おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

久しぶりの映画館・「カメ止め」

 それ程映画好きでもないので、「映画館」で映画を観ることは滅多にないですね。でも、今年の秋は「カメラを止めるな」と「ボヘミアン・ラプソディ」は絶対観ようと決めて、公開を楽しみに待っていました。

 

 そうなんですよ、「カメ止め」、地方では今、やっと公開になったんです。「来ないだろうな」と思っていたので、来ただけでも良しというか、いや、地方にまで来てしまった「カメ止め」の勢い、スゴいですね。(弘前では、結構、すいてましたけど)

 

 先ず、友達(おばさん)を誘ってみたところ、彼女の返事はつれないものでした。

「行かな~い。ホラーはみないことにしてるの」「いや、ホラーじゃないんだよ」「えー、でも怖いシーン、あるでしょ」「まあ、あるだろうけど、でも何て言うか、そういう怖い映画じゃなくて」「ご免、遠慮する」ということで、一人で鑑賞です。

 ネタバレしてはいけないというのは、みおわった後だけではなく、誘う場合も不便なものですな。もっとも、私もはっきり内容が分かっていたわけではなく、「笑える」という情報を頼りに、「ホラーではない」と決めつけていただけなのですが。

 

 上映時刻の30分前に、映画館到着。いつもよりだいぶ早めの行動です。これには訳があって、ロビーの予告用のディスプレイで、「ボヘミアン・ラプソディ」が観れるかもという期待があったから。

 やった~、狙い通り。「ボヘミアン・ラプソディ」予告編を堪能した後、いよいよ、4番スクリーンへ。席に着くと、今後の上映予定作品のダイジェスト予告編が始まりました。邦画や、ディズニー実写映画等々、次々と上映予定作品がスクリーンを流れていき、そして、あの名曲、「ウイ・ウイル・ロックユー」が流れ、キター!と思った瞬間・・・。何が起こったと思います?スクリーンにカタカナで、でっかく、

 

 ドンドンパッ って出たんですよ!許せます?しかも、私ったら、

「ドンドンパッ」って認識する一瞬前に、「ドドンパ」って読んじゃったんですよ。

もう、私のばか、意気地無し。立ったのはクララではなく、私の腹でした。

 

 凄い不愉快な気分で、「カメ止め」始まりました。長い。最初の「ホラー」部分、長い。でも、我慢。これは伏線で、後半面白くなるんだから、そう思って、変な間や、妙なしつこさに耐えました。そして・・・見終わりました。最後はちょっと涙が出ました。

 「映画愛」に溢れているなあ、と思いました。「映画好き」には、ドストライクだろうなと思いました。でも私はほら、「それ程映画好きでもない」ので、「娘」のウザさとか鼻について・・・。

 

 ネタバレしないように感想を書こうと思うと、難しいですね。みてない人には「なんのこっちゃ」だろうし。そこで、方向性を変えて、この映画のラストで「ジーン」ときて思い出した、40年前の私の高校の、「体育祭」での出来事を書くことにします。

 

 私の高校では、体育祭の閉会式で「万歳三唱」がありました。同窓会長か後援会長だったと思われる「おやじ」の「バンザーイ」の声に、全校生徒1350名が、「バンザーイ」と3回、声を限りに叫ぶのです。

 誤解の無いように説明しますが、私が高校生の頃は、既に「バンザイ」は絶滅寸前で、体育祭の閉会式でしか高校生が「バンザーイ」と叫ぶ機会は有りませんでした。当然、誰もやりたくない。恥ずかしい。体育祭が始まる前は「またあのバンザイやるのかよ」と、薄ら笑い合ったりしています。

