知人の田んぼにお手伝いに行って、「大豆」に思いをはせました。お付き合い下さい。
隣の田んぼは「元田んぼ」になっていて、大豆が作付けられていました。カラカラに茶色く乾いていて、もうすぐ取り入れなのだろうと思います。
枝豆用に植えられている面積の小さな「大豆の畝」のある畑は、車を運転していて時々目にします。夏になって、「あー枝豆が生ってる~」と思っているうちに、いつの間にか姿を消しています。茶色くなった、つまり枝豆を越えて大豆にまでなった大豆を見るのは、随分久しぶりのような気がしました。
今から50年ほども昔。実家では、親戚と共同で味噌を造っていました。二軒分の自家消費用の味噌ですが、とにかく昔は消費量が多かったのでしょう、大量に造っていました。私達子供も、子供ながらに出来ることがあり、手伝いに駆り出されたものでした。
味噌造りの一番初めは大豆を茹でることからですが、その前段階として、畑から採った大豆を莢(さや)から出して乾燥させる、という作業があります。何十年も忘れていたその作業、隣の「元田んぼ」を眺めていたら、鮮明によみがえって来ました。
何か敷物(恐らくござ)を庭一杯にしいて、適当な作業台の上で大豆を叩くのです。左手に大豆の束を持ち、右手には専用の「枝」を持って。その「枝」が懐かしい。恐らく祖父が山から切ってきたのだと思いますが、綺麗なYの字になっていて、下の棒が握りやすい太さで。上のVの部分で莢を叩いて、効率的に中から大豆を取り出すわけです。大豆が辺り一面に、元気に跳ね回るように飛び散っていた光景まで目に浮かんで、つくづくと、記憶って不思議なものです。
手作りの味噌と聞くと、皆さん「美味しいでしょう」と思われるようですが、とてもしょっぱくて、私はあまり美味しいとは思いませんでした。でも、両親は「買った味噌は口に合わない」と、仕込みを業者にお願いして、最後まで自家製味噌にこだわっていました。なるほど、「手前味噌」とはよく言ったものです。
こんな風な思い出に浸ったりしながら、稲わらで「即席の縄」をこしらえ、その縄で稲束を束ねていくという作業をしていたわけです。そして、この「稲わらで稲を束ねる」事からもう一つ、「豆」について思い出していたことがありました。でも、正確には思い出せなかったので、家に帰って、調べました。せっかく調べたのですから、だいたいのところを書いておきたいと思います。
七歩詩(ななほのうた)という中国の有名な詩があります。魏の曹操の後を継いだ息子・曹丕(そうひ)は、弟の曹植(そうしょく)に対して妬みがあり、
「お前がそれ程文才があるというならば、七歩歩くうちに詩を作ってみろ。出来なければ殺す」と、難題をふっかけます。
そして、曹植は七歩歩くうちに見事詩をつくったのですが、その詩のおおよその内容がこちら。
豆を煮るには、豆がらを燃やして煮る。豆は釜の中で泣く。同じ根から生まれた同士なのに。なぜ・・・
全体的に眉唾な気もしますが、とても面白い「お話」ですよね。この話が広まった当時は、「豆を煮る詩、知ってる?」と、話題沸騰だったことでしょうね。では。
こちらの過去記事も面白いですよ。(まさに手前味噌ですね)