おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

応接間とステレオ

 レース編みでドイリーを編むのは楽しい。出来上がると、しばし喜びに浸るのです。ちなみに、ドイリーとは小型の敷物のことで、花瓶や置物の下にひいて使ったりするものです。

 完成の喜びに浸った後、頭を悩ませるのは「このドイリーをどこで使えばいいのか?」問題です。皆さんのお宅にはレース編みの丸い敷物が似合うような家具や置物はありますか?残念ながら、我が家には見当たりません・・・。

 

 私が小学生だった昭和40年代、故郷の町は新築ブームでした。

 親戚の家が完成した、同級生の〇〇さんのところで今度家を建てるそうだ。そんな話題がしばしば大人は勿論、子どもの間でも口に上り、耳に入ったものです。そして、その時代に建てられた一軒家には、一応(名ばかりとは言え)「応接間」というものがあったりしました。

 その頃、婦人雑誌で編み方が紹介されていたレース編みには、応接間を飾っている写真が白黒で添えられていました。センターテーブルの中央や飾り棚の上のドイリー、ソファの背もたれのカバーと言った大物もありました。そして、忘れてならないのは、大型のステレオセットです。新築の家屋の応接間にはステレオセット、スピーカーの上にはレース編みを敷き、置物を飾る、そんな流行がありました。

 

 「うちでステレオ買ったんだ」

 同級生のMさんに誘われ、レコードを聴かせてもらいにお邪魔しました。新築の応接間に通され、Mさんが神妙な手つきでレコードをかける様子を、じっと見つめていたのを覚えています。

 「これ、お父さんが大好きな歌なんだよ」

 スピーカーから流れて来たのは、ぴんからトリオ、『女のみち』。当時、大ヒットしていました。大人も子どもも歌ってましたね。

 

 月日は流れて、レコードが姿を消し、CDの時代になったかと思いきや、最近の若い人はCDすら買わないのだとか。世の中の変化は凄いですね。

 レース編みだって、昔はそれなりのお値段の高級品でしたが(だからこそ手作りする甲斐もあったわけで)、最近はアジアの国からの輸入品が驚きの安さで売られていて。レース編みは本当に趣味のものになってしまったようです。

 でも、趣味というものは本来自分が楽しく出来ればそれでいいわけですから、「買った方が安く」ても、出来上がって使い途に困ろうとも、やりたければやるのが私の「女の道」なのです。細々と続けていきたいと思います。

 

 ところで、CDはなんでCDなのか知ってます?

 レコードは、A面とB面がありましたよね。A、Bの次だからCD(ウソぴょん)。では。

レース編み、再び

chokoreitodaisuki.hatenablog.com

 上の過去記事に書いた通り、手芸を再開し、ちょっとずつ「半端物」にけりを付けようとしています。亀の歩みではありますが、時間はたっぷりあるので頑張る所存です。

 若い頃、レース編みが好きでした。と言ってもあまり根気強い方ではないので、コースターやドイリーといった小物中心。で、ある時、ちょっと手の込んだテーブルセンターに挑戦しようと思い、途中まで頑張りました。が、なぜか途中でプッツリとやる気の糸が切れ、10年以上も放置してしまいました。

 その間に、もともとド近眼だった上に老眼も加わり、コンタクトレンズに老眼鏡をしても手元がぼけるという状態に。

 今回、途中で投げ出したテーブルセンターがあったはずと探し出したものの、もう出来ないのではないかと、半分諦めモードでレース針とやりかけのレース糸を手に取ったんです。その時の私は遠近両用眼鏡、つまりレンズの上半分は近眼用で、中景から遠景を見る時用、下半分は老眼用レンズで手元を見る時用、をかけていました。

 ああ、やっぱりだめだ、スッキリ見えない。試しに眼鏡を外し、裸眼で見てみました。

 なんと言うことでしょう。見える、ハッキリ、クッキリ見えるのです!

