おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

日傘男子?なの?

 8月23日の「ブランコ」をテーマにした記事の中で、三橋鷹女の俳句を紹介しましたが、鷹女の句の中で一番好きなのはこれかな ↓

 

 子の鼻梁焦げて夏山をいまも言ふ   鷹女

 夏休みを利用して登山に出かけた息子。顔を真っ黒に日焼けさせて帰って来た。特にその鼻は、「焦げた」と言ってもいいほどの焼けようだ。山は、よほど楽しく心に残るものがあったのか、あれから幾日もたったというのに、折に触れてはその楽しさを語る息子であった。

 

 息子さんの語る「山の楽しさ」、わかるなあ。私は山女の端くれの端くれ、末端のそのまた末端に位置しているけれど、山の楽しさ、そして奥深さは想像がつく気がします。まして、青年がその持てる力を限界まで発揮したであろう登山、語っても語っても語り尽くせぬ思いが胸に刻まれたことでしょう。

 そして、そんな息子を見違えるような思いで見つめる母の眼差し。我が息子ながら、惚れ惚れとする鷹女の様子が伝わって来ます。幸福な句ですね。

 

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 こちらに書きましたが、去る18日、ちょっと山に行って来ました。初心者コースでしたが、死にそうな思いをしました(笑)。でも、それでも山は楽しかったのです。

  事前の説明会で、持ち物についての詳しい案内もありまして、そのリストの中には「日焼け止め」もありました。女性は当然「日焼け止め」なりメイクなり、日焼け対策は怠らないでしょうから、わざわざ書いてあるのは男性に向けて、あるいは、山の強烈な紫外線を念頭に、女性にはいつも以上に気をつけるよう促したものかと思われます。

 鼻梁を焦がして山に登った昭和は遠くなりにけり。平成・令和の時代には山男だって「日焼け止め」を塗るのです。勿論、いいことです。日焼けはヤケドの一種ですからね。お肌を守るのは重要です。

 

 昨今は、紫外線が強烈なのは山に限った事ではありません。都会の猛暑の中、太陽からだけではなく、アスファルトの照り返しや高層ビルからの反射が容赦なく襲ってきます。そこで、話題となったのが『日傘男子』。昨年までは女性専用の感があった「日傘」ですが、今年は男性にも愛用の波が徐々に広まっているらしいです。らしい、というのは、ニュースでは見たものの、ここ弘前ではまだ「日傘男子」はお見かけしたことがなかったからです。

 ところが。

 3日前の水曜日、とうとう出会ったのです。朝の9時頃でした。私は自転車を漕いでおりました。当然、左側通行です。向こうから傘をさした男性が歩いてくるのが見えました。その時刻、弘前市は青空が広がるいいお天気。

 「噂の日傘男子だ!」そう思いました。でも、その方との距離が近づくにつれ、「男子、ではないな」ということがわかりました。おじいちゃん寄りのおじちゃん、といったところでしょうか。

 更に近づきました。そしてすれ違う一瞬前、気づきました。その方がさしているのは「透明ビニール傘」だということに。半透明ではなく、ホントの透明。通り過ぎてから、面白さ半分、恐さ半分という気分になりました。

 

 男性が日傘を用いるのが「現代」なら、風変わりな人を見かけて「恐い」と思うのもまた「現代」ではないでしょうか。ちょっぴり残念な事ではありますが・・・。

 

 同じ「焦る」という漢字でも、「鼻梁が焦る」息子は微笑ましい光景ですが、風変わりな男性を見て「焦る(あせる)」のは悲しいですね。そして、他人を見て「恐い」と焦ったりする私もまた、かんじの悪いおばさんなのかも知れません・・・。では。

 

岩木山を褒める

 昨夜、ある会合に出席したところ、岩木山についての熱い会話を聞くことが出来ました。集まったのは9人で、私以外は津軽生まれ津軽育ちの「津軽衆」なのでした。私も青森県人には違いないのですが、私の故郷は下北半島という、津軽地方とは方言も自然も全く異なった環境なのです。

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    弘前のお隣、平川市より撮影

 

 岩木山は本当に美しい山で、その点に関しては私を含め全員一致なのですが、昨夜の論点は、「特別」なのかどうかという点でした。

 何でも、太宰治は「あんな山はどこにでもある」といった意味のことを書いているらしく、それは本意なのか、はたまた太宰らしい逆説的表現なのか、なかなか面白い会話が繰り広げられたのでした。

