昨日の記事では、「モテ期」について書きました。きっかけは、金曜日の夜、友人(人間の年齢で言えばおよそ50才。いや、人間なんですけれどもね)と話したことです。彼女は、私が年上であるということもあって、非常に褒めてくれるわけです。
・ホントに面白い方ですよね。最初にあったときから、そう思ってました。
・ブログもとっても面白いです。
・全然「おばあさん見習い」なんかじゃないですよ。
などなど。
そこで私は次のように淡々と答えたのです。
・面白いと言ってもらえるのはスゴく嬉しい。
・でも、面白い女って言うのはモテないんだよね。
・男性は、自分を笑わせてくれる女ではなくて、自分の冗談に笑ってくれる女が好きだから。
私が淡々と答えたのは、2番目、3番目は誰もが知っている、言わば「常識」にあたることだろうと考えていたからです。ところが、彼女は大層驚いた風で、
「それ、面白い説ですねえ、面白い女はモテないんですかあ」と、おばさんなりの無邪気な眼差しで反応を返してくれたのでした。
いや、私からすれば、アナタの方がずっと面白いって。推定50才にもなって、そんなに無邪気に物事に反応できるなんて。
「笑いをとる」とは、一瞬とは言え、その場の主役になるということで、人を笑わせたい、受けたいというのは、自分が場の中心になりたいという志向だと思うんです。簡単に言えば「出しゃばり」ですね。自覚は、あります。男受けがいいわけはない。「控えめ」というのが女性の美徳でしたもの、少なくとも昭和は。今もかな?
昔、息子その1(人を笑わせたい欲求は人一倍)が、保育園の頃です。同じ組の女の子を評して言った、印象深い言葉があります。
「〇〇ちゃんって、笑いやすくて可愛いよ」
ああ、自分のジョークに笑ってくれる、つまり自分を主役にしてくれる女の子が好きというのは、こんなに小さいときから、男の子の中にはあるんだなあと、妙に心に残りました。
同い年の女友達が、若い頃に年上の既婚男性から言われたというアドヴァイスが、深い。
「あなたね、結婚したいんだったら、会話は男で終わらせなさい」
話のオチをつける=主役は男の役目。女は控えめな聞き役が宜しいという、有り難いアドヴァイスです。
ただし、問題は、「面白さ」と、「結婚」あるいは「モテ」を秤にかけた結果、「面白さ」を選んでしまう業の深い女が、相当数いるということです。これは「持って生まれた」ものなので、しょうがない。我が道をgoです。
あっ、どうしよう、無意識にオチをつけてしまった。モテ期がそこまで来ていたかもしれないのに・・・。控えめな女になるどころか、「モテ期」の方が控えてしまいました。トホホ。(トホホって、懐かしい、昭和の締め方ですね)