 ド近眼が老眼の度がすすみ、手元は見えるようになっていたのです。ただし、見えるのはせいぜい、30㎝の距離。それ以上離すと私の近視では無理なのです。

 なので、私がレース編みをしている姿はかなり変かも知れません。目と手の距離が近くて、レース針が目に入りそうな格好なのです。でも、スッキリ見えることに比べたら、どうってことないです。

 そして完成したのが、こちらです。

 ↓ 

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 老眼がすすんで、裸眼で手元がスッキリと見えるようになるなんて。

 年を取るのも悪いことばかりではありませんね。この先もなにか加齢の嬉しいサプライズが待っているかもしれません。

 

 とりあえず、私の回りではレース編みをしている人は他にいないようなので、皆のもの、私を『カレイなるレース・クィーン』と呼ぶように。では。

 

弘前ねぷた

 夏はお祭りの季節ですね。

 ここ弘前には『弘前ねぷた』という有名なお祭りがあります。青森市のは、『ねた』というのですが、弘前では『ねた』。地元民の皆さんは苦もなく 「ぷ」と発音するのですが、私は気を付けないと「ねぷた」と言えないのです。無意識だと「ねぶた」と言ってしまうのです。津軽の皆さん、器用です。

 

 ねぷたは扇型で、正面は「鏡絵」と呼ばれ、勇壮な場面を描いたものが多いです。背面は「見送り」と呼ばれ、愁いを帯びた美人など、動の鏡絵に対して静の見送りという感じです。

 

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 美髯公(関羽)の奮闘の図です。鏡絵の題材は日本のものだけではなく、中国の史実や物語に題をとったものも多いです。

  ねぷたの上に人が乗っていますね。彼らには重要な役割があります。大型ねぷたはかなりの高さがあるため、電線や道路標識などの障害物が行く手を邪魔することがあります。最近のねぷたは昇降式のものも多く、障害物の手前でスーッと低くなることも出来たりします。それでも念のためでしょうか、ほとんどの場合、ねぷたの上5分の1ぐらいのあたりで、パタンと外側に倒すことが出来るようになっています。ねぷたの上の人は常に障害物に気を配り、必要に応じて「パタンと倒す」という大事な仕事をするのです。

 

 この日のねぷた見物ですが、『見送り』に印象的なものが多かったです。いくつか紹介します。

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 見送りの周囲の真っ赤な竜が夜に映えて、私の回りの見物人から「おーっ」という嘆声があがりました。

 

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 キリシタンの女性。細川ガラシャかな?こちらも見送りの周囲、キリスト教の聖人とステンドグラス風のデザインが面白いですね。斬新です。

 

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 こちらは大型ねぷたの前を行く「前ねぷた」と呼ばれる小型のねぷたです。忍者がテーマというのも珍しいと思いました。色使いがとても綺麗で、構図が洒落ています。

 

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 団体によっては ↑ のように 鏡絵・見送りのテーマを、灯籠に大きく示している所もあります。茂森という町内会のねぷたなのですが、凄いんですよ。

 ↓ 二代藩主・信枚公の獅子奮迅の戦いぶりを描いています。中年の信枚公ですね。

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 あっ、前方に電線が。やばい!ここでねぷたの上の青年達の出番です。ねぷたの上部をパタンと倒します。普通は、ただの「裏」が見えるだけです。それがなんと、

 

↓ (もったいを付けてます)

 

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 若武者・信枚公が現れるんですよ。ヒューヒュー!

 

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 見送りの「満天(まて)姫」は、上部を折っても折らなくても、変わらずに美しい見返り姿です。美人はどんな時でも美しいというのを体現していますね。

 

 弘前ねぷた、いかがでしょうか?長い伝統があり、決まった型があるものでも、創意工夫の余地はあるものだと、非常に感銘を受けた今年のねぷたでした。

 

 ねぷた期間中は連日晴れの猛暑が続き、ねぷたを運行する夜になっても暑さが引かないという感じでした。それでもやっぱり、最後のねぷたが目の前を過ぎて運行が終了すると、風がたちまち涼しさを帯びるのです。これは私だけの感想ではなく、津軽人が口々に言う台詞なのです。特に最終日。津軽人はこう言います。