 

 ある方がおっしゃるには、

 「昔、岩木山しか見たことがない頃は、山はどこでもこんなものだろうと思っていた。ところが、大人になって旅行するようになってあちこちに行ってみると、あんな山は、なかなかないんだよね」ということで、これには皆さん力強く頷いておられました。

 私の旅行の経験は決して豊富ではなく、皆さんのお話を「ああそうなのか」と聞くばかりでしたが、確かに納得させられるものがありました。

 というのも、長野県に行った時のことを思いだしたからです。

 長野県の、立派な山々が連なった眺めも素晴らしいと思いましたが、一つ一つの山となると、たちまち印象はぼやけるのです。第一、名前が覚えられない。ガイドブックや案内板で遙かに見える連山の名前を確認しても、どの頂がその山なのか、なかなかピンとこないのです。そして、老化のせいもあるのでしょうか、記憶が全然定着しないのでした。

 その点、独立峰はすぐ覚えられますね。とは言っても、今までに私が見て名前を覚えたのは、「岩木山」「岩手山」「磐梯山」「富士山」そして地元下北半島の最高峰「釜伏山(かまふせやま)879m」、これだけなのですが。

 

 山の素晴らしさは、私などの文章力ではとてもとても語り尽くせないのですが、一つあげるならば、「いつも変わらずそこにある」という点でしょうか。

 つまり、山はその土地に住まう者にとって、心の拠り所とも言うべき存在なのです。

 

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 こちらの過去記事にも書きましたが、岩木山弘前方面から見ますと、真ん中に一番高い頂があり、左右に一段低くなった頂という、合計三つの頂がある山なのです。

 「津軽衆」であるウチの夫は、

 「岩木山を見ると、山という漢字の成り立ちがわかるよな。凄いよな」

 と、なぜか自慢げに言います。まあ、言いたいことは分からないではないですが、それ、何回も聞いたから。

 

 お国自慢というのは誰でもしがちですが、中でも「故郷の山自慢」は全国的に共通したもののようです。

 文字通り、最近流行の「マウントをとる」ってヤツなんでしょうか。山だけに・・・。では。

 

アッパッパーでチョコレート

今週のお題「残暑を乗り切る」

 

 残暑厳しい地方の方には申し訳ないのですが、青森県は最近はめっきり涼しいのです。先週末辺りから、自宅ではエアコンは使っていないです。最高気温が30℃をこえる日は当分無さそうな予報です。もちろん、このまま秋を迎えるほど甘くはないでしょうが。

 今週のお題は「残暑を乗り切る」ということで、「自分を甘やかす」をテーマに書こうと思い、残暑厳しい日を待っていたのですが、待ちきれないので書くことにします。

 

 残暑を乗り切るためには、第一には楽な服装で過ごすこと。これは専業主婦の特権でもありますね。もっとも、残暑の季節になってから始めるわけではなく、真夏の暑さの到来とともに実行しているのですが。

 「アッパッパー」って、分かります?

 よく言うと「ワンピース」。頭からかぶって両手を出せばオッケーの、実に脱ぎ着の簡単な洋服です。だからでしょうか、「簡単服」ともいいますね。

 よく言うと「ワンピース」と書きましたが、「ワンピース」がよそ行き、きちんとした服装というイメージがあるのに対して、「アッパッパー」は完全に室内着、またはくつろぎ着。そして、おばちゃん又はお祖母ちゃんの物というイメージがあります。でも、私は若い頃から自宅で愛用していましたよ。なぜなら、楽だから。ただし、いくら自宅で着用、服装は個人の自由とは言っても、無人島で暮らしているわけではないので、自ずと制約があります。人としてのギリギリのラインと言ってもいいでしょう。それは、「ピンポーン」と不意の来客や宅配のお兄さんが来たとき、「ハーイ」と玄関に向かうことが出来るかどうか、そこが分岐点です。

 私にとって、それを決定するのは「アッパッパー」それ自体ではありません。「アッパッパー」が少しぐらい古びていようが、模様がへんてこりんであろうが、そんなことは全然平気。重要なのはブラジャーをしているかどうかなのです。