 ところが、照りつける太陽の下、走ったり、転んだり、踊ったり、綱引いたり、叫んだり。そうやってクラスが一丸となり、一日が終わります。そして迎える閉会式。成績発表や校長先生の講評など、長いセレモニーに飽きてきた誰かが、疲れ切った、それでいてどこかサッパリとした顔で、「バンザイまだかよ」と言い出します。それに誰かが「早くバンザイやりてー」とか「もうバンザイでいいって」とか応えているうちに、いよいよ「万歳三唱」。同窓会だか後援会だか会長の「バンザ~イ」に、食い気味にかぶさる「バンザ~イ」×1350。

「バンザ~イ」「バンザ~イ」「バンザ~イ」「バンザ~イ」ああ、終わった、終わった・・・。空、たけーな、ああ、風・・・。

 

 「カメ止め」のラストの「主演俳優役と女優役」の表情は、この思い出を掘り起こしてくれたのでした。

 

 さあ、11月は「ボヘミアン・ラプソディ」だ。こっちも絶対、高校時代の思い出が蘇るんだよね。浸りきって観るよ。

「かめへん、思い出を止めるな」、略して「カメ止め」だ!

絵画のマチエールについて

 以前、息子その1に、「絵はマチエールも重要だよね」と語ったら、

「お母さん、マチエールって言いたいだけ」と、見事に見抜かれてしまいました。てへぺろ

 どうも、お茶目なお母さんこと、私で~す。今日は私と一緒に「マチエール」について勉強してみましょう。間違えーることもあろうかと思いますので、その際はご指摘いただければ嬉しいです。

 

 絵画における「マチエール」とは、作品の表面の肌合いや質感のことです。多分、そうです。そういう理解で話をすすめます。絵の具の材質や塗り方によって、例えば、ザラザラ、ツルツル、デコボコ、ゴッテリ、サラリなど、その表面から受ける印象は大きく異なります。

 テーマや技法、構図、色彩、線、光と影のコントラスト、等々、「絵」の魅力を形作る要素は様々有りますが、マチエールの持つ力も無視できません。そして、「マチエール」は、本物でしか味わうことが出来ないものなのです。どんなに技術がすすんでも、印刷では無理だろうと思います。

 

 私の、決して多くはない本物鑑賞経験で、「マチエール」の凄さ、重要さに気づかされた二人の画家について触れたいと思います。

 

 まず、日本画家・山口蓬春(ほうしゅん)。弘前市立博物館で2年前、2,3点、見ただけなのですが。蓬春モダンとも呼ばれた明るく洗練された画風なので、色使いがとにかくお洒落。そして、表面の質感まで、「垢抜け」てるんです。

 無理矢理に言葉で説明するなら、大理石とか漆喰とか、「建材」を見たとき、あるいは、ウールとか麻とかの「生地」を見たとき、「垢抜けてる」って感じることがあるでしょう。そんな感じかな。でも、絶対、伝え切れていないので、結局、実際に「見て」になってしまいます。

 下はその時買った絵はがきを撮ったものですが、全然、伝わりませんね。

f:id:takakotakakosun:20181028190542j:plain 「留園駘春」 水野美術館蔵

 

 二人目は、ジョルジュ・ルオー。何年か前に、パナソニック汐留ミュージアムでみました。絵の具の厚みが、スゴい圧で迫ってきて、驚かされますよ。昨日のNHK・Eテレ「日曜美術館」で紹介されていて、思い出しました。

 今、その汐留ミュージアムでルオー展を開催中とのこと。かなりの点数が並んでいるようなので、「マチエール」を体感しに、是非行ってみて下さい。ルオーの凄さは、実物を見てこそわかる!と思います。

 

 本物を見る楽しさの一つは、この、マチエールに出会えーる、というところも大きいでしょうね。私は青森在住なので、ちょっと厳しいかな。でも行きたい。マヂ考えーるかな。

いきなり「モテ」を語り出したワケ

  昨日の記事では、「モテ期」について書きました。きっかけは、金曜日の夜、友人(人間の年齢で言えばおよそ50才。いや、人間なんですけれどもね)と話したことです。彼女は、私が年上であるということもあって、非常に褒めてくれるわけです。