 「最後のねぷたが過ぎた後、吹いてくる風が、秋なんだよね」

 短い夏の終わりと秋の到来を予告し、最後の「見送り」が静かに遠ざかっていくのでした。

 甲子園大会と同じですね。最後の「見送り」は試合終了、夏が終わるのです。では。

 

布ぞうりを作ってみた

 NHK『すてきにハンドメイド』という番組で紹介された布ぞうり。着古したTシャツをリメイクして作れるという点が気に入り、録画を見ながら作って見ました。

 

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 古いTシャツ3枚で出来ました。

 いつもは古着もなかなか捨てる踏ん切りがつかない私なのに、皮肉なことに、つい最近、大量の古着に、ウエスにするためのはさみを入れたところだったのです。ぞうりに変身した3枚は、やっと見つけた、あるいはやっと捨てる踏ん切りがついた3枚なのです。

 白に薄いグレーのボーダーは大昔の私のTシャツ。丈が短くて着られず、処分することに迷いはなかったのですが、押し入れの奥の奥に紛れ込んでいて、今回やっと発掘でき、無事リメイク材料となったのでした。

 茶色の無地も私のです。これはですね、サイズ的にアウト(ちょっと小さい)なのに、高かったからと言う理由で捨てる決心がつかずにいたものです。「リメイク」という魔法の言葉で、スンナリ決心がつきました。

 緑とブルーは、息子その2の、派手なディズニーキャラクターTシャツです。10年以上前のもので、サイズは勿論、大分くたびれていて、とっくに処分すべきものなのですが、捨てられませんでした。

 息子その2のお気に入りで、黄緑・青・紫といった派手な色合いが小学生男子に良く似合っていました。前身頃に並んだ緑色で目が三つあるキャラクターは、私には到底可愛いとは思えなかったのですが、息子その2は「可愛い」と喜んで着ていました。

 「可愛いだろ?」と、買ってあげた息子その1も自分のセンスに満足気でした。

 そうなんです。このTシャツは、中学校の修学旅行で東京ディズニーランドに行った息子その1が、弟へのお土産として買ってきたものだったんです。

 息子達に「捨てていいか?」ときけば、二人とも「うん」と即答するのはわかりきっています。私だけが執着していたのですが、今回、やっと決心がつきました。

 

 断捨離とか老前整理とか、家の片付けにもいろいろな流行があるようですが、流行に乗らずとも、不要品つまりはゴミを捨てて、スッキリと暮らしたいというのは多くの方の願いではないでしょうか。もちろん、私も。

 今回は、Tシャツを三枚処分して布ぞうりを一足手にいれると言う、3歩すすんで2歩下がるような歩みですが、一歩すすんだだけでも前進は前進。大事なのは少しずつでも歩き続けることなのです。がんばりたいと思います。

 

 ところで、私の布ぞうり、出来映えはどうでしょうか。出来れば「初めてにしては上手!」と、はなを持たせて頂ければ嬉しいです。ぞうりだけにね。では。

爬虫類展

 暑い。あんまり暑いので、涼を求めがてら、↓ 昨日、こちらに行って参りました。

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 動物は何でも、見るのが好きです。飼うのは苦手です。何かの世話をすると言うのが性分ではないのです。でも、もしどうしても動物を飼うのなら、爬虫類がいいかなと思います。爬虫類は臭くないという美点があり、不精者でも匂いの心配がないというのが飼いやすそうなので。

 お客さんはチラホラといった程度で、夏休み中ですが、幼児連れまたは大人同士といった組み合わせが目に付きました。イベントが空いているというのは主催者側には問題でしょうが、客としてはジックリ好きな位置から見ていられるというのが、地方のいいところです。

 では、いくつか紹介したいと思います。

 

トッケイヤモリ

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 鳴き声が「トッケイ」と聞こえるらしいです。背部の点々がブルーとオレンジというハイセンスなトカゲです。わっ、ガウディっぽい、というのが第一印象でした。

 