 冒頭に書きました「自分を甘やかす」の最高峰は、ノーブラ・アッパッパーで過ごすことです。でも、人の間と書いて「人間」である以上、そして人間が「社会的動物」である以上、それは許されないことなのです。いえ、世間が許しても、自分が自分にそれを許せないのです。諸般の事情により・・・。

 ということで、不意の来客に対応できるレベルで楽な服装をする、それが残暑対策その1なのです。

 

 その2は、「食べる楽しみ」です。夏には夏の美味しい物がたくさんありますね。でも、私が一番「楽しみ」としての食を実感するのは、なんと言っても「チョコレート」。特に、食後にちょっとつまむチョコレートはやめられません。ホントにちょっとつまむだけなんですよ。自分でも偉いと思うんですけど、一度にたくさんは食べないのです。そのかわり、スーパーや輸入食料品店で美味しそうなチョコレートを見つけたときは、お財布が許す範囲で買ってもいいと自分に許可しています。

 この夏のイチオシはこのチョコレート。 

イーグル製菓 ひとりじめスイーツ ビターチョコレート 贅沢オランジェ 72g×6袋

 大阪のイーグル製菓という会社のものです。ビターチョコレートにオレンジピールがマッチして、高級感ある味わいです。一かけで、結構な満足感があります。72gで税込み321円。私は4~5日かけて食べます。食後に一かけ、おやつに一かけといった感じで。

 暑くて家事や買い物が面倒なとき、終わったらコーヒーとチョコレートで休憩だ!とか、食後はチョコレートで自分にご褒美とか、そんな風に自分に餌をあげて暑さを乗り越えていきたいと思います。

 もちろん、服装はアッパッパー。よく言うと「ワンピース」。

 漫画「ワンピース」の主人公はゴム人間ですが、私は、やりたくない家事を「ゴムゴムの引き延ばしー」しないよう、がんばりたいと思います。では。 

 

 

「ブランコ」だって、乗り物だ。よね?

今週のお題「わたしと乗り物」

 

 特に奇をてらったことを書こうと思っているわけではないのですが、「わたしと乗り物」というお題で「ブランコ」について書くのは、やっぱりちょっと変かも知れません。でも、こういう機会でもないとなかなか「ブランコ」についてなど書けないので、お付き合い下さいね。

 

 30年以上も昔、糸井重里氏が週刊誌に連載されていた『萬流コピー塾』という企画がありました。糸井氏の出す「お題」に読者がコピーを応募し、氏が評価するというものです。あるとき、「ブランコ」がお題として出され、優秀作として誌上で紹介されていた一つの作品に、私はなぜだか非常な感銘を受けたのでした。ところが、非常な感銘を受けながらも月日の流れは非情でして、正確なところは忘れてしまったのです。でも、内容としては、

 「ブランコは空間を移動する乗り物ではない。時間を移動するのだ」

といったものでした。恐らく、コピーは、

 「行く先は未来です」とか、そんな感じだったかと思われます。

 

 息子達が小さかった頃、二人を近所の公園で遊ばせ、私はブランコに揺られながらその様子を眺めていることがありました。そして、ブランコから下りて「帰るよ~」と息子達を呼ぶ時、良く上に書いた内容を思い出したものです。

 「ああ、今自分は30分後の未来にきたんだなあ」といった風に。

 

 ブランコは子どもの遊具として定着していますが、もともと中国で発祥したときは、宮廷の女官の遊びでした。そして、多分に性的な戯れという面があったそうです。

 ヨーロッパでも同じだったらしく、下の絵はフラゴナール「ぶらんこ」ですが、画面左下の男性の目線が嫌らしいですね(笑)

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 物には意外な歴史が潜んでいるものですね。

 

 最後に、ブランコ関連で、私の好きな俳句をご紹介したいと思います。ブランコは漢字で「鞦韆」とも書き、「しゅうせん」と読みます。

 

   鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし   三橋鷹女(たかじょ)

三橋鷹女は激しい句がうまいなあと思うのですが、この句なんかも、昂然と顔を上げた心の強さがいいです。真っ白な足袋が、ブランコを立ち漕ぎしている様が目に浮かびます。

 ブランコは「ふらここ」ともいいますが、全然ふらここと揺れていない、キッパリとした女性の姿がいいですね。

 

 今日はなんだか、とっちらかった文章になってしまいましたが、あっちへ行ったりこっちに来たりするのは、ブランコがテーマと言うことで、お許しを。では。

『ライオンキング』、新旧見比べた

 息子達が小さかった頃、ディズニーのビデオには大変お世話になりました。中でも、『ピノキオ』と『ライオンキング』は繰り返し見たものです。息子達だけでみることもあれば、私や夫も一緒にみて、息子達が歌ったり笑ったりする姿を眺めて私達も笑ったものです。特に1994年制作の『ライオンキング』は、昭和30年代生まれには驚きの懐かしさでしたね。だって、レオだもの!

