おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

弥生時代の足跡

 いきなりですが、問題です。

 稲作が始まったのは弥生時代ですが、その頃、(現在の)青森県でも水田稲作は行われていたでしょうか?

 答え 今から2,100年前の弥生時代中期、青森県津軽地方では水田稲作が行われていました。その証拠は南津軽郡田舎館村の遺跡にあるのです。

 

 昨日、『田舎館村埋蔵文化財センター』に行ってきました。面白かった!そして、偶然というものが生み出す奇跡に感銘を受けたのでした。

 手作り感満載!そして分かりやすい。残念なのはガラス張りの下の「遺跡」の凄さが伝わりづらいこと。

 ガラスの下には弥生時代の水田とそこに残る弥生人の足跡が、保存のための加工が施された状態で展示されているのです。

 この展示については職員の方が簡単な説明をして下さり、その後、館内の展示は自由にご覧くださいと促されます。

 説明を聞いているうちに、ふと疑問が浮かび、得意の「物怖じせずの質問力」を発揮し聞いてみました。

 「あの、この足跡はどうして残ったんでしょうか?」

 私の質問は本当にふとした思いつきだったので、職員の方の回答には目からウロコの思いでした。

 

 「ある時、大量の火山灰が洪水でこの水田に流れこんだんです。水田はすっかり埋まってしまい、暮らしていた人々はここを捨ててどこかに移っていったようです。

 遺跡の存在が判明し、厚く積もった火山灰を取り除くと、下からは水田や畔や水路が当時のままに現れたのです。そして足跡の窪みには火山灰が石膏のように詰っていて、その火山灰を除去した跡には、弥生人の足跡がくっきり残っていたわけです」

 

↑足跡の半分だけ火山灰を取り除いた状態

 

 なんと言う偶然の重なりでしょう!

 ここからは私の空想ですが、お付き合い下さい(なるべく正確な情報をと思ったのですが、ネットで調べてもヒットしなかったもので)。

 

 雪がとけて、そろそろ今年の米作りを始めようとした田舎館村の弥生人。大人も子供も、男も女も、田に入っての作業です。今で言う「田起こし」でしょうか。空模様があやしいので、さあ今日は頑張りどきだ。くるぶし近くまで足をめり込ませての作業です。ああ疲れた。雨も落ちてきた。今日はもう上がろう。

 そうこうするうちに、雨は勢いを増して行き、恐ろしいほどの豪雨。

 「ヤバいぞ!皆、高台にうつれ、水が来るぞ!」

 と、こんな感じかな?

 あるいは、田起こしではなく、種蒔きや稲刈り時だったのかもしれません。いずれにしろ、命の糧の水田が泥に飲み込まれ、諦めるしかなかったという状況にあったのでしょう。

 

 弥生人には気の毒ですが、今日、私達がこの遺跡を目にするためには、

・足跡が残るほどの湿って柔らかい土

・はっきりと残る足跡(グチャグチャでない)

・短時間のうちに大量の火山灰に覆われる

・その後、荒らされる(掘り起こされる)ことがない

 素人がざっと考えを巡らせただけでも、これだけの偶然の条件の重なりが必要だと思うのです。 

 

 この写真は垂柳遺跡のすぐ近く(まさにこの場所!)で発掘され、周りを一周出来るように保存・展示されている高樋(3)遺跡です。水路を目の当たりに出来て、驚かされます。

 こんなにはっきりと区画された水田の後が残るのに、こちらでは足跡は発見されていないのだそうです。

 何気なくみていた「弥生人の足跡」ですが、長い年月を経た偶然の賜物なのです。決して、即席ではない足跡(そくせき)なのでした。続く。