セイブシシバナヘビ

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 蛇なのに顔がカワイイ。見る角度によってはハムスターに似ています。鼻とまん丸お目々が決め手でしょうね。カワイイかどうかは目が重要というのは、人間も蛇も同じなんですね。

 

 ミンダナオミズオオトカゲ

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  少し前にNHKの番組で、恐竜は羽毛を持つものが少なくなかったということが、最近の研究で明らかになったというのを視ました。CGで再現された羽毛のある恐竜は巨大な鳥のようで、まさに『セサミストリート』の『ビッグバード』のようでした。私は大変困惑したのでした。

 そして、昨日、このオオトカゲの顔を見たとき、「そうそう、こうでなくっちゃ」と思ったのです。何がと言えば、恐竜というものは。

 最近では恐竜の子孫は爬虫類ではなく鳥類ということが言われているようですが、やっぱり私達の中にある〇〇ドンや〇〇ザウルスはこんな感じでなくっちゃ。そう思いませんか?

 

ヨウスコウワニ

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 顔は鰐のわりにカワイイ。解説にありますがヨウスコウワニは「中国国家一級重点保護野生動物」に指定されているのだそうです。「中国国家一級・・・」って、なんだかもの凄い重みがありますね。殺したり密漁したりがばれたら、即死刑って感じです。あくまで私の「感じ」ですが。

 

ビルマニシキヘビ

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 アルビノの個体です。体色が白っぽいのは勿論、目もウサギのように赤いです。色素がないと血液の色が透けるためらしいですね。

 粘った甲斐があって、舌を出した瞬間が撮れました。舌の色も薄い気がするのですが、アルビノではないニシキヘビはいなかったので、不明です。

 

ヒョウモントカゲモドキ

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 右のお手々を見て下さい。アップにしますよ ↓

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 可愛くないですか?人間の赤ちゃんが昼寝しているときのお手々の感じとソックリと思いました。でも、よくよく見ると、人間の手とは指のつき方が逆で、見続けるとだんだん変な気分になって来るのでした。

 

 以上、私の気に入った、気になった爬虫類たちでした。

 爬虫類と聞くとグロテスクな姿を想像して「ちょっとヘビーかな」と敬遠される方もいらっしゃるかも知れませんが、全然そんな事ないです。可愛いですよ。機会がありましたら是非ご覧になってみて下さい。では。

 

 

Charも大変だね

 昨日のブログで「お灸」のことを書きました。書いている途中で、魯迅の『阿Q正伝』が脳裏に浮かび、お灸と阿Qでダジャレが出来ないかちょっと考えたのですが、無理そうだと思い諦めました。

 

 魯迅がらみでもう一つ思い出したのが、「故郷」という作品です。高校の国語の時間に習いました。作品中、主人公が夜のスイカ畑を空想する場面がありました。

 幼馴染みの少年が「チャー」という空想上の動物を退治するため、刺股さすまた)を持ってスイカ畑に立っているというものです。「チャ-です。」という一文がありまして、これに大興奮していた同級生N(女子)を懐かしく思い出しました。

 Nはロック大好き女子高生で、通学時にはいつも、友達と貸し借りするためのLPレコードが入った、レコード屋さんのビニール袋を抱えているような娘でした。彼女にとって「チャー」とはロックギタリスト・Char(チャー)であり、「チャーです」の一文は彼女の心の琴線に触れるものがあったのです。

 休み時間になるやいなや、教室の一角では「チャー談義」が始まりました。箸が転んでもおかしい年頃、盛り上がらないわけがありません。

 N 「チャーです、で嬉しくなっちゃって、笑い声をこらえるのが大変だった」

 友 「絶対、Nが興奮してると思ってた」

 友 「でも、チャーは刺叉でやられるんだよ」

きっと、こんなどうでもいい会話で笑い転げたのだろうと思います。Nの台詞だけはハッキリ覚えています。

 

 高校生の友情って、お互いにお互いの好きなものを熟知していて、新しい情報を教えてあげたり、時にはそれをおちょくったり。自分と相手の輪郭が曖昧に溶け合っているような、そんな感じでした。青春、てやつですね。

