会えるか分からない。これからの半年は、withコロナ・withoutハズバンドの覚悟をしなければならない2020下半期なのです。とにかく、元気で居ることが家族にも自分にも最大の孝行です。自分で自分にエールを送り、毎日を元気に暮らしていきたいと改めて思います。では。

小鳥の卵を巡って 後編

 カッコウなどの行う「托卵」は有名ですね。自分の卵を他の鳥の巣に産み落とし、雛が巣立つまでしっかり面倒をみて貰うというチャッカリした生き方です。

 例えばカッコウの場合、チャッカリしているのはその雛も同様で、巣の持ち主の卵より早く孵化し、他の卵や孵ったばかりの雛を巣から落とし、「一人っ子」として餌を独占して伸び伸び大きく育って独り立ちしていくのです。

 巣の持ち主は、孵ったときから自分とは似ても似つかぬ雛であっても、本能によってセッセと子育てをするのだそうです。うまいことたくらんだものですね。

 ↓ Wikipediaより

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自分より大きいカッコウの雛に餌を与えるオオヨシキリ

 話は変わって、私のブログについてです。

 先週の土曜日、午後3時頃に新しい記事をアップし所用で外出しました。5時に帰宅し、「新しい記事は何人ぐらい読んでくれたかな?スターはついたかな?」とアクセス数をチェックすると、目を疑うような数字でした。全然人気ブログとかじゃ無いのに・・・。「何で?何が起きたの?」とワクワクしながらアクセス元をたどってYahooを開きますと、目に入ったニュースは「三浦春馬さん死亡」でした。

 「これか・・・」。

 冷水を浴びせられたような、という表現は良く目にしますが実感したのは初めてです。ある検索ワードで検索するとなぜか私のブログが上位で紹介されるのです。でも、その記事はタイトルにこそ「三浦春馬」というお名前は入っていますが、内容はインターネットの便利さについて書いたものなのです。

 土曜日から今日まで、何千人もの方が三浦春馬さんの事を知りたくて私のブログにアクセスしたわけですが、恐らくがっかりして早々にページを閉じられたことと思います。

 「タイトルにつられたけど、全然三浦春馬の事じゃないじゃん」と・・・。

 なんだかカッコウが他の鳥を利用するように、三浦さんの不幸を利用しているような、そんな連想をしたのです。勿論私が企図した事ではないのですが。

 

  ブログをやっているとアクセス数やスターの数に一喜一憂してしまいがちで、「そんなことではイカイカン、平常心平常心」と自分を戒めたりしてはいるのです。ましてやこんな「嬉しくないアクセス数」を経験するとなおさらです。ちょっと複雑な思いでいるここ何日かなのです。

 それにしても、三十歳・・・。ちょっと言葉が無い感じです。では。

小鳥の卵を巡って 前編

 知人から、「ちょっと来てブルーベリーを摘んで行って」というお誘いを頂きました。

 知人のところでは自宅敷地に隣接してリンゴ畑があり、リンゴ畑の隅っこではいろいろな自家消費用の野菜を育てているのですが、様々な種類の「実のなる木」も植えられているのです。梅、梨、柿、栗、そしてベリー類。

 摘んだブルーベリーを容れるためのボウルを私に手渡しながら、知人はヒソヒソ声で言うのです。

 「ブルーベリーはすぐそこだから。いっぱい生ってるから好きなだけ摘んで。まだ冬囲いをハンパに残してるから邪魔かもしれないけど」

 いつもは良く通る声で朗らかに喋る知人なのです。なんで声をひそめるんだろうと思っていると、

 「この前冬囲いをとろうと思ったら、小鳥の巣があって卵が入ってるの。なるべくそっとしておこうと思って」

 ああそういうことか、私もつられて抜き足差し足、二人で静かに静かにブルーベリーの木に近づき、そっと巣のある辺りをのぞき込みました。

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 親鳥はおらず、巣には卵が四個。

 アップにします。

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 親鳥は餌を探しに外出中なのでしょうか。そうだといいのですが。

 人間に見つかると、野鳥は巣も卵も放棄して逃げてしまうという話を聞いたことがあるので、ちょっと心配です。

 なんという鳥の卵なのかすごく知りたくて、家に帰ってネットでいろいろ調べてみたのですが不明です。大きさはウズラ卵ぐらい。分かる方いらっしゃいましたらコメント頂ければ大変嬉しいです。

 

 親鳥が留守とわかり、気兼ねなくブルーベリーを摘ませて頂きました。初めはそんなに沢山はいらないかなと思っていたのですが、やはり採集民族の血といいましょうか、摘み始めると面白くて、気付くとお借りした中ぐらいのボウル一杯に。人間の欲望を白日の下にするベリー摘みって、とっても罪なものね・・・。

