大雨の被害に遭われた方には申し訳ないのですが、こちら津軽では雨が嬉しいこの頃です。
今年の梅雨は全くの空梅雨で、農家の方は「野菜もリンゴもカラカラだよ」と嘆いていました。そこへ、台風8号が珍しい進路をとって青森県も通るという予報。水曜日は津軽中で、「雨よ降れ、でも風よ吹くな」の祈りに満ち満ちていたかと思われます。
その甲斐がありすぎたのか、風被害がなかったのは良かったものの、降水量はちょっと物足りない感じでした。もう少し、いえ、もっともっと降ってくれても良かったのに。
木・金は、午後から「一時雨」の予報が出ていました。でも、私はだまされないよ。最近は「一時雨」はいつの間にか消えて、「結局降らない」の繰り返しでしたからね。
ところが、当たるねー、天気予報。木曜日は雷がひとしきり鳴った後に大降り。昨日金曜日も、三時ぐらいからだったでしょうか、二時間あまり盛大に降りました。
「夕立らしい夕立だなあ。夏感あるねえ」
そう思いながら窓辺に立って外を眺めていると、傘を差した小学生が二人通って行きました。なんだか懐かしいなあ。
私は今は無職で、優雅に夕立を眺めていられる身分なのですが、働いていた頃は、夕立にはいつもハラハラさせられたものです。
朝はバタバタと最低限のことをして家を飛び出すので、天気予報もろくに見ませんでした。仕事中にパラパラと雨の落ちてくる音が聞こえると、いつもいつも「わっ、雨だ!しまった!」となるのでした。
しまった、二階の廊下の窓が開けっぱなしだ、とか。
息子達が小学生の頃は、「置き傘が”家に”置き傘だ。誰かの迎えの車に乗せて貰えますように」とか。学習能力の欠如といいますか、毎度毎度同じ過ちを繰り返していました。
今日のタイトル「夕立さえも懐かしく」とは、我ながら詩的だなあと思うのですが、そういう心持ちになれるのも、余裕という物があってこそでしょうね。夕立は作物だけでは無く、私の心も潤してくれたという、自慢話のようなお話です。
さて、夕立と言えば雷がつきものですが、昔よくママ友を笑わせたネタを紹介したいと思います。
私 「うちの夫は雷親父で」
友 「えー。あんなに優しそうなのに?」
私 「いっつもゴロゴロしてるのよ」
見事に「落ちる」ネタでしょう?雷だけに。では。