おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

『ちいさい秋みつけた』②

 『ちいさい秋みつけた』を作詞したサトウハチローは小説家・佐藤紅緑の長男であり、同じく小説家・佐藤愛子の異母兄です。

 サトウハチローが大変な不良少年・放蕩息子であったことは有名で、借金、女性関係、さらに覚醒剤ヒロポン)中毒と、周囲に迷惑かけっぱなしでした。

 ところが、そんな実人生とは裏腹に、サトウハチローが作詞した童謡や歌謡曲の世界観は繊細で叙情溢れる、実に美しく清らかなものなのです。特に有名な作品をいくつか紹介しますと、

 童謡 『お山の杉の子』『うれしいひなまつり』『かわいいかくれんぼ』等々

 歌謡曲 『リンゴの唄』『二人は若い』『長崎の鐘』等々

 どれも「へー、サトウハチローの作詞なんだ!」と、知ったらビックリするような有名な作品ばかりでしょう?そして、どれも「詞がいいよねえ」と言いたくなるものばかりじゃないですか。

 私の古い記憶ですが、佐藤愛子さんのエッセーで兄・サトウハチローの詞について、『ちいさい秋みつけた』を例にあげて言及しているものを読んだことがあるのです。

 かなりあやふやな話で申し訳ないのですが、だいたい次の様な内容でした(多分)。

 兄・サトウハチローはダメな男だが、ダメなりに頑張った。

 例えば、『ちいさい秋みつけた』という歌詞は、「誰かさん」を三回繰り返し、「ちいさい秋」を三回繰り返すというように、少ない語彙でもなんとか凌ぐという、ダメなりの工夫をした。

 昔、この話を読んだときは「愛があるなあ」とだけ思ったのですが、今改めて思うに、これは兄の才能を十二分に認めるからこそ書けた文章ですね。

 『ちいさい秋みつけた』には、上述の二つだけではなく、「昔の昔の風見の鶏の」「はぜの葉一つ はぜの葉赤くて」という繰り返し表現があるのですが、そのどれもが実にいい味わいを持っているのです。佐藤愛子さんは、『ちいさい秋みつけた』におけるリフレインの効果、その必要にして十分な働きを認めるからこそ、あのようなウィットに富んだ賛辞を贈ったのだろうと思うのです。

 いかがでしょうか?誰か、もう一度『ちいさい秋みつけた』を聞きたくなった人はいませんか?まるでサトウハチローによる繰り返しの魔法にかかったように。ほら、聞きたくなった人、いるでしょう?誰か、聞きたくなったでしょう?誰かが、誰かさんが、誰かさんが、誰かさんが・・・。