昨日のブログで「お灸」のことを書きました。書いている途中で、魯迅の『阿Q正伝』が脳裏に浮かび、お灸と阿Qでダジャレが出来ないかちょっと考えたのですが、無理そうだと思い諦めました。
魯迅がらみでもう一つ思い出したのが、「故郷」という作品です。高校の国語の時間に習いました。作品中、主人公が夜のスイカ畑を空想する場面がありました。
幼馴染みの少年が「チャー」という空想上の動物を退治するため、刺股(さすまた)を持ってスイカ畑に立っているというものです。「チャ-です。」という一文がありまして、これに大興奮していた同級生N(女子)を懐かしく思い出しました。
Nはロック大好き女子高生で、通学時にはいつも、友達と貸し借りするためのLPレコードが入った、レコード屋さんのビニール袋を抱えているような娘でした。彼女にとって「チャー」とはロックギタリスト・Char(チャー)であり、「チャーです」の一文は彼女の心の琴線に触れるものがあったのです。
休み時間になるやいなや、教室の一角では「チャー談義」が始まりました。箸が転んでもおかしい年頃、盛り上がらないわけがありません。
N 「チャーです、で嬉しくなっちゃって、笑い声をこらえるのが大変だった」
友 「絶対、Nが興奮してると思ってた」
友 「でも、チャーは刺叉でやられるんだよ」
きっと、こんなどうでもいい会話で笑い転げたのだろうと思います。Nの台詞だけはハッキリ覚えています。
高校生の友情って、お互いにお互いの好きなものを熟知していて、新しい情報を教えてあげたり、時にはそれをおちょくったり。自分と相手の輪郭が曖昧に溶け合っているような、そんな感じでした。青春、てやつですね。
月日は流れ、私も同級生達もすっかりおばさん。同級生の多くは故郷から遠く暮らしており、なかなか会うことは叶いません。Nとも年賀状の遣り取りだけで、随分長い間会っていません。でも、再開すればきっと時間を超えて、どうでもいい会話に笑い転げられるような気がします。同級生ってそういうものですよね。
月日は誰の上にも流れていきます。Charも例外ではありません。つい最近、息子さんの薬物に関する報道をみました。
『気絶するほど悩ましい』心境かも知れません。同じ親として、心中お察し申し上げるのです。では。