 

 ということで、今話題の「超実写版」ライオンキング、字幕版をみてきました。

ライオン・キング (オリジナル・サウンドトラック デラックス版)

 凄いですよね、この本物感。CGってここまできたんだ!と、驚愕の映像美でした。で、CG技術の凄さに圧倒された後は、何を楽しめばいいの?

 一緒にみた息子その2は、「アニメで良くない?」と言いましたが、私は「アニメの方がいい」と思いました。なぜそんな風に思ったのか、自分でも漠然としていたので、アニメーション版を借りてきて、みてみました。息子達が小さい頃は吹き替えでみていたのですが、今回は条件を同じにするため、字幕版を借りてきました。

 以下、私がアニメーションの方がいい!と思う理由です。

 

①動物がリアルな姿なのに、リアルじゃない設定とのアンバランスさが気になる

 リアルな動物が人間の言葉をしゃべる。みている側の脳が追いつかない。まあ、その点は次第に慣れてはいくのですが、どうしても大きな?マークが頭を離れない事が多々。草食獣がライオンを王とあがめる不自然さとか。仔ライオンが昆虫食だけで成長できるのかとか。アニメーションでは許される「荒唐無稽」も、超実写だと気になるんです。私が頭の固いおばさんだからですかね?

 

②ミュージカルではなくなっていた

 ライオンキングって、名曲揃いのミュージカル・アニメーション映画だと思うんです。超実写版でも懐かしの名曲の数々が歌われ、心躍りました。特に、オープニングの美しいアフリカの風景をバックに流れるスワヒリ語(?)の曲には、これから始まる物語への期待がいやが上にも高まりました。でも、映画はミュージカルではなかったんです。

 私にとってミュージカルとは、歌と「踊り」があってこそ。超実写であるために、動物を踊らせることは出来ないのです。本物の動物は踊りませんからね。アニメーション版では、いろんな動物がその体の特徴を生かして、楽しく賑やかに踊ってるんですけどね。ティモンなんか、フラダンスまで踊ってましたよ。残念です。

 

③ストーリー、まんま。曲、まんま。キャラクター、薄まる

 ストーリーはほぼアニメ版のまま。演出・カットも大体まんま。曲もアレンジはしてあるのでしょうが、ほぼまんま。アニメ版を知っている観客には「懐かしさ」を提供してくれますが。それのどこに超実写にする意味があるのでしょう?逆にリアルな動物の姿を追求したために、デフォルメされた動物の魅力的な個性が消えちゃったじゃないですか。

 ティモンとプンバァのコミカルで気のいいやつらっぷり。

 ハイエナのお馬鹿トリオの憎みきれないろくでなしっぷり。

 そして、今回アニメ版を見直して気づいたのですが、レオシンバと戯れるナラの、誘うような目つきの色っぽいこと。

 これらを犠牲にして超実写にするなんて。私にはどうにも納得がいかないのです。

  私達や今の若い世代と言った、アニメ版『ライオンキング』を知っている世代は既にキャラクターに思い入れがある状態で新作をみます。が、この超実写版が初めてのライオンキングになる子ども達は果たしてアニメ版をみて覚えるような親しみをおぼえるのでしょうか?感情移入できるのでしょうか?レオシンバにシンバシーは感じるでしょうか?

