おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

牧宗親(まきのむねちか)、髻(もとどり)を切られる

 およそ40年振りに、NHKの大河ドラマをみています。『鎌倉殿の13人』、面白いですね。

 先週の回ですが、ある事に激怒した源頼朝が、御家人に命じて牧宗親の髻を切り落とさせるというシーンがありました。

 『鎌倉殿の13人』をみていていつも感心させられるのは、「役者って上手いものだなあ」「演技って凄いものだなあ」という点です。

 牧宗親が髻を切られるというシーンでも、居並ぶ板東武者達の驚愕・動揺の表情で、それがどれ程の厳罰であったかが分かります。また、切られた宗親の嘆きからも、与えられた恥辱の大きさが分かります。

 でもそれはそれとして、ドラマを視ていた私が思ったのは、「ここでナレーションか字幕で少し説明があってもいいのではないか」ということです。

 『当時の男性にとって、髻を切られるというのはこれ以上無い恥辱であった』この程度でもいいので。ぐっと分かり易くなると思うのです。

 ところが。

 こんな風に書いておきながら全く逆の事を次に書くのですが、説明が無かったお陰で、自分で調べてみる気になったのです。「髻を切られるって、なんでそんなにもおおごとなの?」という興味が湧いたのです。

 

 いつも通りネットであれこれ読んでみたのですが、大きく次の二点が理由としてあげられていました。

 一、そもそも髻とは成人男性の証であり、それを切られるとは「お前は男ではない」と言われるも同じ

 一、その当時、男性は人前では決して頭を見せないものとされていた(そう言えば、頼朝は入浴シーンでも烏帽子をかぶっていました)。髻は烏帽子や冠を留める役目をもつ、なくてはならないもの。

 なるほどねえ、髻って、男性にとって命の次ぐらいに大事なものと言うことなんですね。あれ?でもちょっと待って下さい。ほら、あのう、男性の中には「髪は、なが~い友達」(昔のCMネタです)ではない方もいらっしゃいますよね。その場合はどうなるんでしょう?

 なんて事を考えていたら、見つけました。『枕草子』で有名な清少納言のお父さん、清原元輔(きよはらのもとすけ)について、今昔物語に面白い逸話がありました。

 すぐにでもご紹介したい気持ちは山々なのですが、少々長くなりますので、この続きは明日と言うことにしたいと思います。皆さん、後ろを引かれる思いでしょうが、お待ち下さいね。

 それにしても、牧宗親ですよ。

 髻は髪が伸びればもとどおりになるでしょうが、屈辱感や頼朝に対する恨み、そういったものは恐らく生涯消えることは無かったことでしょうね。かみのみぞ知る、ではありますが。続く。