おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

武田百合子『あの頃』を読んでいます 前編

 老眼になったからか、集中力・記憶力が衰えたからか、本というものを読まなくなってしまいました。それでも、読書習慣をすっぱり捨てるというのも後ろめたく、「たまには本でも読まないと」という、半分義務感のようなもので本を手にすることがあります。

 本を読まないことを後ろめたく感じるというのは、「生徒」だった頃にすり込まれた「本を読むのはいいこと」「本を読んで人間は成長する」、みたいな思い込みから抜け出せないでいるからでしょうか。成長するかどうかはともかく、まだまだ長い人生、先行きの時間つぶしについて考えると、

読書は、

 1.お金をかけなくてもいい(古本もあるし図書館なら只ですもんね)

 2.季節や天候に左右されない

 3.一人で出来る

 4.体力を要しない

 ざっと考えただけでもこんなに利点があります。離れるのは、もったいないですよね。

 

 十日ほど前に思い立って市立図書館に行き、こちらを借りてきました。

 

あの頃 - 単行本未収録エッセイ集

 

 本は滅多に読まなくなってしまったものの、エッセイはまだ辛うじて読めるし、もともと武田百合子の文章が好きだし、何よりも装丁のクッキリとした美しさが際立って、目に入った瞬間借りることに決めました。

 

 期待通り面白いです。でも、面白いのに長くは読んでいられなくて、やっと半分ぐらい読んだ所です。(昔は本を読むのは結構早いほうだったのになあ、本当に年をとったなあ)

 始めの方に収録された『よしゆき賛江』という短い文章についてちょっと書こうと思ったのです。が、前置きが長くなってしまったので、今日はさわりだけにしておきます。

 

 その文章は武田百合子が54歳の時に書いたものです。彼女が22、3歳だった頃、当時まだ大学生だった(作家活動はしていた)吉行淳之介に初めて会った時の印象から筆を起こしています。なんてきれいな人だろうと、そのとき茫然としたのだそうです。

 この箇所を読んだとき、思い出した事が二つありました。一つは吉行淳之介の妹で女優の吉行和子の文章です。

 不正確ですが、『若い頃女友達に、お兄様おきれいな方ねと、良く言われた』という感じだったと思います。「お兄様」というのは多分に和子氏の謙遜とユーモアの表現だとは思うのですが、男性に対して「きれい」という褒め言葉は凄いな、そう思った記憶があります。今回、百合子氏も氏をきれいな人と評しているのを読み、淳之介氏は美男子とかハンサムという域を超えていたんだろうな、そんな風に思いました。

 もう一つの思い出は、学生時代の1歳年上の女の先輩の事です。「作家は吉行淳之介が大好き」という彼女に、私が「『夕暮れまで』しか読んだことが無いんです」と言った時に返ってきた言葉です。

 「私もあんまり読んだことはないの。でも顔が好き、大好きなの」

 一口に好きな作家と言っても、その理由は様々ですね。私自身は淳之介氏の顔に関してはあまり印象にないのです。氏が年上過ぎたからなのか、あるいは私がまだまだ子供だったからなのか・・・。

 

 さて、続きは明日書くことにして、ふと思った事があります。それは、人は年をとると何かにつけて思い出す昔のことがたくさんあって、それが集中の邪魔をするのでは無いだろうかということです。読書の妨げになったりとか。

 実際、このブログを書いているときも、「吉行和子って、『ふぞろいの林檎たち』で柳沢慎吾のお母さんやってたな」と思い出して気になり、Wikipediaに寄り道してしまいました。

 こうやってあっちふらふらこっちふらふら、覚束ないのは足元ばかりではないのだなというのが年をとっての実感です。もうちょっと心を引き締めないと、そんな風にも思いました。

 あれっ、心を引き締めるって、慣用句では何を正すって言うんだっけ?

 答えは、 

 えりい~♪ ふぞろいの林檎たち(1983~)のエンディングです)続く。