 

 最後に、実写と比べて超実写では、動物の演技に感心できないということも言いたいと思います。

 昔から、実写で動物が活躍する映画やテレビドラマはありました。それらをみる度に私達は動物の賢さと、演技を仕込んだ人間の手腕に感心したものです。そして、中には演技というものを理解しているのではないかと思わせるほど芸達者な動物もいて、奇跡をみるような思いもしました。

 スピルバーグの『戦火の馬』という作品では、馬の演技に本当に泣かされました。超実写では、人間の科学力の凄さには感心させられましたが、ハッキリ言ってそれだけです。まあ、それも確かに見所ではあるとは思いますが・・・。

 

 もし、将来孫が出来て、一緒に『ライオンキング』をみることが出来るなら、私は絶対アニメ版を選ぶと思います。そして、孫と一緒にティモン・プンバァコンビに声援を送ったり、ハイエナのお尻サボテンに大笑いしたり、そんな風に楽しみたいと思うのです。そして、次に孫が来たときには、「ライオンキングの超実写版あるよ」と言って孫をつりたいと、楽しい空想をしてみたりするのでした。では。

 

 

 

下北半島『縫道石山』、登りました

 中高年の登山ブームということが言われて久しいですが、私も興味あります。でも、「登山」と聞くと、縦走とかアイゼンとか、そんな物々しいイメージが浮かぶので、私としては「山登り」という感じでトライしてみたいと思っています。

 

 8月18日。初心者・女性歓迎という山のグループをみつけたので、行って来ました。目的の山は青森県下北半島にある『縫道石山』という、標高626mながらその姿は驚きの岩の峰なのでした。

 

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 あの頂上を目指すなんて。本当に自分に可能なのか。

 登山道を歩きながら不安でした。勿論、ロッククライミングで登るわけはなく、裏側の道を登る事は分かってはいましたが、傾斜が急であろうことは初心者でも想像がつきます・・・。

 

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 倒木のウロから顔を出すカエルやハッとするほど可愛い赤い草の実。こんな風に写真を撮ったりする余裕があったのは最初のうちだけで、傾斜が急になるにつれて吹き出す汗を拭いながら、足元だけをみつめて必死に前の人につていくばかりです。
 「これはちょっとダメかもしれない」

 何度もそう思いました。ロープにつかまっての崖のような急登に至ったとき、限界でした。

 もう一人の、私よりかなり年上と思われる方と列から離れ、一緒に休憩をとりました。サポート役の男性二人が付き添ってくれました。日陰の岩に腰を下ろしていると、たくさんのハエが私にたかってきて、「私、このまま死ぬのかな?」と思いました(笑)。

 具合の悪さの原因は血糖値の低下だったらしく、休憩してお菓子を食べるとだいぶ回復しました。サポートして下さる方の「あと少しで頂上」という声に励まされ、先頭集団にかなり遅れて、なんとか頂上に到達することが出来ました。

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 頂上は、晴れていれば四方に絶景が広がるそうですが、この日はガスが濃く、楽しみにしていた津軽海峡を眺めることは出来ませんでした。時々、ガスがスーッと流れ去る瞬間があり、うっすらと眺めることは出来ましたが。

 

 頂上で皆で記念写真をとり、下りることになりました。私が、

 「えー、私、今登ってきたばっかりなのに、もう下りるの?」というと、皆さん(20数名)笑って下さって、その笑い声がとても暖かく、遅れて迷惑をかけている狭い肩身が広がる思いでした。

 山の人は優しい。

 

 ビックリの収穫もありました。登っている途中、「洟をかむので」と列から脇に寄った方がいて、私もちょうど鼻水が出ていたので、「私もかみます」と並びました。その方がおっしゃるには、

 「運動して体が温まると鼻水が出るのは、冷え性の証拠なんですって。人から言われたの」

 「そうなんですか!私も運動すると鼻水がすごいんですよ。他の人はなんで出ないんだろうって、不思議だったんです」

 「雪かきなんか大変で。合間に何回も洟をかむの」

 「私もデス!」

 運動中の鼻水が冷え性のせいだったとは。嘘か本当かはわかりませんが、妙に説得力があったのは、自分が冷え性だという自覚があるせいです。ずっと冷え性を治したいといろいろ試みてはいますが、肝心の「冷え性が治った」という状態、つまり目標設定が今一つあやふやでした。それが今日の山登りで具体的に決まった気がします。

 「雪かきしても、鼻水を垂らさない体に!」

これを目標に掲げることにしました。

 

 下山中、「俺の人生のような下りの連続だ」と言って、皆を笑わせているおじさんがいました。いつもなら、「楽でいいじゃないですか」と混ぜっ返す私なのですが、流石にこの日は遠慮しました。体力はないくせに、口だけ達者って恥ずかしい・・・。

