おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

夕立さえも懐かしく

 大雨の被害に遭われた方には申し訳ないのですが、こちら津軽では雨が嬉しいこの頃です。

 

 今年の梅雨は全くの空梅雨で、農家の方は「野菜もリンゴもカラカラだよ」と嘆いていました。そこへ、台風8号が珍しい進路をとって青森県も通るという予報。水曜日は津軽中で、「雨よ降れ、でも風よ吹くな」の祈りに満ち満ちていたかと思われます。

 その甲斐がありすぎたのか、風被害がなかったのは良かったものの、降水量はちょっと物足りない感じでした。もう少し、いえ、もっともっと降ってくれても良かったのに。

 木・金は、午後から「一時雨」の予報が出ていました。でも、私はだまされないよ。最近は「一時雨」はいつの間にか消えて、「結局降らない」の繰り返しでしたからね。

 ところが、当たるねー、天気予報。木曜日は雷がひとしきり鳴った後に大降り。昨日金曜日も、三時ぐらいからだったでしょうか、二時間あまり盛大に降りました。

 「夕立らしい夕立だなあ。夏感あるねえ」

 そう思いながら窓辺に立って外を眺めていると、傘を差した小学生が二人通って行きました。なんだか懐かしいなあ。

 

 私は今は無職で、優雅に夕立を眺めていられる身分なのですが、働いていた頃は、夕立にはいつもハラハラさせられたものです。

 朝はバタバタと最低限のことをして家を飛び出すので、天気予報もろくに見ませんでした。仕事中にパラパラと雨の落ちてくる音が聞こえると、いつもいつも「わっ、雨だ!しまった!」となるのでした。

 しまった、二階の廊下の窓が開けっぱなしだ、とか。

 息子達が小学生の頃は、「置き傘が”家に”置き傘だ。誰かの迎えの車に乗せて貰えますように」とか。学習能力の欠如といいますか、毎度毎度同じ過ちを繰り返していました。

 今日のタイトル「夕立さえも懐かしく」とは、我ながら詩的だなあと思うのですが、そういう心持ちになれるのも、余裕という物があってこそでしょうね。夕立は作物だけでは無く、私の心も潤してくれたという、自慢話のようなお話です。

 さて、夕立と言えば雷がつきものですが、昔よくママ友を笑わせたネタを紹介したいと思います。

 私 「うちの夫は雷親父で」

 友 「えー。あんなに優しそうなのに?」

 私 「いっつもゴロゴロしてるのよ」

 

 見事に「落ちる」ネタでしょう?雷だけに。では。