おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

「しりとり」が好きな子供でした

今週のお題「ゲームの思い出」

 

今週のお題に対して、まさかの「しりとり」。

ホントに「おばさん」、てか、「おばあさん」?

まあでも、何時でも・どこでも・誰とでも・なんなら一人でも出来る、そういう意味では優秀なゲームではありますよね。退屈しのぎには結構役立ちますね。

 ↓ 「しりとり写真」です

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 「ゲーム」から話を広げて、昔読んで心に深く残った本の、「娯楽」に関するエピソードを書きたいと思います。

 

 『アガーフィアの森』ワシーリー・ペスコフ(著)河野万里子(訳)

 

人里から遠く遠く離れた、深い深いシベリアの山の中で、両親と四人の子供達(発見された当時は既に大人)だけで暮らしていたある家族の実話です。          

ルイコフ一家 - Wikipedia

 彼らの生活には「娯楽」と呼べるようなものはほとんどなく、数冊しかない本を繰り返し繰り返し読んだり。そんな生活の中では、昨夜みた「夢の話をする・聞く」というのが大きな楽しみだったのです!

 夢の話って!

 それって一般的には「つまらない話」の代名詞でしょ?他人が、昨夜みた夢について滔々と語るとき(なぜか、語りたくはなりますよね。夢を見た当人にとっては実際の経験に近いからでしょうね)、礼儀として「ふんふん」聞いてはいますが、皆内心は飽き飽きですよね。だって、結局ただの夢の話なんですもの、ばかばかしい。

 その夢の話が「娯楽」になるんですよ。どれほど変化や刺激のない退屈な日常の繰り返しなのか、想像もつかないと思いませんか。と同時に、人間ってどんな日常にあっても、何かしらの娯楽を見つけ出すのだなあとしみじみ考えさせられましたよ。

 しかも、本の中で父親が語ったとされる、アガーフィアのみた夢の内容がスゴいんですよ。だいたいこんな感じだったと思います。

 『その夢の中に出てきた松ぼっくりというのが、なんと、人間の背丈ほどもあったそうなんじゃ』

 

 どんなに荒唐無稽と思われるような「夢」も、見たこともないものや、経験したことのないことで構成されることはないのです。アガーフィアの夢に登場するのは、アガーフィアの知り得る世界に限られるのです。そして、それが、松ぼっくり

 人間の背丈ほどもある松ぼっくりが、アガーフィアにとっては、なんとも不思議で心ざわつく「夢」の世界なんです。

 

 10年以上も前に読んだ本ですが、忘れられない衝撃のエピソードです。

 

 忘れられない「夢の話」と言えば、40年以上も前の弟との会話です。私にとっては昔から、冗談は大きな「娯楽」の一つなんです。

 

 私「寝るときはメガネを外すから、夢がよく見えないんだよね」

 弟「俺もさ、寝るときは目をつぶるから、夢が見えないんだよね」