 ・ホントに面白い方ですよね。最初にあったときから、そう思ってました。

 ・ブログもとっても面白いです。

 ・全然「おばあさん見習い」なんかじゃないですよ。

 などなど。

 

そこで私は次のように淡々と答えたのです。

 ・面白いと言ってもらえるのはスゴく嬉しい。

 ・でも、面白い女って言うのはモテないんだよね。

 ・男性は、自分を笑わせてくれる女ではなくて、自分の冗談に笑ってくれる女が好きだから。

 

 私が淡々と答えたのは、2番目、3番目は誰もが知っている、言わば「常識」にあたることだろうと考えていたからです。ところが、彼女は大層驚いた風で、

「それ、面白い説ですねえ、面白い女はモテないんですかあ」と、おばさんなりの無邪気な眼差しで反応を返してくれたのでした。

 いや、私からすれば、アナタの方がずっと面白いって。推定50才にもなって、そんなに無邪気に物事に反応できるなんて。

 

 「笑いをとる」とは、一瞬とは言え、その場の主役になるということで、人を笑わせたい、受けたいというのは、自分が場の中心になりたいという志向だと思うんです。簡単に言えば「出しゃばり」ですね。自覚は、あります。男受けがいいわけはない。「控えめ」というのが女性の美徳でしたもの、少なくとも昭和は。今もかな?

 

 昔、息子その1(人を笑わせたい欲求は人一倍)が、保育園の頃です。同じ組の女の子を評して言った、印象深い言葉があります。

 「〇〇ちゃんって、笑いやすくて可愛いよ

ああ、自分のジョークに笑ってくれる、つまり自分を主役にしてくれる女の子が好きというのは、こんなに小さいときから、男の子の中にはあるんだなあと、妙に心に残りました。

 

 同い年の女友達が、若い頃に年上の既婚男性から言われたというアドヴァイスが、深い。

 「あなたね、結婚したいんだったら、会話は男で終わらせなさい」

話のオチをつける=主役は男の役目。女は控えめな聞き役が宜しいという、有り難いアドヴァイスです。

 

 ただし、問題は、「面白さ」と、「結婚」あるいは「モテ」を秤にかけた結果、「面白さ」を選んでしまうの深い女が、相当数いるということです。これは「持って生まれた」ものなので、しょうがない。我が道をgoです。

 あっ、どうしよう、無意識にオチをつけてしまった。モテ期がそこまで来ていたかもしれないのに・・・。控えめな女になるどころか、「モテ期」の方が控えてしまいました。トホホ。(トホホって、懐かしい、昭和の締め方ですね)

「モテ期」は必ず来る!問題は「いつ」だ!

 今日は土曜日。仕事は休み。長文を書こうと思います。思い出話にお付き合い下さい。

 

 学生時代のある日、私と、友人A(女)、友人B(男)の三人でお喋りをしていました。

 友人B「何かで読んだんだけど、誰でも人生に一度は、モテる時期があるんだって。あった?」

 私  「あった」

 友人A「あった」

 友人B「信じられないかもしれないけど、オレもあったんだよね、昔。今来て欲しいよね。」

 

 そうなんですよ、単にモテても意味ない。時期が大事ですよね。幼稚園時代にモテてどうする。宝の持ち腐れ。

 私の場合も、色気づく前に「モテ期」が到来し、しかもその期間は非常に短かかったため、全然、有効利用できなかった。さらに、「モテ期」は過ぎてしまってから、あのときが「モテ期」だったんだなあと気づくものなので、いつでも後の祭り、後悔先に立たずです。

 そんなことない、何時でもモテモテで、「モテる悩み」を語ってくるウザい友達いるよ、そういう人は「モテ期」を自覚してるんじゃないの?と思う方もいるでしょう。そうじゃないんですよ。そういう人にとっては「モテている」というのは、日常。「モテ期」でなはい。「モテ期」とはピークのことですから、やはり、過ぎてみないとわからないものなのです。