 

 頂いたブルーベリーは、ジャムにしました。美味しいです。

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 今朝は、マフィンとブルーベリージャムを小鳥の巣に見立て、クリームチーズを卵のように置いてみました。クリームチーズには卵の殻の模様風に点々をつけてみたのですが、センスゼロですね(笑)。でも美味しかったです。続く。

棟方志功は「わだば・・」と言ってないから

 まず、津軽弁の「だば」について説明したい。

 肯定文中の「だば」を標準語に訳すなら、「なら」ということになると思う。

例1  リンゴ だば く  (リンゴ なら 食べる)

例2  おめ だば やれる  (お前 なら やれる)

 例1は、いくつかの等価の選択肢の中からリンゴを選んでいる「だば」で、例2は抜きん出た者として選んでいる「だば」であろう。英語で言うなら、例1はChoose、例2はSelectって感じかな?

 

 世界的版画家と言われる棟方志功青森県出身である。彼の残した有名な言葉として、「わだばゴッホになる」というものがある。(わ=私、俺)

 この「わだば」に関して津軽弁ネイティブの中では疑念が持たれている、というのを以前何かで読んだことがある。「わだばゴッホになる」は「俺ならゴッホになる」という、自負心に溢れるというか傲慢というか、そういった意味に聞こえるからだ。そして、生前の棟方志功を知る人々は「志功はそんな人柄ではなかった」と言うのだ。

 

 今朝のNHKEテレ『日曜美術館』で紹介されたアーカイブ映像に、およそ50年前の棟方志功のインタビューがあった。棟方志功ゴッホの絵が、中でもヒマワリの絵が好きで好きで、

 「わは、ゴッホになる。わ、ゴッホになる、そう言って青森から東京に出てきた」と、訛った標準語で答えていた。

 「わだばゴッホになる」がどこから出てきたのかはわからないが、少なくとも音声では「わはゴッホになる」と言っていたのは間違い無いだろう。些細な違いかも知れないが、青森県人としては胸のつかえがおりたような、さっぱりとした心持ちになった。

 

 大昔のコーヒーのCMに「違いが分かる男」というのがあったが、今朝の私は「違いが分かった女」になった気分だ。ダバダ~ダバダ~♪ では。

エコバッグ『シュパット』をゲットした話

 今日は午前中に、耳鼻科に行き、クスリを貰い、ドラッグストアで買い物をし、帰宅するやいなや家の前の雑草に除草剤をかけるというアクティブっぷりです。

 

 耳鼻科の待合室は診察室に接していて、お医者さんの声が聞こえるのです。

 「・・・、これで治りますけれど、頭を動かすと治療の効果が出ませんので今日は一日安静にして。ご飯支度なんかもしないで寝るまで安静にしてて」

 その女性患者さんは静かに「はい」と返事をしていましたが、私は他人事ながらその方の昼食・夕食のことを考えてしまいました。同居人が居るかあるいは買い置きの食糧があればいいけれど。

 人はいついかなる目に遭うか分からない。特に一人暮らしには食糧の備えは必須だなあと、耳鼻科待合室で口の心配をしたのでした。

 

 薬局で待っていると、私の前の順番の方が、商品棚からあれこれとってお会計している様子が見えました。

 「袋はお使いになりますか」という声が聞こえたので、薬局でも袋は有料になったのかと、ちょっと驚きました。でも、私のクスリはごく自然にいつものナイロン袋に入れてもらえたので、少なくともクスリは今まで通り無料で、ナイロン袋は常在(錠剤)のようです。薬局だけに。

 

 帰り道で寄ったドラッグストア。

 実はこちらでは今、「スタンプを集めてエコバッグをゲット」というキャンペーンを実施中なのです。1,000円で1点、10点集めた上で規定の現金又はカードポイントで希望のエコバッグを選んでゲットできるというシステムです。

 普通のエコバッグであればいらないのですが、こちらのは『シュパット』という商品名の、ちょっと話題のエコバッグなのです。何が話題かと言いますとその名の通り、使い終わった後はシュパッと一発で綺麗な帯状になり、あとはそれをクルクルとまとめてボタンで止めるだけで、面倒な「畳む」作業が終わってしまうというものです。

マーナ(MARNA) Shupatto(シュパット コンパクトバッグ M ネイビー 一気ににたためるエコバッグ S438NV

 

 私はちょっと、便利な物に弱いところがあって、欲しいなあ欲しいなあと点数を集め始めました。でも、ドラッグストアと言っても食料品をチマチマ買うぐらいなので、なかなか点数は溜まらず、やっと5点、あと5点。今日は結構買う予定の物があり、2000円分、つまり2点は貰えるとレジに並んだところ、

