昨夜、ある会合に出席したところ、岩木山についての熱い会話を聞くことが出来ました。集まったのは9人で、私以外は津軽生まれ津軽育ちの「津軽衆」なのでした。私も青森県人には違いないのですが、私の故郷は下北半島という、津軽地方とは方言も自然も全く異なった環境なのです。
岩木山は本当に美しい山で、その点に関しては私を含め全員一致なのですが、昨夜の論点は、「特別」なのかどうかという点でした。
何でも、太宰治は「あんな山はどこにでもある」といった意味のことを書いているらしく、それは本意なのか、はたまた太宰らしい逆説的表現なのか、なかなか面白い会話が繰り広げられたのでした。
ある方がおっしゃるには、
「昔、岩木山しか見たことがない頃は、山はどこでもこんなものだろうと思っていた。ところが、大人になって旅行するようになってあちこちに行ってみると、あんな山は、なかなかないんだよね」ということで、これには皆さん力強く頷いておられました。
私の旅行の経験は決して豊富ではなく、皆さんのお話を「ああそうなのか」と聞くばかりでしたが、確かに納得させられるものがありました。
というのも、長野県に行った時のことを思いだしたからです。
長野県の、立派な山々が連なった眺めも素晴らしいと思いましたが、一つ一つの山となると、たちまち印象はぼやけるのです。第一、名前が覚えられない。ガイドブックや案内板で遙かに見える連山の名前を確認しても、どの頂がその山なのか、なかなかピンとこないのです。そして、老化のせいもあるのでしょうか、記憶が全然定着しないのでした。
その点、独立峰はすぐ覚えられますね。とは言っても、今までに私が見て名前を覚えたのは、「岩木山」「岩手山」「磐梯山」「富士山」そして地元下北半島の最高峰「釜伏山(かまふせやま)879m」、これだけなのですが。
山の素晴らしさは、私などの文章力ではとてもとても語り尽くせないのですが、一つあげるならば、「いつも変わらずそこにある」という点でしょうか。
つまり、山はその土地に住まう者にとって、心の拠り所とも言うべき存在なのです。
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こちらの過去記事にも書きましたが、岩木山は弘前方面から見ますと、真ん中に一番高い頂があり、左右に一段低くなった頂という、合計三つの頂がある山なのです。
「津軽衆」であるウチの夫は、
「岩木山を見ると、山という漢字の成り立ちがわかるよな。凄いよな」
と、なぜか自慢げに言います。まあ、言いたいことは分からないではないですが、それ、何回も聞いたから。
お国自慢というのは誰でもしがちですが、中でも「故郷の山自慢」は全国的に共通したもののようです。
文字通り、最近流行の「マウントをとる」ってヤツなんでしょうか。山だけに・・・。では。