おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

弥生時代の土器

 『田舎館村埋蔵文化財センター』でみた、弥生式土器について書きたいと思います。

 『田舎館村埋蔵文化財センター』では、遺跡を「見れる!歩ける!さわれる!とれる!」とうたっているのですが、

なんと、復元した弥生式土器にもさわれるのです!

 

 「いいの?いいの?本当にいいの?」恐る恐る「さわり」、でも初めて手に取った弥生式土器なので写真にも「とり」ました。

 軽い!

 驚いたのはその軽さ。薄造りが実現した軽さなのだと分かります。職員の方に、

 「軽くて驚きました」と言いましたら、

 「そうなんですよ、縄文式に比べてものすごく軽い。薄く作れるようになった技術の進歩があります」

と、説明して下さいました。

 縄文式土器は手にしたことがないので比較を実感は出来ないのですが、想像はつきます。そして、技術の他に美意識の変化というものを実感したのです。

 縄文式土器のカッコよさは岡本太郎以来広く認識され、多くの日本人の認めるところとなりました。私なんかは「縄文式カッコよい、弥生式あっさりし過ぎ」なんて思っていました。ところが、今回実物に触れてちょっと考えが変わったのです。そして、思い出した「美意識の変化の実例」があったのです。

 昔むかし、そう昭和の頃。歌手がステージで歌うときは舞台衣装で着飾るもの、特に暮れの紅白歌合戦ともなれば、ここぞとばかりの力の入れようでした。そして、私達視聴者もそれを当たり前として楽しみにしていたものです。

 そこに、颯爽と反旗を翻すかのように登場したのが、当時ニューミュージックと言われたジャンルのシンガー・ソングライター達。彼等は自然体こそカッコいいとばかりにTシャツ・ジーンズという普通の若者の普段着姿でステージに立ったのでした。新鮮というか斬新でした。

 弥生式土器を手に取ったとき、上に書いた価値観の変化を縄文式土器から弥生式土器への変化に連想したのです。

 「ごちゃごちゃ着飾るより、素っ気ないぐらいがカッコいいよね」と。

 

 そして、やっぱり人間ですね。

 若者達がたかがTシャツ、たかがジーンズにもこだわりを見せたように、弥生人も土器のデザインに素晴らしいセンスを発揮していたのでした。

 カッコいいもの、美しいものを持ちたい、作りたい、手に入れたい。いつの時代も人間の思うことは変わらないのだなぁと、ドキっとさせられたのでした。では。