 月日は流れ、私も同級生達もすっかりおばさん。同級生の多くは故郷から遠く暮らしており、なかなか会うことは叶いません。Nとも年賀状の遣り取りだけで、随分長い間会っていません。でも、再開すればきっと時間を超えて、どうでもいい会話に笑い転げられるような気がします。同級生ってそういうものですよね。

 

 月日は誰の上にも流れていきます。Charも例外ではありません。つい最近、息子さんの薬物に関する報道をみました。

 『気絶するほど悩ましい』心境かも知れません。同じ親として、心中お察し申し上げるのです。では。

 

とうとうエアコン

 私は暑がりで冷え性という、夏を持て余してしまう体質です。ただ、冷え性は努力の甲斐あって、一頃よりは大分改善されました。

 その努力とは、一言で言えば「夏にご用心」。

 冬は誰でも自然に暖かい服装・環境に留意しますね。気を付けなければならないのは夏なのです。

 「冷えは蓄積する」という言葉は聞いたことがありますでしょうか。これは実体験として本当です。夏に体を冷やさないように気を付けた年は、冬が楽です。反対に夏の油断は冬になってから効いてきます。

 では、どのように夏を過ごすべきか。

 まず第一に気を付けるべきは冷房。次は冷たいもので内臓を冷やし過ぎないこと。そして、気を付けて過ごしたつもりでも、現代の夏は知らず知らず体を冷やしていることがあるので、夜はシャワーではなく、湯船に浸かって、その日の冷えはその日のうちにリセットすること。

 書き出してみると結構大変です。でも、昨夏までは割とうまいことしのげていたんですね。なぜなら、職場にはエアコン設置の部屋はあまりなくて、エアコン無しの部屋で大汗をかきながら過ごしていたんです。そのかわり、帰宅の車の中ではエアコン、ガンガン。でも、短い通勤時間でしたので体が冷えると言うほどのことはありませんでした。

 今夏は無職になったので、ほとんど一日中家にこもっています。先週初めぐらいまでは暑さもそれ程ではなく、エアコンは不要でした。ところが、最近の暑さ。しかも蒸し暑い。エアコンは「体が冷える」を実感するので、あまり好きではなく、なるべく使わない様にしていましたが、もう限界。そして、一度つけると、やめられませんね。暑がりの汗っかきで、大汗をかいて過ごしていたあの自分は何だったんだろう。

 でも、エアコンの涼しさにうっとりしていて、気がつくと足先や肩がヒヤヒヤしていることがあり、これはまずい。まずいと思うのにスイッチが切れない。エアコンは中毒性がありますね。せめて、夜はお風呂に入って冷えた部分を暖めようと思います。

 10年ほど昔ですが、なんとも言えない体の怠さ、無気力が続き、知人に世間話のついでに話したところ、「鍼がいいかも。いい先生を知っているから」ということで勧められ、初めて「鍼灸院」に行ってみました。

 私の訴えをきいた先生は、

 「あなたの症状は、鍼の前にお灸がいいと思う。さ、こっちに座って」

いきなり、なんの心の準備もないままに、頭のてっぺんに「お灸」をされました。初めての「鍼」だけでもドキドキだったのに「お灸」。しかも脳天に。私はその日、大人の階段を一気に二段、駆け上ったのでした。

 「そうとう体が冷えてるね。不調は冷えから来ているかも知れない。とにかく、体を温めて。夏でも靴下は履くように」

それ以来、教えを守っています。最初に書いた通り、随分改善されてきた気がしています。

 家にこもっていると、ついついエアコンに頼りすぎてしまうし、運動不足も血流が悪くなって冷え性の原因になります。エアコンの効きすぎない屋内や、涼しい戸外を探して、もう少し家から出るようにしないと。

 なんだか贅沢な悩み事のような気もしますが、年が年なので。それに鍼灸院で言われた「冷えは本当に恐いんだよ」という、文字通りきついお灸が効いているので。

 暑い中働いている方、エアコンのハイパワーのような冷たい目でみないでね。では。