おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

初めての寄席

 先般の「大人の休日旅」で、上野の「鈴本演芸場」の夜の部に行きまして、大変楽しかったのです。

 

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 私は特に落語好きというわけではなく、普段の生活でも、人の話を聞くより自分がしゃべる方が好きという性分なので、17時30分から20時40分という長丁場。しかも聞く一方。最後まで飽きずに楽しめるかちょっと心配もありました。でも全くの杞憂。面白くて面白くて、あっという間の3時間半でした。「寄席」、おすすめです。東京で時間つぶしに迷ったら、是非行ってみて下さい。

 落語も全部面白かったのですが、漫才の『ロケット団』には、何回も声を出して笑ってしまいました。同じオチを繰り返して、オチが分かっているのにお客が笑ってしまうと言うのは何なんでしょうね。手のひらの上でコロコロ転がされているような、不思議な心地よさがあります。

 また、曲芸や奇術や小唄といった「しゃべり」が本業でない方々も、本業は勿論、しゃべりも軽妙で、笑いながら彼らの世界に引っ張り込まれてしまうのです。

 

 さて。真打ち「古今亭菊之丞」の登場です。歌舞伎の女形のようなお顔立ちに加えて、着物姿が妙にしっとりしてるんですよ(笑)。

 その夜の噺は「人情物」ということになるんでしょうか。盲目の主人公が上野の清水の観音様にお参りして、そのお力で目を治して頂くというストーリーなのですが、クライマックスで語られる母と子の情愛は、思わず涙ぐんでしまいます。

 そして、涙ぐみながら「上野の観音様って、今年の冬に行ったなあ」と思い出していたのでした。

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 「番組」がすべて終わり、現実に戻りながら考えたのは、東京(江戸)の人と地方人との「落語」というものに対するスタンスの違いです。それは、寄席があるとか無いとかと言ったことではなく、お話の舞台そのもののことなのです。

 私達地方人にとっては、例えば上野の観音様なんて、「そいうところがあるのだろう」ぐらいの認識です。それは取りも直さず、落語自体が物語り、作り物の世界という認識になってしまうと思うんですね。それに対して、東京(江戸)の方々にとっては、よく知った場所が舞台で、登場人物も同じ町内にいそうなオヤジ達で、まるでご近所で実際にあった噂話でも聞いているような気分になる、それが落語という物なんじゃないかと思ったのです。

 

 客席から出て、出口に向かう下りのエスカレーターに乗っている時です。後ろから男女の話し声が聞こえてきました。

 男 「目が見えるようになって、『その夜は観音様でお通夜です』って、誰か死んだっけ?」

 女 「良くわかんなかったけど、最後はハッピーエンドな感じだったよね」

 

 きっと若い二人なんだろうな。「お通夜って言うのは、お礼の意味で夜通しでお祈りしたっていうことなんですよ」と、お節介な私は教えてあげたくて。流石に、いきなり知らないおばちゃんに話しかけられたら面食らうだろうと、言葉は飲み込みましたが、今度は何歳ぐらいのカップルなのか気になって。さりげな~く振り向いたところ、なんと40歳代と思しき二人でした。そうか~、「お通夜」は人が亡くなった時のお通夜でしか使わないもんね~、そうだよね~。

 言葉は時代と共に変わっていく物なので、刻々新しい言葉が生まれる反面、死語も出来るのは仕方のない事です。とは言え、「落語」等の言葉を扱う芸能は大変だろうなと、せっかく楽しい落語を聞いた後なのに、ちょっぴり落ち着かない気持ちにもなったのでした。では。