 

 私は、昔の友人で、モテてモテてしょうがない、という女性を二人知っています。

 一人は大学時代の友人で、会う度に「誰それから告白された。どうしよう」という話を聞かせてくれました。「知らんがな」とも言えず、ましてや、そんな経験の無い私がアドバイスなど出来るはずもなく、ただ黙って聞き役に徹していました。更に、私は人の自慢話は決して嫌いではなく、卑屈なウジウジ話よりずっとまし、というスタンスなのです。今になってわかるのですが、アドバイスや批判などは無用、ただ自慢話の「聞き役」が欲しかった彼女にとって、私は安心してモテ話を語れる相手だったのでしょう。そんなある日、彼女から聞かされた話で、鮮明に記憶に残っているエピソードがあります。実話です。盛ってません。

 「最近は、誘ってくれる人は、全員、医学部の人なの。母親に名前とか言ってもきりが無いから、外科志望の人とか、皮膚科志望の人とか教えてるの。そうしたら、父親まで、電話がかかってくると、今度は何科よ、って」

 そうそう、昔は友達からの連絡も家に電話がかかってきて、親がとりついで、

って、そこじゃない!

 きっとこの頃が、彼女のモテ人生の中のモテ期、無敵のモテ期だったに違いない。

大学卒業後、久しぶりに会った彼女に聞かされたのは、「最近、医学部の人達も、誰も電話くれないの。みんな、冷たいよね。」という、ちょっと寂しげな報告でした。でも、そんな報告だけで彼女の話が終わるわけがない。

「でね、会社で、その人既婚者なのにスゴいしつこくて・・・」モテ人生、絶賛継続中の様でした。

 その後、彼女は職場結婚・寿退社という、昭和の女性の王道を歩み、子宝にも恵まれめでたしめでたし。と言うところまでは知っています。残念ながら、冒頭に「昔の友人」と書いたように、今では関係が途絶えてしまいました。

 ひょっとしたら、大学時代が彼女のモテ期と思ったのは私の早とちりで、結婚してからだって彼女はモテたかもしれず、彼女にとっての真のモテ期は、私の知らないところで発生していたのかもしれません。

 ただ、タイトルに書いたとおり、モテ期は「いつ」が重要です。結婚後に訪れた「モテ期」で身を滅ぼすことなどないよう、善男善女の適正な「モテ期」を祈るばかりです。

 

 もう一人。その友人をM子(モテのMです)とします。

 M子はいつでも引く手あまた。選り取り見取り。それなのに、なぜか付き合う相手は「?」がつくような男性になってしまうのです。なので、彼女の悩みは、「皆が、あんな奴はやめろと言う」とか、「親に紹介できない」とかでした。友人達の中には、M子が好きで好きでしょうがない、そして、まともで真面目な男の子達が、ホントにたっくさんいたのに、M子ったら。いるんですねえ、ダメ男好きな女って。

 そんな彼女の「モテ期」とは。

 これも私が勝手に決定したのですが、社会人になってからのある時期です。M子はもともと、誘われるままに「夜遊び」に付き合う、付き合いのいい女だったのですが、一時期、ホストクラブ的なお店に通っていました。ホストクラブ的なというのは、M子が「男の人が接客してくれるお店だけど、ホストクラブではない」と言っていたので、ホストクラブ的な、としておきます。M子が女友達に誘われて何回かそのお店に行ったところ、その友達のごひいきホストが、こともあろうに、ろくに話もしたことのないM子に本気になってしまったんだとさ。「プロ」を夢中にさせる「素人」。これを「モテ期中のモテ期」と言わずしてなんと言おう。それって、ドラマ?マンガ?そう思うようなことが現実に起こることもあるんですよ、皆さん。