 無駄口はたたかず、鼻水は垂らさず、そういうふうに年をとっていきたいと、山を下りながら考えたのでした。では。

『なつぞら』について書かずにはいられない

 私は受けを狙って失言をしがちなので、しゃべる前に思いつきが妥当かどうか、良く考えるようにしたいと7月23日の記事に書き、8月14日にそれを実行したのである。

 14日はこちらではお盆なので、お寺さんがお経をあげに来て下さった。住職さんの息子さんで、若い方だった。

 「暑くて大変ですね」

 「ええ、衣が暑いんです」

というやりとりがあり、私は思いついた、

 「お坊さんと天ぷらは、衣をまとってあつい思いをしますね」

というネタを披露したく、ウズウズしたものの、外した場合、相手がお坊さんでお盆という時節柄、背筋がヒヤリとするだろうと思い、慎んだ。

 その後、どうしても言いたくて。

 夫と息子相手に「さっきさ・・・」と披露し、やや受けたので少しは満足した。でも、やっぱりその場で言いたかったという思いは残ったのだった。私は言いたいことは言わずにはいられない性分なのだろう。厄介だ。

 

 NHKの朝ドラ『なつぞら』をうんざりしながらも見続けている。拙ブログの読者の中にも楽しみに、あるいは大好きで視ている方もいるだろうから、批判的な感想は慎もうと思っていたのだが、ここに来て言わずにはいられないというところまで思いが膨らんでしまった。なので、書く。性分なので。

 

 脚本がひどすぎる。ヒロインを持ち上げることばかりに懸命で、回りに対する配慮がなさ過ぎるのだ。

 

 ヒロイン(広瀬すず)と、姉妹同然の娘(福地桃子)との二組一緒の結婚式って、ありえる?自分より綺麗なお嫁さんと一緒に並びたい花嫁って、います?しかも広瀬は白無垢に綿帽子。福地は振り袖に角隠しで、画面に占める体積的にも差がありすぎて、あまりにも主役と脇役。一世一代の結婚式であれはひどい。

 

 咲太郎とマダムの結婚祝いのパーティーも、マダムが可哀想すぎる。義理妹(広瀬)のバースデー・パーティーと兼ねるなんて。やらないほうがましなレベル。

 第一、あの時代、結婚した30女の誕生祝いなんてします?しかもよりによって8月15日!主役兄妹の父は戦死、母は東京大空襲で亡くなっているのに・・・。無神経すぎる。

 

 渡辺麻友と広瀬の扱いの差も非道い。妊婦のまゆゆが具合が悪いときは、回りがさも迷惑そうなリアクションで、広瀬が貧血でちょっとよろめいたら「水もってこい」のなんのの大騒ぎ。まゆゆが不憫。

 

 そして。極めつけは、あやみ(山口智子)が、息子同然に育てた咲太郎(岡田将生)に恋心を抱いていたと、戸田恵子が語るシーン。

 いる?その設定。キモいんですけど。30代で12、3歳の男の子を「母ちゃんと呼んでごらん」と引き取って、50代で30代になったその息子に惚れてるって、一番に困惑するのは岡田将生でしょう?なんでいい話風に涙ぐんでるの?

 ペラペラしゃべる戸田恵子も変。もしその内容が本当だったとしても、山口智子は絶対に岡田将生に知られたくなかったと思うんだよね。いくら女が口の軽い生き物だとしても、友達のそんな秘密はばらさないぐらいの仁義はわきまえているよ、普通。ちょっと女を馬鹿にしすぎ。

 馬鹿にしていると言えば、もし山口が岡田に惚れているという設定を、「朝ドラをみるおばちゃん層に受けるだろう」と思って書いたのなら、視聴者なめすぎ。

 

 今、世間ではNHKに対する風当たりが強くなっているけど、私も、受信料をとってこんな雑なドラマしかつくれないなんて、呆れているよ。ネットで『ざつぞら』と書かれているのを目にしたけれど、本当にその通り。

 

 嫌ならみるな、と言う向きもあるだろうが、せっかく4月からみると決めて欠かさずみてきたのだし、残り一ヶ月ちょっと。最後までみるつもりでいるのは、恐いもの見たさというヤツかも。

 せっかく可愛い広瀬すずを起用した朝ドラ、寒い展開ではなく、爽やかにすずしい風をお茶の間に届けて欲しいものである。

  あー、言いたいこと言ってさっぱりした。台風一過の夏空のごとし。では。