おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

映画『ジュリエッタ』が、妙に頭を離れない

 去る9月28日(土)、NPO法人harappa主催の映画の催しがありました。場所は弘前市のデパート『中三』8F。映画は三本上映されたのですが、私は所用のため、10:30からの上映作品である『ジュリエッタ』だけ、観に行きました。

 

 『ジュリエッタ』は監督・脚本ペドロ・アルモドバル、2016年のスペイン映画でした。私はスペイン映画を観るのは多分初めてで、監督についても演者についても、全くなんの知識もありませんでした。でも、凄く良かった~。以下、大いにネタバレ。

 

 ジュリエッタは若い頃、列車で知り合った男性と、その車内でいきなり「いたして」しまうのです。一夜限りの出会いでしたが、お互いにお互いが忘れられず、二人は再会し、結婚します。実は再会した時点で、既にジュリエッタは彼の娘を妊娠していました。

 ジュリエッタの母は若年性の認知症で、その介護のために父は早期退職し、田舎に引っ込みます。でも、その父は若い家政婦と浮気しており、そんな父をジュリエッタは許せない。でも、ジュリエッタが列車で(未来の)夫と出会った時、彼には植物状態の妻がいたのです。つまり、夫は父と同じ立場、ジュリエッタは家政婦と同じ立場。

 

 夫が他の女性と肉体関係を持ったことが原因で、二人は夫婦喧嘩。ジュリエッタは頭を冷やしに「散歩へ行くわ!」、夫は悪天候なのに「俺は漁に出る!」。そしてその嵐のため、彼は命を落とします。抜け殻のようになるジュリエッタ

 

 ジュリエッタを献身的に支える、ティーンエイジャーの娘。「父を失った娘」であるより、「夫を失った母」を支える役に徹するのです。が、やがて、彼女は失踪。ジュリエッタの時は止まってしまいます。長い年月の後、音信不通だった娘から手紙が来ます。

 「お母さん、私は事故で息子を失いました。今、私が去ったときの、あなたの気持ちがわかります」

 

 以上、ざっと筋を紹介しましたが、子が親の人生をなぞるかのような展開があって、歴史は繰り返すと言いますか、四字熟語で表すなら「因果応報」と言いますか、考えさせられるのです。人間って、なんだか同じ所をグルグル回っているんだな~とか、ギリシャ悲劇の時代から変わってないんだろうなあとか、そんな事を。

 そして、そんな事を思いつつも、ずっと頭から離れないのは、「言葉」の無力さということなんです。

 ジュリエッタは列車の中でいきなり「彼」と結ばれますが、それは尋常ならざる精神状態にあったからなのでした。

 一人旅のジュリエッタの向かいの座席に、「話し相手になりましょう」と中年男性が座ります。でもジュリエッタは彼が気持ち悪く思われ、食堂車へ。列車がある駅で停車し、再び走り出すと、人身事故が起こります。犠牲者はその中年男性で、覚悟の自殺と思われます。ジュリエッタは自分が話し相手になっていればと、激しく動揺します。

 

 このエピソードは明らかに「会話が不在」で、そのせいかどうかは分かりませんが、悲劇が起こります。そして、物語全体を通して、ジュリエッタと他者との間には「会話」がないのです。

 ジュリエッタは、「理解して欲しい」という父を拒絶しています。

 夫との夫婦喧嘩は、罵り合うこともない代わりに、永遠の別れで終わりました。

 ジュリエッタと娘は、女同士でもあまり会話のない関係でした。「言わなくても分かっていると思っていた」と、後年、ジュリエッタは語ります。

 さらに、物語の冒頭では、未亡人のジュリエッタに恋人がいるのですが、彼女は何も言わず、彼と別れるのです。

 

 このように、大事な人達との関係において、ジュリエッタは大事なことは何も話さないのですが、それは何を意味するのでしょうか。

 実は、ジュリエッタは若い頃「歴史」の臨時教員をしていました。彼女の授業風景が描かれるのですが、とてもイキイキとした興味深い授業で、生徒の評判もいいのでした。彼女は決して口下手ではなく、むしろ魅力的な語り手なのです。彼女は他者と会話を楽しむ能力があり、そして実際に楽しんでもいたでしょう。

 ジュリエッタは他者と会話しなかったのではなく、問題は、会話というものには限界があるということなのではないかと思うのです。

 その限界とは、先に書いた「言葉の無力さ」ということのような気がするのです。

 自分でも自分の気持ちを言葉に出来ない。言いたいことが相手に十分に伝わらない。大事な場面であればあるほど、沈黙を余儀なくされてしまう。

 人間関係が「言葉」に依るものであれば、それが不完全であることのもどかしさ。人は結局わかり合えないものなのかという、古くからある問いに立ち返ってしまうのです。

 

 物語は、傷心の娘のもとへと向かう、ジュリエッタを乗せた車のシーンで終わります。運転しているのは再び戻って来た恋人です。

 人間同士がわかり合えるものなのかどうかは分かりませんが、いずれにしろ、生きていくためには他者を必要とするのが人間なのです。

 人の間と書いて人間、「言葉」ってやっぱり凄いかも。では。

 

 ※人の間から、はみ出してまう、それを間抜けと言うのかな?では、では。