おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

どうでもいいような、身長の話

 ここ二三日、テレビやネットでお名前やお姿を目にして驚かされた三人の方々。業績の凄さ以外にも共通点がありまして、それはビックリするほど、高身長だと言うことです。

 

 ミュージシャン・米津玄師氏(1991~) 188㎝ 

 博物学者・南方熊楠氏(1867~1941) 188㎝

 建築家・隈研吾氏(1954~) 189㎝

 

 だから何だと言われれば何でもないのですが、単純にビックリしません?そして、ビックリした事って、「ねえねえ」って誰かに言いたくなるでしょう?

 

 私は子供の頃から一貫して「平均身長」で生きてきました。なので、自分の事を「背が低い」と思った事はなく、「もう少し身長があったら」とは思いますが、切実なものではありません。

 ところが、大人になってから親しくなった友人、職場の同僚だったり、いわゆるママ友だったりが、揃いもそろって大きいの。不思議なほど揃って皆さん160㎝越え。何人かでランチに行ったりすると、158㎝の私は時々「あれっ、私ってチビ?」と感じる事があるのです。そうしますと、面白いもので、なんとなく「チビッコキャラ」としての振る舞いをしてしまうような。ボンヤリとですが、そんな気がする時があるのです。還暦目前の私ですらそうなのですから、子供の時から「平均から外れた身長」の方は、身長が、その性格形成に大きく関わる要素になるのかも知れませんね。

 

 昔、何かで読んで印象に残っている話を紹介します。統計的なデータや科学的根拠のあるものではありませんので、念のため。

 それは、昭和の終わり頃に読んだのだと思うのですが、「今の若者には、自分の親より背が低い者はいない」という一文でした。すんなりと納得のいく文章でした。実感がありました。私を含め、同級生や回りの若者を思い出すと、皆、女子であれば母親より大きく、男子であれば父親より大きかったのです。

 栄養状態が格段に良くなって、子供はその親の世代より発育が良くなる、それが当たり前であり、世の中の流れなのだろうと単純に思っていました。

 

 ところが、平成になってからだと思います。何かの機会に、

 「私、家族の中で一番小さいの」という女子高生の言葉を聞いたのです。思わず、

 「お母さんより小さいの?」と尋ねてしまいました。結果はイエス。お母さんは160㎝以上あり、その女の子は155㎝無いぐらいなのだそうです。高校生ですから、恐らくそれ以上大きくなることはないと思われ、本人も諦めているようでした。

 それから気を付けて若い人を見てみると、いますね、普通に。親よりも背の低い娘や息子達が。

  

 身長ばかりではありません。日本経済がずっと低成長が続いて、若者がどんどん貧しくなっているというニュースはよく聞きます。

 私達昭和世代は「親より大きく」に加えて「親よりも豊かに」が当たり前のように生きてきましたが、今の若い世代はそうでは無いようです。私達よりも大変な時代を生きていかなければならないのは確実なようです。

 では、これから高齢者になる私達に出来ることはないのか。高齢者の権利も大事ですが、身の丈に応じて社会に寄与できることはないか、考えていきたいと思うのです。

 あれっ、どうでもいいような雑感を書くつもりが、思いがけず真面目な着地点になりました。タイトルをもっとしんちょうに考えてつければ良かったなあ、では。