おばあさん見習いの日々(ダジャレ付き)

1961年生まれ。丑年。口癖は「もう!」

「あきらめて頑張る」

 心に響く言葉とか、心に残る言葉とか。

 結構聞いたり読んだりして、その時はいたく感動して「覚えておこう」と思うのですが、あっさり忘れてしまう日々です。

 今日は、とある場所でタイトルの「あきらめて頑張る」という言葉に出会いました。二つの意味で大いに感心させられました。

 まず第一にレトリックの巧みさです。

 「あきらめる」と「頑張る」という正反対の意味を持つ言葉を併置するとは!

 聞いた瞬間、「?」という大きなマークが頭の中に浮かび、「どういうこと?」と身を乗り出さずにはいられませんでした。巧みです。そして、新しい。どこかで聞いたなあ、というような言い古され感を、少なくとも私は感じませんでした。斬新でした。

 そして、二つ目が肝なのですが、「説得力」が違う!と思いました。

 この言葉の意味するところは、「過去と他人は変えられない。変えられるのは未来と自分だけ」という有名な人生訓フレーズとほとんど同じだろうと思います。

 過去を悔やんでも始まらない。自分の思うとおりに他人を動かすことは出来ない。自分の価値観どおりに物事が進む事はない。人生とはそういったものだという事をしっかり腹に据えて、そしてその上で自分に出来ることをやっていくしか無い。まあ、こんなところでしょうか。

 「あきらめて頑張る」の凄いところは、上に長ったらしく書いたことを非常に端的に表していて、それでいながら押しつけがましくないところです。

 「過去と他人は・・・」は、素晴らしいフレーズだなとは思うものの、どこか説教臭さがありますね。対して、「あきらめて頑張る」の力の抜けた感じ。「そうだよねえ。あきらめて、でも頑張って行くしかないよねえ」と説得されてしまうのです。

 

 東京オリパラ開会式でご活躍の真矢ミキさんの有名なCMに、「諦めないで」というのがありました。これはこれでいいのですが、こちらは若い人向きのような気がします。なぜなら、若い人には「怒り」をエネルギーに変える力があるから。

 エネルギーもだいぶ枯れてきた高齢者としては、怒りの炎を燃やすよりは、「世の中、どうにもならないことで満ちている」、そうあきらめて、でも「生きている限りは頑張って行こう」、そのぐらいが丁度いいのではないかと思わされました。

 私のこのブログも、「いいものを書こう」とか「内容の濃いものを」とか、そんな高望みはせず、「こんなもんでしょ」と諦めもしつつ、「でも頑張って続けるぞ」。そんな風にやっていきたいと思います。

 読者の皆さんも、頑張ってついてきて下さいね。そこは諦めないで~!では。