 さて、M子の悩みは次のような深いものでした。

 「彼があんまり一生懸命で付き合うことになったんだけど、その友達が怒っちゃって、口もきいてくれないの。それから、お店の人達も、冷たいの。あと、お店が終わったあと、迎えに行って、彼とラーメン屋さんとか行くんだけど、夜のお姉さん達が、スッゴい怖い目で私を睨んでくる。それはともかく、結婚は無理だよねえ、私はいいんだけど。彼が諦めてるんだよねえ、親が許すはずないって」

 

 それからしばらくして、彼女との付き合いは途絶えてしまいました。共通の友人に聞いても、誰もわからない。どうしているかな、M子。おとなしい、それでいて芯のしっかりした、魔性の女でした。

 

 「モテ期」は、ホントに誰にでも訪れるの。そして、その有り様は千差万別。

たった一度だけ誰かに好かれた、それもモテ期。

じいさんに先立たれて入所した老人ホームでマドンナになる、それもモテ期。

一度も無かったという人、諦めないで。これからくるかも、モテ期。

 でも、実は「モテ期」なんてどうでもいいことです。どんなに多くの人にモテても、たった一人、好きになった人に好きになってもらえることこそが大事ですから。ただ、確率論としては、モテないよりはモテる方が、その確率もたかくなるでしょうね。

 

 それと、他人の「モテ」はブログのネタになると言うことが、今回わかりました。「私、全然モテないのよ~」「でしょうね」では、話が膨らみませんからね。これも、格差社会ということなんでしょうね、「持てる者」と「持たざる者」との。

 では。長い話にお付き合い下さり、ありがとうございました。

 

 

カリフラワーとホライゾン

 ブログを書くことで新しい知識を得ることが結構あって、面白いです。

  昨日はカリフラワーについて書きましたが、その際、新しく知ったことを紹介しますね。

 柔道やラグビーの選手の潰れた耳のこと、日本では一般的には「ギョウザ耳」って言いますよね。でも英語では「カリフラワー耳」とか、「ボクサー耳」って言うんだそうです。

 まあ、寄りな話ってほどではありませんが、話のタネにでもして下さい。ギョウザだけに。

 

 横縞のことを英語では「ホリゾンタル・ストライプ」と言うそうです、という記事も書きました。 

chokoreitodaisuki.hatenablog.com

 そうしましたら、「ホリゾンタルが覚えられない」というコメントを頂きました。私の中では、ホライゾン=地平線というのは、結構普通というか、昔からなじみのある単語だったので、意外でした。

 カーペンターズ、と聞いてピント来た方は昭和30年代生まれかな?「緑の地平線~ホライゾン」というアルバムがありましたね。それで覚えた単語なんですよ。なので、勝手によく知られた英単語認定してました。

 「地平線」を表す英単語にもう一つ、「スカイライン」というのもありますね。ケンとメリーが乗ってた車の名前としても有名ですが。

 そして、「スカイライン」とは、地平線だけではなく、建物などが空を区切って作る輪郭線のことも言うのだそうです。

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 スペインの古都、トレドのスカイライン

 

 前出の「ケンとメリー」とは、日産・スカイラインのCMの登場人物の役名です。ロケ地になった北海道・美瑛町の丘に立つポプラの木は、観光名所になりました。

ケンとメリーの木 - Wikipedia

 

 つまり、北海道を旅した「ケンとメリーは北側」。「ジャニーとメリーは喜多川」、と言いたいわけです。では。

カリフラワーをもっと食べましょう

 子供の頃はカリフラワーは嫌いでした。昭和4、50年代は、カリフラワーと言えば、茹でてマヨネーズをつけて食べるもの、そんな感じでしたよね。この頃になって、ピクルスや、焼いて食べるカリフラワーの美味しさに目覚めて、カリフラワー・ラブになりました。

 私がそんな風だったので、勿論、うちの息子達が子供の頃は、カリフラワーを食べるという機会はほとんどありませんでした。しかも、世の中全体がいつの間にか、ブロッコリー全盛の様相を呈してしまい、スーパーの売り場ではカリフラワーは、小さく小さく、肩身が狭そうに並んでいます。

