おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

ラジオを聞いて、文字で伝える難しさ

 先日、ラジオの『テレフォン人生相談』を聞いての事です。正確にはYoutubeで聞いたのですが。

 

 相談は80代の父の借金に困っている、50代女性からのものでした。そのお父さんは昔から金遣いが荒く、借金を繰り返してきたそうで、相談者と妹さんが肩代わりして返済したことも何回もあったそうです。そのくせお父さんは「お前達には迷惑はかけない」と言い、そして今回またまた多額の借金が発覚し、もう肩代わりも出来ず、どうしたらいいのかというお悩みでした。

 いろいろと専門家がアドバイスしたあと、相談者が「有り難うございました」と挨拶して相談は終了するのですが、回によっては進行役の加藤諦三先生から、最後に「シメの一言」があることがあります。今回もありました。

 

 周りが心配して苦しんでいても、本人は平気。それが借金している人です。

 

 私はこの言葉を聞いた瞬間、電流が走ったような気持ちになりました。大げさではなく。そして、「腑に落ちた」とでもいいますか、なんだかすごく納得した気持ちになったのです。それはつまり、加藤先生の言葉が「本質を突いている」という類いのものだったからだと思うのです。そして、それが耳から入ってきたことも大きかったように思うのです。

 私が感じた衝撃のようなものは、到底私の拙い文章では伝えきれないのですが、でもそれは必ずしも私の力不足とばかりは言えないのではないかと思うのです。文字で伝えることの難しさが、やっぱりあると思うのです。

 

 もう一つ。こちらは実際に車を運転しながらラジオで聞いた話です。漫然と聞き流しているのでなんの番組だったかは定かではないのですが、リスナー(高齢男性)からのお手紙が紹介されました。

 

 「時には祖父のように、そして時には父のように兄のように、いつもためになるお話、有り難うございます」

 

 冒頭の挨拶の部分です。これを「目」でお読みになっている皆さんは恐らく何もお感じにならないかと思います。でも、私には「耳」に飛び込んできたのです、上のフレーズが。

 その瞬間、私にはある曲の出だしのメロディーが浮かんだのです。その曲とは、黒沢年雄さんの『時には娼婦のように』。

 試しに口ずさんでみました。車には私しかいないのですから、ためらうことも無く。

 

 ♪ 時には そ~ふのように~ ♪

 

 そうしましたら、すごい訛りのある人が歌う『時には娼婦のように』になり、おかしさ倍増。心おきなく大笑いしました。車には私だけですから。

 どうでしょう?この面白さ、伝わりましたでしょうか。ここでも、やはり「文字で伝えることの難しさ」というハードルがあるのですが、「面白くない」とお思いの方は、是非口ずさんでみて下さい。少しは面白がって頂けるかもしれません。

 

 以上、ちょっぴりでも、「耳より」な話と思って下さる方がいらっしゃれば嬉しいです。では。