 「本日2倍デーですので、スタンプ4個です」

 「ヤッター」と声が出てしまい、レジのお姉さんも星の瞬きのような笑顔を見せてくれました。レジスターだけに・・・。

 ということで、エコバッグ獲得まであと1点。買ったものをクルマに置き、再びお店へ。

 あと1,000円分何を買おうか考えていると目に入ったのが除草剤。ドラッグストアでも売ってたのか。「衝動買いじゃ無い。買おう買おうと思っていた」と自分に語りかけながらレジへ。スタンプ2個を押して貰い、レジバッグゲットの欄を埋めることが出来たのでした。

 サービスカウンターに直行すると、手続きは機械ですると言うことで、「こちらにどうぞ」と係のお姉さんが連れて行って下さり、手取り足取りとも言うべき親切さでやり方を教えて下さいました。そうして、見事意中の『シュパット』を手に入れることが出来たのです。

 お姉さんは言いました。「このスタンプ台紙は続けてお使い頂けます。10点でもう1個、交換できますので」

 わー、なんという誘惑。今回はMサイズと交換したけれど、Lサイズも欲しいなあと思ってたんだよね。エコバッグ欲しさに、ついつい何か買ってしまうかも。これは危険、危険ドラッグには嵌まらないようにしないと、冷静にならなければ。

 

 さて、家に帰り着くやいなや、側溝の脇に生える手強い雑草に、除草剤をかけました。速攻でね。効き目が楽しみです。

 

 今日の午前は、耳鼻科のクスリを貰い、ドラッグストアに行き、除草剤を撒くという、なんだか薬漬けの半日でした。これで昼食が「しゃぶしゃぶ」なら完璧ですが、ドラッグストアで散財したので質素に残り物で済ませたいと思います。

 

 さて、今日のダジャレはいかがだったでしょうか。クスリとして頂ければ幸いです。では。 

コロナウイルスによる可視化

 新型コロナウイルスは恐ろしい。

 恐ろしさにもいろいろな種類があって、病気をもたらすものとしての恐ろしさは勿論ですが、人間の生活や人間関係のあり方を大きく変えてしまうという点でも恐ろしいです。

 そして、今までは目に見えなかったものをあぶり出してしまうと言う恐ろしさ、これは筆舌に尽くしがたいものがあります。

 

 数日前から青森県でのコロナ関連の話題と言えば、茨城から来られたデリヘル女性が青森県で営業中に陽性確認。4日から8日までで、約30名の濃厚接触者がいる、というニュースでした。10日には青森市が、心当たりがある方は検査を受けるよう呼びかけていたのですが、15名とは連絡がとれない状況が続いていたそうです。

 そして今日。東奥日報夕刊の見出しは、

 「20代男性警察官感染」「接客業女性と接触」「検査に応じず勤務」等々・・・。

 

 いや、分かる。検査を受けたくない、デリヘル女性との濃厚接触を知られたくない、その気持ち、分かります。おばさんだけど、分かります。感染していなければ、あるいは感染していても無症状ならラッキー、賭けに出たんでしょうね・・・。

 

 夕刊の見出しに「批判免れない」というものもあり、確かにその警察官の行動は弁解の余地のないものです。でも、人間って大なり小なり「人に言えないこと」や「言いたくないこと」や「他人に見せたくない心の闇」を抱えていると思うんですよね。そう言ったもろもろを白日の下にさらす新型コロナウイルス。恐ろしいです。

 

 今日の夕刊でもう一つ、見えた事がありました。

 私の住む弘前市と、近接の黒石市青森県を大きく5つに分けた「中南地区」と呼ばれる区域なのですが、「中南地区はまだコロナ出てないからね」という言葉が、お守りのように安心材料として機能していた面があるのです。(私調べ)

 ところが、件のデリヘル女性ですが、てっきり青森市で接客していたのだろうと思っていたら、青森市弘前市黒石市のラブホテルなど18カ所で計25人を接客したと記事にあったのです。

 えー、身近に接客された人がいるかもしれないってこと?もう、なんてこと!外出したらもっとちゃんと消毒しなきゃ。早く検査受けてよ、チョー迷惑~。

 ということで、警察官に「分かる~」と幾分同情しつつも、いざ自分の身近にコロナウイルス感染の脅威が迫れば、私の気持ちもコロコロ変わると言うことがハッキリしたのです。こういうのもあまり見たくはなかった自分の姿です。

 少し前まで、友人に「デリヘルってデリバリー・ヘルスの略でしょう?全然ヘルシーじゃ無いよね~」なんて言って笑っていた日々が遠く感じられるのでした。

 

 (さてオチですが、分かる方だけ分かって頂きたいのですが)

 今日のブログは、私の心もチェンジしたという内容でした、デリヘルだけに。では。