 

 「だって、ブロッコリーは昔からあるけど、カリフラワーは最近じゃん」これはウチの「息子その1」のセリフです。

 違うの!カリフラワーが先なの!ブロッコリーは後から登場したの!まあ、息子の勘違いの責任は、母である私にあるんですけどね。でも、それぐらい今の若い人にとっては、圧倒的にブロッコリー優勢みたいなんですよ

 で、なんで急にカリフラワーについて語り始めたかというと、もっとスーパーで取り扱って欲しいからなんです。私が良く利用するスーパーには、めったに並ばないんですよ。なので、カリフラワーが買いたいときは、わざわざ遠くのスーパーまで行ったり。皆さん、もっとカリフラワーを食べて、どこのスーパーでも普通に買えるようにしようじゃありませんか。だって、美味しいんですよ。

 

 私は決してお料理上手ではないのですが、隗(かい)より始めよ、ということで、カリフラワーで作ったお料理の写真をアップします。

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カリフラワーとレーズンのカレーピクルスとカリフラワーのソテー

 どちらも簡単なお料理です。特にソテーの方は、スライスしたカリフラワーをオリーブオイルで焼いて、塩・こしょう、お好みでスパイスなど振るだけ。皆さん、カリフラワーの消費拡大にご協力お願いします。

  話は変わります。

 「フラクタルって、聞いたことあります?厳密に定義しようとすると難しくなるらしいのですが、ごく簡単に言いますと、同じ「小さな形」がたくさん集まって「大きな形」をつくるとき、その大きな形はもとの「小さな形」の「拡大した形」になる図形のことです。

 わかりにくですよね。実例がこちらになります。

   ↓ Wikipediaより

f:id:takakotakakosun:20181024201554j:plain 中心を大きくしてみましょう f:id:takakotakakosun:20181024201612j:plain 「小さな円錐形」が集まって「中ぐらいの円錐形」に、「中」が集まって「大」に。やがては全体で一つの「大きな円錐型」になっていきます。

 

 この写真の野菜はロマネスコという名前の、カリフラワーの仲間です。スーパーではカリフラワーよりもよく見かけます。実は、私はまだ買った事がありません。スーパーの売り場で、この「ロマネスコ」を見ていると、その形のあまりの不思議さに、ちょっと食べる気にはなれなくて。でも、皆さんにカリフラワーの消費拡大をお願いしたのですから、私もここは挑戦するのが筋でしょう。近いうちに「ロマネスコ」を買って、何か作って見ようと思います。その時は出来不出来にかかわらず、写真をアップしたいと思います。ヘンテコなお料理になったら、笑って下さい。

 「笑う門には、フラクタル」ですから。(く、苦しい・・・) 

史上、最も高価な絵は誰が買ったか?

  昨日は「怖い絵」を紹介しましたが、現実世界も怖いですね。

「生きたまま切断され、7分後に死亡した」って、映画でもぞっとするシチュエーションなのに、ホントなんでしょうかね。

「記者は生きたまま切断」 英メディア 音声記録報じる(ホウドウキョク) - Yahoo!ニュース

 

 話は変わりますが、約510億円で落札された「油絵」がこちらです。

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   レオナルド・ダ・ヴィンチ作 「サルバトール・ムンディ」

 

 昨年、絵画として史上最高額で落札された、ダ・ヴィンチ最後の真筆とされる絵です。落札者は、サウジアラビアムハンマド・サルマン皇太子と言われています。「どんな モンディ」なんて、鼻高々なんでしょうね。桁違いのお金と権力が揃うと、凄まじいものですね。

 

 サルバトール(救世主)・ムンディ(世界の)、という意味だそうです。

 救世主=イエス。イエスも磔という、恐ろしい最期を迎えました。

   なんとも皮肉な巡り合わせだと思いませんか・・・。