おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

余暇の使い方

 パンパカパ~ンって、もうね、この書き出しからしてご高齢感満載。でも、ファンファーレ付きで発表したかったの。許して。

 なんと!

 これが当ブログ、1000個目の記事なんですよ。ということは、私は世界に向けて、1000個以上のダジャレを発信したということなんですよ。凄いんだか凄くないんだか。でも、私としてはとっても嬉しいです。

 

 先月、八戸市の『是川縄文館』を訪れた際、縄文時代の生活を紹介するビデオを見ました。あまり熱心には見なかったのでかなり不正確なのですが、

 「縄文時代、人々は火を囲んで何を語り合ったのでしょうか」

みたいなナレーションがありまして、ちょっと心に響いたんですよね。

 想像してみてください。私達が家族や友人と交わす言葉のうちから、縄文時代には無かったものを取り去るとしたら。

 学校や職場の話題は無し。テレビやネットから得た情報は一切なし。文字を通して知った知識も無し。残るものと言えば、

 「今日は暑かった」「木の実のなりが良い」「お腹いっぱい食べられた」「歯が痛い」「土器が上手く焼けた」「生まれた」「死んだ」、

こんな感じでしょうか。生活そのものに根ざした会話しか無かったと思うんです。

 縄文人の一日は、明るいうちは食べ物と生活用品を作り出すことに追われ、暗くなったら寝る。そんな生活だったろうと想像します。そこには余暇、つまり暇な時間なんてなかったでしょう。

 いえ、何も縄文時代まで遡らなくとも、庶民が「暇な時間」を手に入れたのなんて、つい最近のこと、昭和になってからじゃないでしょうか。「暇な時間」に稽古事などの趣味を楽しむなんてお金持ちだけの特権、そう言う時代が長かったと思います。

 「貧乏暇なし」なんて言葉もありますが、現代の私達は、皆それぞれに余暇を楽しむのは当たり前、という認識がありますよね。少なくともブログを書くなんてことは、時間的余裕=余暇が無ければ出来ないことです。改めて、ありがたいことだなあと思いますね。

 余暇の使い方は人それぞれ。

 趣味に打ち込むも良し。ゆったりとお茶を飲む、ヨウカンをお供に、なんてのもいいですね。あるいは、ヨーカドーに買い物に行くとか。

 そんな余暇の楽しみ方の中でも、ブログを書くことの素晴らしい点は、過去の自分にいつでも再会できるということです。昔の友人に会えたような、懐かしい気分になります。また、以前に書いたことはすっかり忘れてしまっていたりもするので、新鮮な気持ちで読み返すことも出来るのです。

 

chokoreitodaisuki.hatenablog.com

 上の過去記事は、人間にとっては娯楽というものは無くてはならないものだということについて書いたものです。読み返して、我ながらなかなか良いことを書いていると思いました。九州弁では「よか記事」ですかね。皆さんの余暇を使って、是非お読みくださいね。これからも宜しくです。では。