「飲む打つ買う」というフレーズをキーワードにちょっと書いてみようと思いまして、先ずはネットで意味を調べることにしました。勿論、飲むは酒、打つは博打、買うは女、そういう意味であるのは知っていましたが、念のため。
そうしましたら、検索で提示された候補の中に、「昭和の男のたしなみ」という形容句がありましてですね、思わずクスリとしてしまいましたよ。(この、「思わずクスリ」という表現も昭和っぽいですね)
昭和も遙か昔となり、この頃では「博打を打つ」なんて言葉は、比喩としてしか使われなくなったのではないでしょうか。変わって令和の今は、「打つ」と言えば「ワクチン」ですね。
そのワクチンですが、生みの親・ジェンナーの逸話は有名です。牛痘に罹った人は天然痘にならないという伝聞から、天然痘のワクチンを発明したというあれです。その際、使用したのは牛痘の膿だったそうで、まさに「うみの親」なわけです。
ちなみに、「ワクチン」という名称は、ラテン語のVacca(ワッカ=雌牛)に由来するのだそうです。
考えてみれば「飲む打つ買う」の「買う」なんて、最早時代遅れも甚だしい言葉ですね。「打つ」の意味が変わったように、ここは一つ「買う」も「Cow(カウ=雌牛)」と改めて、そのついでに、「飲む」は牛つながりの「牛乳」ということでですね、如何なもんでしょうか。
令和の「飲む・打つ・Cow」は健康の合い言葉と言うことで。いい感じにおさまると思うんですよねえ・・・。
コロナウイルスワクチンの接種に関しては、その効果や副反応を巡って様々な情報が飛び交っています。命に関わることですから、皆が喧喧諤諤となるのは分かるのですが、中には科学的に全く根拠の無いような、荒唐無稽と思えるような説も混じったりしています。
ネットでそういった書き込みを目にすると、あきれたりしながらも、そういう「愚かさ」もまた人間というものの本質の一つなのだろうと思ったりするのです。ジェンナーを巡る逸話の一つを思い出して。
「ほら、あのジェンナーのあれ。なんでも、あれを刺されると刺された奴は牛になっちまうそうだ。とんでもねえこった」
ああ、あれから二百年・・・。私達人間のなんと変わらぬ事か。さながら牛歩のごとし・・・。では。