「東京オリンピック・パラリンピック」が始まりましたね。開会式はご覧になりましたか。私はガッツリ観ましたよ。感想としては、「なんかショボい」と思いましたが、コロナ禍の中の開催と思えば、仕方ないところもあるんでしょうか。
「動くピクトグラム」が意外に好評なようで、ビックリしています。私は「これ、オリパラの開会式でやること?」って思ったんですよね。なんでそう思ったのか、ネットの書き込みをみてハッキリしました。
「仮装大賞かい!」
そうなんですよ、サイズ感が「欽ちゃんの仮装大賞」レベルで、国立競技場でこれかい?って感じたんです。ある意味、無観客だから成立したのかなという気がします。世界中が「画面」でみるのですからね。
もう一つ。世間の声と私との間に大きな隔たりを感じていることがあるんです。それは、「子供を深夜まで動員した」問題。
私はネットでそのことを問題視する意見をみるまで、思いつきもしませんでしたよ。順法精神が足りないんでしょうか。自分では真面目な方だと思っていたんですが。
労働させたならともかく、子供本人が喜んで参加した一生に一度のイベント。私達の日常でだって、お祭りや大晦日や、それから親戚が集まったとき、子供の夜更かしを大目にみることは普通にあることでしょう?それらとオリパラ開会式を同列に考えること事態が、常識外れなんでしょうか。
昔、桃井かおり氏が出演したCMで、「世の中、バカが多くて疲れません?」というセリフにクレームが有り、「世の中、お利口が多くて疲れません?」に差し替えになったという事件、ありましたね。懐かしいですね。
私は自分の事を、真面目なだけではなく利口な人間であると思っていたのですが、間違っていたようです。「子供動員問題」で自覚しました。「不真面目でバカ」な側の人間でした。
話は変わりますが、私は二十歳前後の頃、谷崎潤一郎の小説が好きで、あれこれ読みました。その中で、『刺青』という有名な短編の書き出しなのですが、「どういうこと?意味がわからない」と強く印象に残ったフレーズがあるのです。
其れはまだ人々が「愚(おろか)」と云う貴い徳を持って居て、世の中が今のように激しく軋(きし)み合わない時分であった。
「愚か」がなぜ貴い徳なのだろう?そう思った私のなんと若かったことか。
今の私は記憶力を始めとした頭の働きは相当衰えたけれど、若い頃には分からなかったことで、分かるようになったこともあります。「不真面目でバカ」な側になってみなければ分からない事、世の中にはそんな事もいっぱいある、そう思うようになりました。
ハイテクの時代に逆行する「動くピクトグラム」に味があるように、市井の人々の「愚かさ」が潤滑油だった時代があったのだと、久しぶりに『刺青』の一節を懐かしく思い出しています。では。